三日目の午後遅く。カンジとクロエは準備のため厨房にこもり、残るリチャードとラウラ、それにカスミは庭園の六角亭で涼んでいた。
「思ったよりも長い滞在になりそうだな。それに、俺たちはいいがカンジには結構ハードなスケジュールになってるみたいだ」
「私にとっても色々ハードですね……でも居るだけで売れ筋の記事が何本も書けそうなんですから頑張らなくちゃ。こんなチャンス滅多にないですし」
リチャードはもっぱらラウラに向かって話しかけているのだが、カスミはそれに返事する態で無自覚に自分の話をしている。
「……あー。別に頑張ってもらわなくても、こっちは全然いいんだが」
同情のこもらない平板な声でそう返されて、カスミが流石に「うっ」と言葉に詰まった。
「わ、私なにか悪い事言いましたかね……?」
「……はあ。自覚がないみたいだが、お前さん相当に自己中心的で無神経だよな。いま頑張らなきゃならないのはカンジだし、俺たちとしてはお前さんにここで好き放題にあちこち首を突っ込まれるのも、見聞きしたものを全部記事にされるのも容認してないんだ」
「そんなぁ……」
不満そうなカスミに、ラウラが背中のテイルをぐいっと擬した。
「カスミ。あなたも今は私たちと共に団体行動をしているわけですから、ある程度は抑制することを覚えましょう? そうして下されば、私としてはあなたがこの旅に同行し続けることに異存はありませんから」
「そうそう、って、ええ……?」
ラウラが同調しているように見えてまるで違うスタンスでしゃべっていることに気付いて、リチャードは目を剥いた。
「同行し続けるって……まさかこの先の旅にずっと、こいつを? 冗談じゃない、俺は反対だぞ。カンジだってそのはずだ」
「リチャード。
「そ、そういうもんかぁ?」
「確かにカスミは人間として欠陥が多く、およそ組織のなかで適合できる人間ではありませんが――」
「
カスミが抗議の声を上げた。
「そういうとこですよ、カスミ? ――でも、だからこそ大きなメディア企業よりも、鋭く迅速に、真実に切り込めるようになる、かも知れません。私個人としては、あなたに
「やったぁ! 将来性ならだれにも負けませんよ任せてください! あ、それに私、変装とか得意なんで! 潜入取材とかできます!」
認められたと有頂天で売り込みにかかるカスミだが、リチャードはどこまでも冷淡で態度は軟化していない。
「だから! 潜入とかせずに取材は正面から来いよ……それがイヤだってんだよ、カンジも」
「……まあ実際、ダメ元で確保しておく感じなんですけどね」
「ぐぐぐ……」
上げて落とすラウラにとどめを刺されて、カスミはベンチの上で小さくなってしまったが――別に懲りても反省してもいないのは明白だった。
* * * * *
「さて、皆集まったな? それでは始めるとしよう」
試験開始に定められた刻限。
クロエたちが囲んだ広間のテーブルに、台車に乗せて二つのスープ鉢が運ばれてきた。
「……赤い鉢が俺の、白い鉢が師父のスープだ。皆にはこれを一杯づつ同時に出す。先攻後攻で有利不利が出ないように、同時進行で飲み比べてもらおう」
カンジと胡耀海がそれぞれ手分けして、クロエたちの前に二つずつスープを注いだ椀を並べて行った。
「こりゃ、対照的な見かけだな……」
「どっちもいい匂いですね!」
カスミが胸の前で嬉しそうに手を揉み合わせた。
クロエも目の前のスープを観察する。片方はレシピの開発を手伝ってカンジと共に作業したものだ。昨日の「成果」だった。
「じゃあまずこっちの、白い鉢のスープから。スープそのものも白っぽいですね……浮いてるこれは何でしょうか? 白くてプルプルしていて……」
カスミが白いスープをスプーンですくって口に運んだ。
「あ、とろみがある。これは葛ですね? ほんの少し葛を加えてあるんだ……わ、冷たくて甘い! コースの前半に出る普通のスープみたいなのかと思ったけど、これは不意打ちですよ……!」
クロエもスプーンを口に運んだ。彼女はそのプルプルした物体に心当たりがあった。ほぼ無色で半透明。クラゲのようにも感じるがいくぶん弾力に乏しくもう少し水気が勝る、これは――
「これは白キクラゲ……! デザートに使われてるのを食べたことあります、地球でもなかなか貴重な高級食材ですよね」
「ふむ。お主ら、なかなか良い舌をしておるようだな……」
褒められる一方で、クロエはその舌を大いに巻いていた。流石に当代最高峰の料理人だけのことはある。
この完成したスープからは、あの鉱物感のある独特の味はほとんど感じられない。甘味はハチミツらしいが、苦手な向きも多いであろうあの舌に絡むような強さはなく、わずかに添えられたハーブの香りが初夏の風を連想する爽やかさをかもし出していた。
(やっぱり、凄いなあ……!)
さて一方、カンジのスープは――
「へえ。なにか野菜のみじん切りと、炒り卵みたいなのが入ってるな……夜食に良さそうだが――おおっ?」
最初に口に運んだリチャードが、意表を突かれた様子で目を瞬いた。
「これも甘い系か……いや、どっちかというと主体はこの酸味だな? 昨日飲んだ基本形に比べると随分強まってるが……?」
ほう、と一声もらすと、胡耀海がカンジのスープを一杯、自分用に椀に取った。
「酸味を強調するか……だが、何を入れても元の味を打ちけ――ん? むむっ!?」
してやったり――クロエは密かにカンジと目配せを交わして、快哉を上げた。
「……ばかな。濃さは違えど原液の酸味と何も変わらんとは……カンジよ、何をした?」
「余分な酸味は何も新たに加えていません、師父。そのスープは、下処理した原液をさらに二分の一の体積まで、煮詰めてあります」
「何と、何と……ははは、やりおるな、カンジ。それにこの野菜は……空心菜か。面白い!」
「ありがとうございます。当初は卵とタケノコを使おうと思ったのですが、少々考えを変えました。敢えて独特の癖がある空心菜で、原液が持つ苦みや渋みと引き立て合う方向を狙っています」
「うむ……良い創意工夫よ」
クロエはほくそ笑んだ。人格者ではあるが尊大なこの料理人を、カンジのスープが驚かせることができたのだ。それだけでもきっと、大したものだ。
「甘味の中に潜んだこの苦み……ちょっと、大人ぶった少女がコーヒーを嗜む姿を連想しました」
ラウラがカンジのスープを飲んで、ごくりとのどを鳴らした。
「艦隊勤務を経験している私には、格別に響く味ですね、ホッとします。でも、全体の味は酸味と塩味もあって、パンに合いそうなんですよね……ほんと、夜食に良さそう」
「へへ、ラウラ艦長と意見が合うのは嬉しいね……!」
「そういえばあなた達も、元は軍人でしたね」
二種類のスープは、それぞれに技巧の窮まったものだった。材料こそシンプルだったり、ありふれたものを使ってあったりするが、料理としてまとめるための手際と材料の配合が絶妙なのだ。
審査に差し支えないよう、最低限の量だけ味わったクロエたちだったが、正直物足りないと感じるほどだった。
(このあと食事だし、まだ残ってるからそれぞれ合う順番に出せるかな……)
そんなことを考えているとスープの台車が片づけられて、各人に赤と白の紙片が配られた。そしてテーブルの上には、籐で編まれた小さな壺籠。
「さて投票の時間だ。お主らが美味いと思った方のスープと同じ色の紙片を、この籠に投じてもらおう」