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第38話 師への挑戦.2

 小ぢんまりした邸宅の中。数分も歩きまわれば、互いにどこに居ようとも、いずれ顔を合わせることになるのは明白だ。屋内では見つからなかったカンジだが、クロエは庭に出てすぐに彼の姿を目に止めた。泉水のほとりに建てられた、六角形のガゼボの中にカンジはいた。


「――カンジさん」


「ん……クロエか」


 亭の中央に小さなテーブルと丸椅子スツールが置かれ、少し離れて三人掛けくらいのベンチもあった。カンジはスツールに座って上体をテーブルに半ば預け、泉水の水面をじっと睨んでいた。


「食事抜きなんて、大丈夫ですか……?」


「ああ、問題ないよ。どうせいろいろな調理法を試す間、あれこれと味見や試食を繰り返すことになるんだ……回数を重ねるだけ、こっちの舌も鈍る。出来るだけ少ない試行回数で、理想の味付けを見つけなきゃならない」


「凄いんですね……」


「実際過酷な試験だ。だが、この機会を設けてくださった師父には、感謝しかない……そして、できれば失望させたくないな」


「ええ……勝敗の条件は緩めに聞こえるけど、勝ったか負けたかなんて当事者には明白ですよね、きっと」


 クロエにはなんとなく分かった。おそらく自分たち四人の票など実際にはほとんど意味がない。いうなれば賑やかしにすぎないのだ。


「君の言うとおりだ。それに性質たちの悪いことがもう一つある……食材も調味料も道具も、すべて師父が提供してくれるわけだが、つまり、それは――」


「それは?」


 おうむ返しに訊き返したが、言い終わった瞬間に、クロエはその意味に思い至っていた。続くカンジの言葉も、それを裏付けた。


「何をどう作ろうが、工夫を凝らそうが、俺のやることは師匠の手のひらの上ということさ! 感謝はしているが、こいつは酷いペテンだ。師父はあの『原始生命のスープ』を、恐らくこれまでに何度も材料として扱っている。それにストックの食材その他も、師父が慣れ親しんで使い続け、熟知しているものだ」


「ですよね……それで勝って見せろ、って。普通に考えたらすごい無茶振りです」


「ああ。だが、それでも俺は師匠に勝ちたい――そう思わされた。こんな気分になったのは、本当に久しぶりだ……久しぶりなんだ」


 カンジは視線を落とした膝の間で、自分の握力を確認するように右手を何度も開いてはまた握りしめた。



「……何かお手伝いできること、あります?」


 クロエは思わず、そう申し出てしまった。普通に考えれば、料理勝負で審査員が片方の対戦者を肩入れして手伝うことなど、失格の良い口実なのだろうが。だが、カンジはそれを咎めもせず、笑いもしなかった。


「そうだな……じゃあ試食を頼もうか。店をこの三か月のあいだ手伝ってもらったが、君の舌は――味覚は、信頼できる。嗅覚に至っては俺以上かもしれん」


「分かりました。私が試食すれば、そのぶんカンジさんの味覚が疲労せずに済みますよね」



 会話がいったん途切れて、庭園を静けさが庭園を包む。

 と、どこからか鳥のような姿をした生物が、漂うようにふわふわと飛んできた。それが泉水のほとりに降り立つのを、クロエは息を吞んで見守った。


 二対の翼を持つところを見ると、ホークビルで降下してくる途中に見た細長い奴と類縁の生物なのだろうか?

 胴体は鳩ほどの大きさで桃色のふわふわした毛におおわれ、同じ色の翼を交互に拡げながら天然石の敷石の上を細長い脚でゆっくりと歩いている。


 金属的な光沢を示す青緑色をしたそいつの脚を見ているうちに、クロエはそれが鳥よりもむしろ、地球の昆虫に似ていると感じた。


「ヨツバネトキか、久しぶりに見たなあ。こいつらは人間を怖がらない性質でね。以前も毎日のように、ここに水を飲みに来てたもんだ」


「水を?」


「うん、見てて」


 生き物はきゅる、と甲高い鳴き声らしきものを上げると、水面に向かってかがみこみ、丸い胴体からにゅるんとオレンジ色の筒状器官を押し出した。

 その先端は花弁のように五つに分かれている。それを水中に差し込んで、ヨツバネトキはプルプルと震えながら水を吸い上げていた。


「うわぁ……」


 クロエは思わず一歩後ろへ下がった。鳥だと思っていたのに、今のは落差がありすぎて正直受け入れられない。


「そう毛嫌いすることもないだろう。大人しいし、見慣れるとなかなか可愛い」


 カンジはそういうが、やはり想像を超えた奇怪な生き物と思える。やはりここは、異星なのだ。



 そのあとクロエは二つある厨房のうち一つで、まずは夕食の時間が来るまでカンジを手伝うことにした。

 カンジによればこの邸宅にある厨房は、どちらも大きと設備、その配置、置かれている食材などが全く瓜二つになっているらしい。


「全く……師父はどこまで周到なんだ。食材も調味料も器具も、何から何まで一緒……こんな厨房が二つあっても、使う機会なんて普通はないだろうに」


「それって、まさかカンジさんの試験のために」


「ああ、もしかすると、いや多分そうかな」


 苦笑いしながら、カンジは例の水がめから分け取ってきた「スープ」を、寸胴鍋に移した。


「さて、どういう味付けにするか……」


 乾燥品の棚や冷蔵庫と作業台の間を何度も往復しながら首をひねる。


「カスミは旨味を指摘していたが……俺に言わせればこのスープの最大の特徴はそこじゃない。この、独特の酸味だ。酢や果汁とも違う、このわずかな酸っぱさ。こいつを活かすべきだと思うんだ」


 カンジは作業台の上に積まれた、乾燥した香辛料の中から注意深くほんの数種類だけをつまみ上げた。白胡椒にウイキョウ、セージ、それに桂皮シナモンなど。


「甘酸っぱい感じになりそうですね……?」


「そうだな。具は卵とタケノコ辺りを、できるだけ軽い食感で……いや、春雨の喉越しを加えるべきか? とにかく、時間がある限り何種類か作ってみよう」


 選んだ食材と調味料、香辛料を使い、さまざまに配合を試しまた微妙な手順の変更を加えながら、カンジは何通りかの試作品を作っていった。


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