ずっと
幼い頃から将来は后妃と言い聞かされて育ったのだという。
今も尚、王家に対する執着は強い。
恐らくは菖蒲の家の者の中でも一番。
どう切り出そうか。
そもそもあの伯母が、素直に話してくれるとも思えない。
父、
父と伯母とでは伯母の方が数段
当主であるにも
菖蒲の影の女主人。それが雪野だ。
「失礼致します伯母上」
挨拶もそこそこに、紫雲英は雪野の元に乗り込んだ。
あれこれと考えて深みにはまるよりも直球で聞いた方が早いと踏んだのだ。
それに紫雲英が小細工を
ならば先手を打ち、急襲するが吉と読んだ。
「なんです、紫雲英。突然に。まだ着替えもしていないではありませんか」
束帯のまま、
「父上もご一緒でしたか。ならば話は早い」
紫雲英は目を白黒させる紫苑と、
「お尋ねします。お二人は
直球過ぎるというか、なんというか。
もう少し切り出しようがあったのではないかと、後から聞いた榠樝は思ったりもしたのだが、それは置いておく。
絶句した紫苑と目を
「何を申しているのです」
唖然という表情がぴったりだろう。今まで見たことも無いような伯母の表情に、紫雲英は少しだけ安堵していた。
これは後ろめたさの無い驚きだ。
「女東宮の命により卜占を行いました。その結果、伯母上に隠し事があられる模様が示されました。前王に関する何かです。それは何かをお聞きしたい」
「紫雲英、何を言っている」
慌てふためく紫苑にちらりと視線を遣り、紫雲英は思う。
「父上に前王を害する気概があるとは思えませぬ故、伯母上にお聞きするのです」
「ぶ、無礼にも程がありますよ、紫雲英!わたくしが
そこまで叫んで雪野ははっと口を押えた。
だが零れた言葉は戻らない。紫雲英も紫苑もはっきりと聞いた。
「姉上……」
恐る恐る紫苑が雪野を振り返る。
赤くなっていいのやら、青くなればいいのやら、どうにも途方に暮れた雪野が頼りなげに視線を揺らしている。
まるで迷子の
そんな雪野を凝と見つめる二人。どれくらいの時間が経っただろう。
それ程長くは無いのかもしれない。だが、とても長い沈黙だった心地だ。
観念したように雪野は口を開いた。
「主上は、前王陛下は、幼い頃よりわたくしの恋い慕いしお方。その方を害そうなどと、決して思ったことはありませぬ」
紫雲英は少し目を細めた。
「手に入らぬならいっそ、などと思ったりは?」
「一度も」
雪野は真っ直ぐに紫雲英を見た。
射抜くような紫雲英の視線を真っ向から受け止めた雪野。
紫雲英は視線を外さない。
暫く見つめ合い、紫雲英はゆっくりと頷いた。
「信じましょう。ですが、伯母上。前王に何某か働きかけをなさってはおりませんか。卜占の結果に
紫苑が傍目にもわかるほどに顔色を変えた。
「父上、何をご存じです?」
「あわわ」
袖で口元を抑えて押し黙る紫苑に、雪野が諦めたように
「いいでしょう。話します。わたくしは確かに前王陛下に向けて、働きかけを致しました」
「それは?」
雪野は少し恥じらって、視線を逸らせた。
「祈祷と祭祀です。縁結びに名高い寺や、神社に参詣し、陰陽師を召したこともあります。中宮
雪野の結婚は遅かった。それもこれも入内を願ってのことというのは周知の事実だ。
だが、これは予想外の展開であった。
紫雲英はこめかみを押さえ、少し溜め息を吐いた。
雪野が昔から
参詣が趣味なのだと勝手に思っていた。
ただの気散じの為の物詣では無かったわけだ。
「伯母上がそのようなことをなさるお方とは存じませんでした。寧ろ
雪野が行うならば刺客を放つか毒を盛るか、そういった直接的な働きかけの方だと思っていた。
現実主義というか、効率を重んじるというか、そういう政治的手腕に
「意外と乙女心をお持ちなのだ。姉上は」
「紫苑、余計なことはよい」
「失礼仕りました」
紫苑は言い難そうに、紫雲英の方を見、溜め息を
「お前にもしたことがある。というか何回もしている」
「は?何をです?」
困惑する紫雲英に、雪野が諦めたように口を開いた。
「祭祀も祈祷も。毎日のように観音さまに願掛けもしています」
「はあ?」
「そなたが女東宮と添い遂げるように」
ぽかんと口を開けてしまった紫雲英に、言い難そうに紫苑が告げる。
「今の所そなたが女東宮の婿の座に一番近いと見られるが、それは我らの願掛けのおかげでもあるのだぞ」
「菖蒲の悲願でありますからね」
紫雲英は頭を抱えた。
「という訳で、伯母がしていたのは縁結びの願掛けの
榠樝と
賢木は相変わらず何を考えているのかわからない飄々とした表情だ。
「女東宮と私の縁結びも行っていたらしい」
榠樝がますます何とも言えない表情になった。
「よく調べてくれた。ありがとう。そうか、縁結び……なるほど」
思っていたのと違う、と顔に書いてある榠樝だった。
「菖蒲の方に前王に向けての大きな情があるのは見えていましたが、なるほどそういうことか。ふむ」
賢木はなにやら頷いているし、菖蒲の嫌疑は晴れたと見ていいようだ。
「次は
賢木の視線を受け、山桜桃が眉を跳ね上げた。
万寿麿がひげを逆立てた。緊迫した空気を感じ取ったのだろう。
山桜桃の腕から逃げ出して、堅香子の袖に身を隠す。
「山桜桃にも
「いいえ、要りませぬ」
榠樝の言葉に被さるように山桜桃が言う。
珍しいことだ。普段はそのような無礼は絶対にしない。
言い切った山桜桃に賢木以外がえっと視線を向けた。
賢木は何やら頷いている。想定内らしい。
「私が黒鳶の潔白を
堂々と、胸を反らして。山桜桃は自信たっぷりに言い切った。