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第53話 猫に鈴をつける役

「……ちょっと驚いたな。悪くないアイデアだ」


〈やったぁ! やっと私の才覚を発揮する時が来ましたね!〉


 無重力状態――厳密には小惑星の質量で極微弱な重力はあるものの、ほとんど無視できる程度だ。

 人間でも低重力で活動するには一定期間の訓練を必要とする。恐鳥の脳でもやはり適応に時間がかかるだろう。


〈あーカンジ。鳥の脳ってのは空を飛ぶための機能が発達してるんじゃなかったか? 姿勢や運動の制御に使う――〉


「……地球の鳥類ならそうだが……あー、カスミ。クロエと替わってくれ。クレイヴンのデータベースには『饕餮アヴァリス』の店内大型端末からコピーした、既知の異星生物についてまとめたファイルがあったはずだ」


〈なるほど、ちょっと待ってください……クロエさん、戻しますよ〉


〈大体聞いてました。異星生物の情報を、ラウラに検索してもらえばいいんですね?〉


「そうだ。ディアトリウマについてもいくつかの情報を保存していたはずだ」



 通信のリレーが行われ、ものの三分ほどでディアトリウマの詳細情報が、カンジとリチャードのグリルランナーに転送されてきた。その内容はカンジの記憶を裏付けていた。


「やはりそうだ。ジュローの類鳥生物、二十種の解剖所見……ディアトリウマをはじめとする一群の生物は、地球の鳥類のような竜骨を持たない。鳥にそっくりだが、進化の過程で空中生活を経験してはいないんだ。小脳の身体制御機能は、あくまで陸上生物の範疇にとどまっている」


〈なるほど。じゃあ……カスミの案で行くか〉


「だな。クロエ、シェーファーに、この小惑星基地の慣性制御装置を止められるか訊いてくれ」


 この時カンジたち五人は、勝利を確信していた、だが、シェーファーから告げられた情報は彼らにもう一手、危険な試練を強いるものだった。



〈核融合炉はこっちから止められる。あー、慣性制御装置に電力を供給してる奴だ〉




「融合炉があるのか……そりゃそうか」


〈こいつは基地全体のエネルギーを賄ってる奴だが……さすがに止めると暖房も空調も全部止まってしまうからな。炉の余熱を考えても、内部の気温はごく短時間でマイナス100度を下回ると予測できる。宇宙服などを着ていない、装備の不完全な者から先に死ぬだろう。安全に慣性制御装置だけを切るには、基地内の別の場所にある配電器ディストリビューターパネルを操作する必要がある〉


〈と、言うことだそうです……〉


〈この基地を作った奴の安全意識を疑うぜ……無計画、安普請にも程ってものがある〉


 リチャードが侮蔑したように吐き捨てた。


「それで、その配電器パネルはどこだ? 地獄の最下層コキュートスってわけじゃないんだろう?」


(融合炉を切った時の寒さは、それに匹敵するかも知れんが――)


 ふとそんなことを考えて頬をゆがめる。基地の全体マップ、四面図になったものに位置を示すマーカーが追加された画像が転送されて、カンジたちのモニター画面に表示された。


「ふむ。この宿泊所はんばからも、シェーファーたちのいる司令室近辺からも、少し距離がありすぎるな……」 


 カンジは無意識に歯噛みをしていた。


 位置的には、クロエたちのいる場所――ホークビルの繋留されている着陸パッドからが一番近い。


「鉱業団に頼むのは流石に無理だろう。栄養失調で体力が落ちているから、途中でディアトリウマに遭遇したら逃げられん。俺たちが行くしかないが、ナギ・シェーファーをまたここに残していくのも気がかりだ……」


 通気ダクトに潜り込んでいる限り彼女は安全だろうが、万が一カンジたちに何かあれば、結局鉱業団と運命を共にすることになる――父親の元に戻ることもできないまま。

 重力をそのままにして残る八頭を逐一潰していくことは一応可能だが、機体に蓄積するダメージ次第では終盤がジリ貧になる。


(低重力で奴らを一方的に始末して回る、というのは、流石に虫が良すぎるのか……?)


〈よし、私が行きます〉


 通信機の向こうから、予期しない声がした。カスミだ。クロエがたしなめる声もかすかに聞こえる。


 ――ちょっと、カスミさん! 無茶はダメですよ!


「何を言ってるんだ。相手は時速五十キロで跳ねまわる猛禽だ、取材を受けてくれるような相手じゃないんだぞ」


〈私だって人食い鶏に取材したいって思うほど莫迦じゃないですよ!〉


「だったら……」


〈でも、私がやるのが一番マシなんです〉


「意味が分からん」


〈説明しますけど、これは単純明快な消去法です。私は降下艇の操縦もできませんし、海賊団の頭も張れません。フリゲートの完全制御なんて夢にも想像できませんし、料理も食べる方が専門。パワードスーツ戦闘のスキルもありませんし、政府機関のエリートになろうなんて志もない。でも……こう見えても陰に隠れてこそこそ動き回るのだけは得意なんですよね〉


 カスミの声は自棄っぱちでありながら、どういうわけか一種不敵な笑顔をカンジの脳裏に結像させた。


〈私は正直、今ここにいる人間の中で、一番どうでもいい、安い駒です。分かってます……でも、だからこそ痛快じゃないですか、私みたいな人間が最後の切り札になれるとしたら〉


 はっとする。カスミ・砂岡は自分自身を、存外によくわかっているのだ。彼女の自己評価はこちらの想像よりだいぶ低い。


「……おれはどうやらあんたを見誤ってたようだ。自己中でそのくせ他人に頼りっきりで、後先の分別もない、衝動的で迷惑な女だと思っていた。だがそれは間違いだ」


 カスミが何か相づちを打ちかけたようだったが、カンジはその間を与えずまくしたてた。


「あんたはそれ以上の最悪だ……! 努力も訓練もなし、さほど強くもない運だけを頼りに何とか美味しい所にありつこうと願う、身の程知らずの阿呆だ……!」


〈普段は言葉少なめな印象なのに、なんで人を罵倒するとなるとそんなに雄弁なんですか〉


「だが、無価値でもなければ安い駒でもないな。人間、自分の器に見合わなくても回ってきた役割をこなすしかない時がある……まあ大抵はしくじって死ぬが――」


 人間が、自分の矮小さみじめさをなんとかしようと奮い立つ瞬間。人生の中で、それは稀に、そして突然やってくる。

 カンジは自覚した。俺はこの女にうんざりしているが、憎くはない――むしろ、雲台でくすぶっていた時のことを思えば、共感するところが大きかった。

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