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第45話 海賊からのSOS.1

 Pr0188星系のハビタブルゾーン外周に近い軌道に、本棚のような形の人工惑星が浮かんでいた。


 特異な環境から立ち入りに制限のある「壺天」を差し置いて、この星系では最大の人口を有する居住地であり、治安機構の統括基地も置かれているステーション。それがここ、「カルキノス・コンコード」だ。


 クロエたち一行は星系外縁部から一旦引き返し、ここでキーロウ03向けの情報アーカイヴを受け取る段取りになっていた。




「星系一つ分のデータベースを更新するアーカイブともなると、流石に記録装置もディスク一枚みたいなわけにはいかんか」


 そう言いながらリチャードが押していくカートには、縦横がおおよそB3サイズ、厚みが十センチばかりとなかなかに重量感のある金属製の筐体が載せられていた。今しがた郵政局から預けられたものだ。

 GDP-83MK型保安ストレージ。配送途中の破損や改ざんを防ぐため電磁波に対して厳重にシールドされ、開封と接続には各星系の行政機関が保管している専用の物理キーが必要という、やや偏執的なセキュリティを施された代物だった。


「こ、これをキーロウまで運べば五百万マルス……!」


 カスミが警戒心をあらわにして周囲を見回す。まるでありついた餌を盗られまいとうなり声を上げる、野良猫のようだ。


「そんな顔で通行人を睨むのはよせよ。ここ、一応治安機構のおひざ元だぞ。雲台14辺りとは違うって」


「……そ、それもそうですね」


 リチャードに指摘されて、カスミの挙動不審はようやくなりを潜めた。


「配送が失敗しても、それはあんたの懐には響かん。そっちの仕事もどうにかなってはいるんだろ?」


「ええ、まあ遅れはしましたけど原稿はきちんと発送できましたし……次にデスクからの返信を受け取るまでは生きた心地しませんけど、とにかく現状は首がついてる風味で保留中……ですかね」


 自分の現状を確認すればするほど不安になっていくらしい。


「やっぱり、ライター生命終ってますかねえ……」


「まあ猶予期間だと思って、その間に別口で売り込み先でも探したらどうだ」


「簡単に出来れば苦労しませんよぉ」


 その様子を横目で見ながら、クロエはつい先日までの自分の身の上を思い出していた。端末が届いて認証が通り、口座へのアクセスやIDの確認ができるようになるまでひどく長く感じられたし、本当に頼りなくて仕方がなかった。



 宇宙が広すぎるのが、悪いのだ。


 光速の限界を超えて文明圏が広がった結果。電信が普及する以前――遠隔地への通信手段が船便しかなく、金融取引には手形決済が多用されたはるか遠い過去の時代と、奇妙に相似した状況が発生している。


 そんな時代の人間は家族の安否を知るにも送金を受け取るにも、クロエが経験したような長期間のやきもきを、さぞかしたっぷりと味わったに違いない。


「カスミさん。海賊退治とか珍しい生き物との遭遇とか、原稿のネタはきっと、たくさんありますよ。元気出していきましょう?」


「……そうですね。ああ、冒険活劇もので小説を書く、なんてのもいいかも」


「え、それはまた、ずいぶん大胆な路線変更じゃ?」


「ほら、考えてみればこのメンバー、ちょっと何かのヒーロー・チームみたいな感じがしません?」 


 にわかに元気を取り戻し始めるカスミに、クロエは内心苦笑した。ああもちょっとした材料で最大限ポジティブになれる性格は、ある意味羨ましいものではある。

 とはいえ、クロエにとってこの探索行は立場上――加えて言うなら父の立場上――あまり大っぴらに世間に流布させたい性質のものでもない。カスミの行動と彼女が書く原稿に対しては、今後も入念なチェックと監修が必要になりそうだった。



  * * * * *



 再び星系外縁部まで巡航し、キーロウ星系へ向けて最初のジャンプ。星系から星系へと飛び石を伝うように移動する時間は、体感にしておおよそ三日といったところか。

 その間はごく平穏な航行が続いていた。クロエはこの機会にとばかり、ハイスクール修了資格試験に向けての苦手科目の復習に勤しんでいた。

 狭くて照明が暗い個室を避けて、彼女が勉強に使うのは大体共有スペースのラウンジ。そこにあるローテーブルの上で教科書を読みこみ、問題集に取り組む。


「あら、今日もお勉強ですか……?」


 クロエが開いていたハイスクールの教科書に目を止めて、カスミが懐かしそうな顔をした。


「ああ、この中国語の教科書、私も使ってたやつですね」


「へえ!」


 現代でも、いや現代だからこそ。紙の本には一定以上の需要と供給があった。クロエが経験したように、遠隔地で端末に紛失や不調が発生すれば、星系ごとの情報アーカイヴへの接続は、ほぼ遮断されるからだ。嵩張ろうと重かろうと、手に取れる現物は信頼性においてこれ以上のものはない。


「これでも、結構得意だったんですよ」


「へえ……そういえばカスミさん、『饕餮』の店内に掛けてあった額の意味、わかってましたもんね……私、あの漢字ってのがどうにも覚えられなくて」


 ただでさえ複雑で判読しにくい、表意文字と表音文字のハイブリッド。それがびっしりと並ぶ文面には、教科書を開くたびに圧倒される。

 おまけになんだか性質タチの悪い事には、同じ意味を表す漢字でも複数の書体や読みがあるというではないか。


「あーなるほど。ちょうど暇だし、見てあげましょうか? 大学でも一応、中国語の単位は取りましたし」


「本当ですか! それは助かるかも……」


 そんな話になってきたところで、不意にブリッジから呼び出しがあった。


〈クロエ、ブリッジへ来てください。広帯域アンテナが奇妙な信号をキャッチしました。これはあなたの意見を訊くべきだと、カンジさんが〉


「ええ……?」


「あ、行ってきて下さい。私はこの教科書を一回読んで、おさらいしておきますから」


 教えるならこちらも復習しておかなきゃです――カスミはそう言って、テーブルの上の教科書に視線を落とした。

 ブリッジは一つ上のフロアに位置している。クロエは足早に通路を抜け、グリップとステップだけの一人用エレベーターシャフトでラウラたちのもとへ向かった。

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