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第33話 壺天の邂逅.1

 発着場に降りたクロエたちは、いったん船の外へ出た。 

 時刻はおよそ早朝と言ったところ。赤道に近い緯度ではあるが、肌に振れる空気はむしろ冷たく感じられた。恒星からの距離と外殻の比熱、あとは気圧が影響しているのか。


 「壺天」での滞在、活動には船と搭載機、人員まですべて除染する必要がある。係員の案内で発着場から少し離れた検疫・防除センターの施設へと向かって歩き出そうとした、その時。


 甘ったるいがどこか険の抜けきらない、若い女の声が聞こえてきた。


 ――ですからぁ! 明後日までには取材を済ませて、記事を船便で送らなきゃならないんですってば! こんな形式的な手続きで時間を奪うのはやめてください! 


 クロエは思わず声の方を振り向いて、声の主を確認した――古臭い秘境探検もののコミックに描かれているような、袖なしのサファリ・ベストにつば広のバケットハット。ゆったりしたショートパンツに、足元はストラップ付きの軽便なサンダル――軽便すぎる。


 肌はカンジ同様東アジア人特有の淡いオレンジ色で、髪はやや癖のある黒髪のショートボブ。手元には透かし彫りの施された薄い木片を繋ぎ合わせた扇をもち、特段暑くもないのにそれをせわしなくパタパタと動かしていた。


「……もしかして」


「ええ。ビンゴ! ってやつじゃないですかね……」


 すぐとなりにいたリチャードと、うなずきながら顔を見合わせる。その傍らを、物凄い初速で駆け抜けようとするカンジ――


「待って」


 何とか服のベルトを掴んで引きとどめる。


「あっこら、放せ! あれがカスミ・砂岡だ、間違いない。とっ捕まえて締め上げ――」


「分かりますよ、分かりますけど暴力はダメです! ましてや女の子を!」


「『子』ってタマかあれが!」


「いや、まあ齢はさほど食ってないし、『子』でも良くないか……?」


 騒いでいるうちに、どうやら向こうの方でこちらに気が付いたらしい。万の援軍を得たとでも言いたげな様子ですたすたと近づいてきて、事もあろうにカンジの腕を両手でぎゅっと握った。


「ちょうどよかった! あなた方も民間人ですよね? 一緒に談判してくださいよ、ここのお役所がもうそれはホントに気が利かなくって、融通も利かなくって!」


 本人比最高級の笑顔を見せつつ、腕を握った相手の顔を見上げて――カスミはその場で固まった。


「ふ、フルソマ……店長……?」


 口角を吊り上げた凄みのある笑顔を作ろうとして、カンジは例によって無様に失敗していた。



  * * * * *



「終わったぁ……私のライター生命終った……もうだめだぁ」


 べそべそと鬱陶しくふさぎ込むカスミを間に挟んで、クロエとリチャードはホークビルのキャビンに座っていた。


「……安心しろよ。ライター生命が終わったところで、あんたの人生は当分続くから」


「それ、最悪に終わってるやつじゃないですかぁ」



 本人の談によればカスミ・砂岡はライターとしてはまだ二流の駆け出し。天の川ニュースネットワークと契約はしているものの、取材費は多くの場合自分持ち。

 私用ではなかなか旅行もできない、というくらいの経済状態で、今回の「壺天」への取材も、件の定期貨物船「花筏」に個人的なツテを恃んで何とか潜り込ませてもらった、といういきさつだったらしかった。



「もうちょっと早く移動できれば、記事の更新予定までに余裕で発送できてたんですけどね……はあ」


「海賊に殺されてたかもしれんのだ。運がよかったと思えよ」


「とにかくですね……個人的には同情しますけど、検疫・防除のすっ飛ばしは絶対ダメです! 私だって宇宙植民規制法と異星生物保護法を細則まで全部理解してるわけじゃないですが……現地生態系の破壊はほう助、教唆まで含めて重罪ですからね」


「だってだって」


 スンスンと鼻をすすって泣き出すカスミに、リチャードは「最悪だなこいつ」とうめいて顔をそむけた。



「やっぱり殴っておけばよかったか……」


 キャビンの扉が開いて、カンジがコクピットから移動してくる。


「暴力はダメですってば。まあこう考えましょうよ。これで私たちは、カスミさんが『壺天』の生態系や胡耀海老師の身辺に悪さをしないように、監視下に置ける――そう思えばこの同行も悪くないでしょ……あれ、カンジさんホークビルの操縦は?」


「ああ、ラウラに代わってもらってる。接続しなくても、さすが宇宙艦のパイロット職は違うな」


「なら安心ですね……で、カスミさん。あなたの原稿遅延に関してはですね、私たちが依頼主に一筆添えますし、今回の原稿料がフイになる分は補填しますから」


「……俺は嫌だぞ」


「じゃあ、私が補填します!」


「黙ってたら俺が補填するはずだったのか……」


「えっと、えっと……胡耀海氏へのインタビューはさせていただけるんでしょうか」


 カスミがすがるような眼で二人を見上げた。


「うーん、どうしよっかなぁ?」


「カンジさん!?」


 カスミの処遇を巡ってああだこうだと騒ぐキャビンをよそに、ホークビルは「壺天」の大気圏内をゆったりとした速度で飛行していく。やがて眼下に広がる赤灰色の大地がぷつりと途切れて、雲に覆われた広大な水面を蔵した、巨大な「穴」が姿を現した。


〈これが目的地の『穴』ですね。ビーコンが発信されているので、それをたどって降下します〉


 コクピットのラウラから、艇内にアナウンスが行われる。クロエはカスミを誘って、ホークビルのキャビンに面した観測窓のそばへと移動した


「凄い眺め……」


 穴の直径は、推定で30㎞を超えるだろうか。高度が下がるにつれて、気温が上昇している。循環する水蒸気が、ちょうど蒸し器のようにこの穴の内側を温めているのだろう。


 青い水面は不思議にもゆったりと波打っていて、紅葉を迎えているのか色とりどりの葉をつけた樹木が、その水面を縁取り陸地を覆って、鮮やかな景観を作り出していた。


 窓の外を、羽毛らしきものに覆われ二対の翼をもつ、細長い体をした生物がうねるように通り過ぎて行く。


「……大地に点在する巨大な縦穴。そこに湛えられた湖水と、霧に包まれた五色の森林……美しい場所ですね」


「うん。穴ごとに異なるこの奇跡のような景観こそが、『壺天』と呼ばれるゆえんだ」


 良い感じのやり取りに一瞬キャビンの空気が和んだが、一瞬後。そのそれぞれの発言者がカスミとカンジであることにお互いが気付いていた。


「……何だ、これ」


「い、一応私、これでも文筆業なんでぇ……言葉を紡ぐセンスには、その」


「……自負あり、か。まあいいが。くれぐれも師父を煩わすなよ」

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