クロエはカンジと顔を見合わせ、次いで後ろの座席を振り返る――そこにいたリチャードは、無言で首を横に振った。
「今の音……」
「そこのロッカーからだな」
リチャードが席を立って、エアロックのわきにあるロッカーを確認に向かう。本来は宇宙服や火器類を収納するためのものだが、今回の旅ではそうしたかさばる物は、あらかたクレイヴンの艦内へ移してあった。
「空にしてあるはずだぞ……それに船内にも慣性制御が働いてる。相当ひどくぶん回しても、物が倒れたりは……」
言いながらドアに手をかけ、ロッカーを開く――宇宙服を不完全に着こんだ人物が、膝の力が抜けたようにくたくたと崩れて、リチャードにもたれかかってきた。
「あ、おい……!?」
そこにいたのはカスミ・砂岡だった。リチャードが彼女を押しのけ、次いで腕をひねり上げて拘束した。
「あああ、痛い、痛いですって! 放してください!」
ため息とともに眉根を揉もうとして、カンジの手が宇宙服のヘルメット・バイザーにぶつかる。咳払いをして手をぶんぶんと閃かせると、彼はげっそりした様子でクロエに向かって首を傾げた。
「……これはどういうことだ、クロエ」
「私に言われたって、知りませんよ……! 何やってんですかカスミさん!?」
さすがに自分の非には自覚があるらしい。カスミは叱責されて小さく縮こまった。
「いやその……海賊の小惑星基地に潜り込める機会なんてめったにないし、インタビューとかできるかなと……でもロッカーの中が狭くて気分悪くなっちゃいまして」
「ったく……いい加減にしろよホントに、この腐れレポーターはぁ! 宇宙服もまともに着られないのにノコノコとこんなところに出てきたら、エアロックの操作間違えて死んでも、誰にも文句が言えないんだぞ……!」
リチャードが心底腹を立てた様子で毒づく。
「だって……売り込める気の利いた記事がなきゃ、新しい持ち込み先なんて見つからないですよぉ」
「カスミさん。お仕事の開拓には私も精一杯協力しますし、乗り掛かった舟だからある程度は金銭的な援助もしますけど……今は大人しくしててください! 本当は、クレイヴンに残ってラウラの補佐をして欲しかったんですからね?」
「ひゃい……」
「ああもう、クソ、調子が狂うぜ……」
ホークビルは着陸パッドの上空三十メートルほどの位置に浮かんだまま。自動操縦装置は働いているが、着陸シーケンスを中断した状態だ。制御卓の上ではシーケンス再開か手動操縦への復帰を要求して、黄色い警告灯が忙しなく点滅していた。
「とにかく行ってくる。俺たちがランナーに乗り込んで合図を送ったら、積荷ブロックのハッチを解放してくれ。で、こっちがゲートの方へ向かうのを確認したら、ホークビルをパッドの上に降着させるんだ。頼んだぞ」
「り、了解です」
エアロックを通ってカンジたちが
「カスミさん、色々と手伝って欲しい仕事もあります。まずは私の隣にきっちり座って、着陸が完了するまで待っててください」
クロエは自分自身を落ち着かせるために深呼吸を繰り返した。
カスミ・砂岡は問題児だが莫迦ではない。教育も受けているし、文章も悪くない――ただ、これまでいろいろと話を聞いた限り、仕事に恵まれていないようだし立場も弱いらしい。
先の胡耀海への取材原稿が遅延したことで相当に参ってもいる。そのせいで、状況判断とそれに基づく行動が、どうにも短絡してしまっているのだろう。
(思うようにならないことが続いてるときに、自己中とか自棄っぱちになっちゃうのは、きっとよくあることよね……カンジさんだって、リチャードさんがいない間はあんなにやる気をなくして、店に明かりも点けてなかったんだから。あのお師匠様のところで修行して、軍でも鍛えられて、それでも……人間は簡単には強くなれないし、常に強さを保ってもいられない……)
カスミはまだ犯罪に手を染めているわけでもないし、同情の余地はある。必死で自分にそう言い聞かせながら、クロエはホークビルの着陸シーケンスを薄氷を踏む思いで進めていった。
* * * * *
カンジとリチャード、二人の操るグリルランナー・スーツ二機は、ホークビルに先行して小惑星基地へと降下した。背部を始め機体各所の換装されたモジュールから時折推進器を噴かし、ゆっくりと基地のゲートをくぐる。
「やはり人工重力を発生させているな。これから始める戦闘にはちょうど都合がいい」
〈こちらホークビル。基地へのドッキング完了。船体の固定にも問題はありません〉
「よし。こちらは予定通り突入する。クレイヴンとの通信中継、頼んだぞ」
ゲートが後ろで閉まった。カンジたちはフロアに降りたつと、推進器を切り足底のホイールを使った移動に切り換えて進む。少し行ったところで、コンテナがまばらに置かれた倉庫ふうの広場があった。床に黒く変色した液体が塗料のようにこびりつき、刷毛か筆で描いたような幅広い汚れの帯がずっと奥まで続いている。
〈ここが問題の現場か……〉
「ドップラー・レーダーにはまだ反応がない。赤外線と二酸化炭素のモニタリングもやっているが、これといった変化も見受けられん」
〈どこから出てくるか分からんな。ブレードは先に展開しておいた方がいいだろう〉
リチャードの機体が、腕部に組みこまれた高靱性チタン合金のブレードを装備状態に切り替える。今回の作戦にあたって、二人が選んだ主兵装がこれだった。振りを早くするため、上腕部の装甲は一部をオミットして軽量化してある。
「ヒュドラ鉱業団」のリーダーの話を聞く限り、彼らは基地内部の設備環境と彼ら自身の作業体制が相まって、ディアトリウマに対して完全に後手に回り、打つ手を封じられている。しかしその条件さえ変えれば、本来は生身むき出しの食用家畜だ。
〈油断しなければ、グリルランナー二機がかりで
「そうは思うが、不測の事態には備えよう……何といっても初めて相手にする生物だ。世の中にはたまに、どうにもならない理不尽ってやつが待ち伏せしてることがある」
〈うん、まあ違いねえ〉
途中、彼らの進む進路に対して直角に接するやや狭い脇道があった。照明が落ちていて、曲がり角の先は暗く見通せない。
〈これは臭いな……〉
「ああ。いかにもって感じだ」
カンジはレーダーと、赤外線及び二酸化炭素のモニタリングを確認した――何かいる。
レーダーの反応こそないがその通路の奥には、二酸化炭素を吐き出しながら高い体温を保って活動している何かが、確かに存在していた。
「いるぞ――」
注意を促すのとほぼ同時。ドップラー・レーダーが鳥のさえずりのような警告音を発したのに続いて、機体に重いものがぶつかった衝撃。
カンジのグリルランナーは大きく姿勢を崩したが、何とか転倒を回避した。