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「できる処置は全て施しました。後はこの方の生命力に掛かっております」

まさか生涯、女東宮にょとうぐう拝謁はいえつするなど思いもよらなかった医官の青年は、ひたすらに畏まって控えている。

震える子犬のようだ。

「よい。おもてを上げよ」

榠樝かりんも少し震えていた。

毒の処置を目の前で見ていた所為でもある。

血のけがれが云々うんぬんという女官は下がらせた。居るだけ邪魔になる。

後で祈禱きとうなりなんなりさせればいい。

一刻を争うとの言葉に、ここでこのまま治療せよとの榠樝の命に医官は従っただけだ。


医官はまず堅香子かたかごの腕の、噛まれた箇所の周辺に更に薄く沢山の傷をつけた。

刃物が出てくるとは思っていなかった榠樝は少し動揺したけれど、大人しく見守る。

そこから毒を含んだ血を排出させるのだという。

何度かきつく腕を捻り、毒を絞り出すようにした。

堅香子は意識が無かったものの、痛みにだろう、呻いて身体を捩る。

それを多人数で押さえ付け、医官は治療を続けた。

すべて絞り出したと思ったら、次は何某ナニガシという薬を傷に塗布し、時間を置いて何度か取り換えるのだという。

それで、治療は終了。


しかし怖ろしい技であった。

そんなことをやってのけた男が、今は震えて榠樝の前に畏まっている。

あまりの落差に笑いが零れそうだ。

「畏れ多いことにございますれば」

「よいと申した」

「は」

恐る恐る顔を上げる医官の青年。

年の頃は二十歳前後か。純朴で裏表の無さそうな顔をしている。何より目が澄んでいる。

榠樝を見詰める視線に畏れはあるが後ろめたさは一つも無い。

信用できる。

「ありがとう。礼を言う。後で褒美を取らせよう。名は」

「えっ、はい、あの、畏れ多いことにございます」

「名」

青年はまた平伏した。

「やっ、山鳩やまばと家の三男、杜鵑花さつきと申します。女東宮さまにかれましては、直接にお声をお掛け頂くなど全く以て勿体なく……」

「よい、と言った」

「は……!」

仕方がないか、と榠樝は少し態度を改めた。

王族は神に選ばれた血筋。畏れ敬うものと生まれた時から教え込まれているのだ。

「杜鵑花、心から礼を言う。堅香子は私の腹心だ。何にも代え難い友でもある。命を救ってくれて本当にありがとう」

頭を下げた榠樝に、杜鵑花はもうどういう表情や態度で居ればいいものか困り切った顔で眉を下げている。

控えていた浅沙あさざが、笑いを堪え切れずにくっと喉を鳴らした。

「そなたもだ、浅沙。よくやってくれた」

改めて見れば派手さは無いが、涼やかな容貌。隙の無い身のこなし。

しかし、見覚えが無い。飛香舎ひぎょうしゃの、榠樝付きの女官ではなかった。

「常には見ない顔だが何処の者だ?」

浅沙は居住まいを正し、首を垂れた。

「つい先日、掌侍ないしのじょうを承りました者にございます。畏れながら女東宮の悲鳴を聞きつけてさんじました次第。普段は典侍ないしのすけの補佐を勤めております。氏は水柿みずがきにございます」

「掌侍か。道理で」

典侍は宮中でも指折りの切れ者。後宮を仕切っている女傑だ。

その補佐ともなれば仕事ができない筈もない。

「おかげで助かった。後で褒美を取らせる。典侍にもよく言っておく。ありがとう。ああ、それと」

改めて通達をせねばならんな、と榠樝は思う。

「あまりこのこと吹聴ふいちょうせぬように」

既に後宮中に広まってはいるだろうけれど。

「心得ております」

「皆下がれ。少しこの者と話がしたい」

平伏し、皆が去った。

榠樝は暫く耳を澄ませる。遠く、人の気配がする。

近衛舎人このえのとねりだろうか。だが取り敢えず声は届くまい距離だ。

「さて」

榠樝は杜鵑花に向き直った。

こちらはまだ、わかってはいないようだ。

意識の無い堅香子を除けば二人きり。榠樝が人払いをした理由。

低めた声で榠樝は問う。

「杜鵑花、解毒の法は何処で覚えた。正直無理かと思っていた。我が国に毒蛇は通常おらぬからな」

杜鵑花は頷く。

「仰せの通りでございます。解毒の法は五雲国ごうんこくよりの医学書にありました。……試みたのは今回が初めてでございますが」

「独学か」

「は」

独学で解毒の法を修めた能力。そして冷静にそれを実行できる胆力。

済んだ双眸そうぼうに、人をたばかるなどと思いもつかぬような、少々抜けた顔付き。

決めた。

榠樝はついと距離を詰めた。

「杜鵑花、私の味方になれ」

きょとんとする杜鵑花に榠樝は畳み掛ける。

虹霓国こうげいこくに、普段居らぬ筈の毒蛇が居た。それも我が座所たる藤壺ふじつぼに。これをどう思う」

「は、はあ。どうと申されましても、誰かが放したとしか思えませぬが……………」

言い掛けて杜鵑花はザッと青褪めた。

「わかったか。故意だ、、、


何者かが明確な意思を持って、榠樝を狙った。

そういうことだ。

その意味するところは、謀反むほん

毒蛇という辺り、洒落ている。

龍神の眷属たる蛇に襲われる東宮など王位に相応しい筈もない。

そう噂が広まるのはたぶん一瞬のこと。


青を通り越して白くなった杜鵑花を見、榠樝は言葉を続ける。

「何者かが私を害そうとしている。味方が欲しい。信用できる者でなくてはならぬ」

「わ、私を信用なさるのですか!?今日お目に掛ったばかりなのに!?」

榠樝はにこりと笑って杜鵑花の手を取った。

「人を見る目にはそこそこ自信があるのでな。巻き込んでしまって済まぬが、運命と諦めてくれ。優秀な医官は命綱だ」

ずるい言い方だと、榠樝はこっそり自嘲する。

逃げ道を塞いでおいて、味方になれも何も無い。

だが、こういう言い方をすれば杜鵑花のような青年は決して裏切るまい。

杜鵑花はぱくぱくと口を開けては閉じ、池の鯉のようだ。

榠樝は目を逸らさない。

やがて、杜鵑花は腹を括ったらしい。

打って変わって凛々しい表情で、というよりは、やはりどこか震える子犬のような表情で、榠樝の手を握り返す。

「どこまでお役に立てるかはわかりません。ですが、誠心誠意努めます」

泣きそうにも見える杜鵑花に、榠樝はにこりと微笑んだ。

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