目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第51話 生き延びた少女.1

 カンジはさいぜんから奇妙な感覚を覚えていた。と言っても、彼自身には何の変化もない。

 電波が遮断されて測位システムが働かず、マップデータと自分の現在地を照合するのが困難――にもかかわらず、リチャードが妙によどみなく方向を決めて進んでいくのだ。その間、ドップラーレーダーと赤外線、二酸化炭素のセンサーにはまるで反応がなかった。


「おい、どうしたんだリチャード。そんなにわき目も振らず、どこへ行こうとしてる」


〈……ああ、すまん。なんだか足が自然にこっちへ向くんだよ。なんだか呼ばれてるような感覚だ〉


「穏やかじゃないな……ちょっと待て、とにかく一旦止まるんだ。現在地を何とか特定しないと迷う」


〈確かに妙だな。まさか、ディアトリウマの中に変な能力を持ってるやつがいて、誘い込んでるとかそういうことはないだろうな?〉


 リチャードが不気味なことを言い出す。妖怪めいた話だが、地球の単なる野生動物でさえ、特に悪意もない習性の一つで遭難者を取り返しのつかない状況に陥らせることがある(※)。まして宇宙では何が起きても不思議ではない。


「……ディアトリウマでそういう話は心当たりがないが……待て、妙なところに出たぞ。ここは何だ?」


 入り口付近とは違う場所に来ているはずだ。だが、通路の先に人工の、建材で出来たパネルの壁が見えた。


〈壁のパネルに文字が見える。『C-31』か? 何かの番号かな〉


「ふむ……鉱業団に照会してみよう」


 クロエ経由で現状を伝える。シェーファーからは戸惑いの声と共に回答があった。



  * * * * *



〈C-31? ああ、その番号には俺も覚えがある。鉱区の反対側近くだ。余り中枢ブロックから離れると、食事や休息にも不便だから、その辺に宿泊所と、小さめの食糧庫が設置してあった……リスク分散になるんで、今でも在庫はある程度維持されてたはずだな〉


「なるほどです。それじゃ番号の意味とかは、何か?」


〈聞いた話だが、採掘基地として整備した際に、運び込んだ壁パネルに通し番号をつけていたって話だ……すまん、ちょっと確認して欲しいことがある〉


「どうしました?」


〈実は、中枢ブロックへの避難時に行方不明のままになってる奴がいる――十二歳になる、俺の娘だ……〉


「え」


 一瞬言葉を失ったが、少し間をおいて思い当たった――シェーファーの気がかりはそれだったのだ。


〈親の言うことを聞かん奴でな。いつも基地内のとんでもないところまで足を延ばして、一人で遊びまわってる娘だった。あの日もその辺りまでで出歩いてたはずなんだ。もうあきらめてはいるが――何か見つけたら持ち帰ってくれ〉


「……分かりました」


 カンジにシェーファーの話をリレーすると、クロエはヘッドセットのマイクをいったん切った。

 リチャードの奇妙な行動については、シェーファーにはまだぼかしてあるが、クロエは今聞いた話との間に奇妙な符号を感じていた。


(もしかしたら……いや、でも、まさかね?)


 横で鼻をすする音がした。カスミだ。そちらを見ると、彼女は目を真っ赤に泣きはらしてクロエを見ていた。


「お、女の子が……はぐれて坑道の中で、一人? それ、もう死んじゃってますよね……!?」


「カスミさん。まだ、そうと決まったわけじゃ。今の話を聞く限りだと、万が一の希望もあるかも……あるかもですから!」


 ああ。芯の部分ではやはり、優しい人なんだ。


 ベソベソと泣きじゃくるカスミを見つめて、クロエは何か自分自身が救われたような気分になった――


「こんな悲しい、むごい話……シェーファーさんにインタビューしたって記事にできませんよ……うう、悲しい」


「そっちですか!」


 心底呆れるしかなくて、クロエは先ほどの感銘をどう処分していいか分からなくなった。

 とはいえ。余りにむごい話は記事にできない、と考える感覚があるのならそこのところ、最低限のモラルはあるのだという評価でいいのだろう――いいのだろうか?



  * * * * *



〈なるほど。つまりこの区画は、いうなればあれだ……前線基地というか、ええと、何かもっとしっくりくる言葉が確かカンジのとこの文化で……〉


 シェーファーからの伝言を聞いて、リチャードは何か腑に落ちるところがあったようだ。


「ん……何だろうな。ああ、飯場とか?」


〈そうだ、それそれ〉


「そんな古い言葉よく知ってたな。だいぶ違う気もするが」


 「C-31」パネルのある区画に入ってから、リチャードの様子はいくらか普通に戻り、何かに駆り立てられるような雰囲気ではなくなった。

 その代わりに、辺りの様子そのものがどこか奇妙だ、と感じる。


 グリルランナーの脚が何かにあたったらしく、カンジの耳元で小さな通知音が鳴った。一歩下がってその物体を見る。何かの箱。


「……クラッカーの箱?」


 軍を中心に普及している、携行糧食レーションパック用のクラッカーだ。やや明るめの灰褐色をしたボール紙で作られた、こんな箱に入っている。気づけば、辺りには同様の箱や、飲料水の使い捨てボトルなどが点々と散らばっていた。


「これは……」


 箱は比較的新しく見える。そして、どうも今いる区画の中で、カンジが立っているところから対角線上にあたる、一つの隅から拡散するように分布して見えた。


「誰かが最近、これを食って捨てたのか……? まさか、さっきクロエが言ってたシェーファーの――」


 ――ゴトリ


 天井の辺りで、何かがやや重めの音をたてた――



 ※ おそらくコトドリなどを想定している


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?