目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報
第42話 原始スープ味勝負(原始生化湯比賽).2

  * * * * *



(どうしよう。正直、どちらかに決めるのが難しいくらいだけど……)


 クロエは迷っていた。どちらも甘味を加えて仕上げ、原始スープ本来の味と具材の双方を引き立たせるような仕上げ。唯一の違いは、胡耀海が鉱物味の存在を意に介してないように思われることだが、それが特に味の優劣にはつながっていない。


(単品でお客に出すとしたら、やっぱりお師匠様のスープが売れるでしょうね。子供にも親しめる、分かりやすい味だもの。でも……)


 困ったことに、クロエにはカンジのスープに対して、手伝ったが故の愛着がわいてしまっていた。審査員としては不適切なことだ。胡耀海に対して、自分たちが全員カンジに入れれば勝ち、などと放言してしまったことがいまさらにひどく悔やまれた。


(フェアじゃない……フェアじゃないけど。それでも、やっぱり!)


 口には出さなくても、食べ方を見ていればそれぞれの持った印象は察せられる。ラウラもリチャードも、どちらかといえばわずかに、胡耀海のキクラゲの甘味スープの方に魅了されていたように思えたのだ。

 客観的にはおそらくは敗北。だが、せめてカンジにも、一票は入ったという形にしてやりたい。


 投票の瞬間、クロエが籠に差し入れた手のひらには、赤い紙片が握られていた。



「投票は終わった。さてここで一度、互いの料理の種あかしというか、解説でもしておくか」


「いいですね。師父からの教えと思えば、どんな話でもありがたいことです」


「宜しい。わしが重視したのは飲みやすさと後味の良さ、だな……お主らの顔ぶれも女人が多いことであるし、そこなクロエ嬢の言も参考になった……そこで、広東菜に特有のデザート『糖水』を念頭に甘味を強調し、紫蘇の香りを軽くあしらったわけだ。あのプールの水は時折汲んできて新しい料理法を試しているが、今回のものは出色の出来と言ってよかろう」


「確かに、大層美味しかったですね。今夜の晩餐には、老師のスープをデザートに所望します」


 ラウラが甘味を反芻するように視線を少し上方へ泳がせ、無意識にか唇をなめた。


「では私のスープについて……念頭に置いたのは、『敬意』です。この惑星で生まれた、そしてまだ生まれていない生命。そして我々、地球由来の生物がここまでたどってきた歴史と……そして師父への」


「ほう。大上段に構えたものだ。して、その心は?」


「生命のことはいったんおいて……まず厨房に入った時に感じました。この試験、いかにして師父の手の中から抜け出すかが眼目の一つであろうかと。食材も調味料も設備も、すべて師父が選び整えて準備したもの。すべてそのまま使っては、いかに私が工夫を凝らしたとて、おぜん立てをしてもらったことには変わりない。だから、何とかあそこの材料で、新しい『調味料』を作り出して使うつもりだった。そこで、こちらもクロエの言葉がヒントになりました」


 クロエは胡耀海に向かって、深々と一礼した。


「すみません。基本のスープを飲んだときに気付いたことがあったんです、でも、その時は重要だと思ってなくて、結局カンジさんだけに話すことになってしまいました」


「なに、まあよいさ……何に気付いたのかは興味があるが」


 胡耀海がかすかな笑みを浮かべながら訊き返した。さて、彼は気づいていたのか、それとも――?


「下処理をした原液ですが、あれにはまだ、現地の土壌から溶け込んだであろう、微量の鉱物質が残っていたのです。わずかな苦みないし渋み、或いは香ばしさとも感じられる複雑なミネラルの気配。私は考えた末、それを生かすことにしました。その時にひらめいたのが、生命と炭素の関係でした……鉱物、ことに粘土粒子の作用によって、原始の海に存在した有機分子は、濃縮や複製といったプロセスをたどり、生命へ至った」


「お前らしい、回りくどくてクソ真面目に過ぎる思考の辿り方だな。だが、悪くないぞ」


「強めに焦がしたコーヒーシュガーの苦みで炭素を表現し、濃縮したスープの酸味と共に、鉱物の味を打ち消すのではなく、昇華させたつもりです。つまり、厨房で新規に作り出した調味料が二つ。そして、具にはそれを受け止めるだけの個性を持つ空心菜を、厳選した新芽に限って使いました。それとふわふわの中華オムレツ……芙蓉蟹とほぼ同じ手順で卵だけを焼いてスープに投じてみました」


「なるほど。お前の賢しらな御託はともかく、舌の肥えた客には喜ばれるだろうな……!」 


 意外にも、胡耀海はカンジの説明を聞いて愉快そうに笑ってみせた。


「やりましたね、カンジさん! おほめを頂きましたよ」


「ちょ、駄目ですよクロエさん! こういうの、判定前に仲間から持ち上げられた方が負けるって、法則があるんですから!」


 カスミがおかしなことを言いだしたが、クロエは聞いたことがない。どうやら料理を扱った創作ジャンルでの「定石」でもあるのだろうか――


「さて、そろそろ頃合いだな、投票も済んだし、籠の中身をテーブルへあけよう」


 逆さにされた壺籠から、はらはらと舞い落ちる四枚の紙片。その内訳は。


「白が二枚。そして赤が二枚」


「え」


 同数――!?


 意外な結果に、クロエは目を瞠った。赤い紙片のうち一枚は自分だ。だが、もう一人は一体?


「あー、ああ。すみません! 私です……いやあ、ちょっとね、この後のご飯のこと考えちゃったんですよね……ほら、今って夕食の前じゃないですか。だから、気分としてはまだデザートじゃないよなーって。それで、今この瞬間にもう一杯飲むとしたら、って思って。で、赤い方です」


 気の抜けるような声でもごもごとそんな言い訳をしたのは、カスミだった。


「あー、なんかこう、審査基準としては適切じゃなかったかもですね」


 そう言って額に指先を当てたカスミに、胡耀海は耐えかねた様に笑い爆ぜた。


「は、は、は! わしとしたことが! 確かに、直後の食事ですぐに飲みたいか、までは計算に入れておらなんだ。うむ、カンジよ。一方でお前のスープにはな、コースの前半に相応しく『この後に何が続くのか』と期待させる意外性があった。見事と褒めておこう」


 胡耀海はそのまま、何やら不興げな表情を浮かべると席を立って、カンジのそばへ歩み寄った。


「口惜しいが、この勝負はお前の勝ちだ! わしはやる気をなくした……厨房にはいま、羽を毟った鶏の丸ごと一羽と、ハスの葉と、あとはあれこれの香味野菜。それに紹興酒を一瓶用意してある……作る物は分かるな? 今夜の主菜はいまや免許皆伝の、お前に任せたぞ!」


 そう言って、背伸びをしてカンジの頭を平手で三回軽く叩くと、彼はそのまま後ろ手に手を組んで広間から出て行った。


「なんだぁ?」


 リチャードが呆れ顔でそれを見送る。


 クロエはこちらを見ているカスミに気付き、視線を合わせた。何か言いたげな表情――


「えっと、まさか……」「まさか、ねえ?」


 二人はその瞬間、同じ連想をしていたらしかった。



「「……西遊記!?」」


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?