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第30話 出航

「どうした?」


「今もそうだが、宇宙港内部での船の挙動は、すべて管制室でモニターされているわけだ。入港可能なサイズなら戦闘艦から小型のバージまで。例外なくだ」


「うん、そうだな――だがなぜ急にそんな話を?」


「こんな大きな宇宙船でゲートへ向かうのは久しぶりだ。緊張して余計なことを考えちまう。なあ、俺が入院したあの事故だが」


 クロエは二人の会話に耳をそばだてた。そういえば、リチャードの事故の経緯についてはまだ結局聞きそびれたままだ。


「どういう事故だったんです?」


「ほらリチャード、変な話をするからクロエに食いつかれたぞ? お前の名誉のために黙っていたんだがな」


「別に隠すようなことでもない。よそ見運転の類だよ、クロエ」


 軽い調子で笑い飛ばそうとしたリチャードだったが、彼はすぐにまた考え込む様子になった。


「確かにあの時、俺は管制室の女性オペレーターにデレついて、厚かましく私的な通信をしながら航行していたが……」


「うわ最低」


「まあ最低で構わん。だが、俺の借りてた作業艇に突っ込んできた、あの中型輸送船は今考えてもどうもおかしかった。何のアラートも出さず、管制室からの制止も受けずに接近してきたふうだったんだ」


「ただの事故だよ。気にし過ぎだ」


 カンジがため息をついた。


「もしかしたら――」


「よせって。考えてることは分かるが、あれは何かの偶然だ。仕組まれたものなら、あの一回で済むはずがない。だが現実はご存知の通りだ。お前は無事退院したし、店にはスタッフが増えた。その間におかしなことは何も起きていないんだ、心配ないさ」


「……うん、そうだな、多分おれの取り越し苦労だ。この話はやめよう」


(仕組まれる……?)


 クロエには、カンジの漏らした一言がどうにも気にかかった。彼らには誰かから事故を装って何かを仕組まれるようなそんな事情があるのだろうか?




管制室コントロールより『クレイヴン』。貴船はまもなく、出入港ゲートへの軸線に乗ります。こちらの指示とガイドビーコンに従って、安全速度でゲートへ向かってください〉


「こちら『クレイヴン』、了解。このまま前進します」


 三人が不穏な雑談を巡らす間にも、ラウラと管制室との細かなやり取りは続いていた。

 観測窓の外を、港湾内の標識灯や広告パネルが明滅しながら流れていく。すでにこの辺りは、居住区とはエアロックで隔離された区画。船外に空気はない。前方には長方形をしたゲートの形に切り取られた星空が、次第にその見かけサイズを増してきていた。



〈ゲート突入まで二十秒。カウントダウン開始します 18……17……〉


「ランディングギア収納。進路このまま、ようそろステディアズシーゴーズ


 ステーションの自転に合わせて、ゲートへ向かう船はわずかずつ船体をロール軸で回転させていく。その動きには全く遅延も先行も見られない。この正確さこそ、鋼殻竜人シェル・ドレークの能力がもたらすものなのだろう。


〈3……2……1……ゲート通過確認。良い旅を、『クレイヴン』〉


 ゲート通過時には、密輸品などのチェックのため船体に強制的な多重スキャンが行われる。幸いに何も異常は検出されず、クレイヴンはその扁平な船体を滑らせて、宇宙空間へ優雅に飛び出していた。



 ――今は心配ないさ。今はな……


 カンジがふと、そんな言葉を漏らすのが聴こえた。


「今は?」


「そう、今は。だからこそ、カスミ・砂岡みたいな行儀の悪いジャーナリストとはできれば関わりたくない……関わりたくなかった」



 雲台14を離れた「クレイヴン」は、慣性制御下で速やかに星系内巡航速度に達した。そこから「大行タイハン」の重力による影響が少ない星系外縁部へ向けて移動し、ジャンプに入るのだ。 


「進路、プレセペ星団方向へ。ジャンプ航法シーケンス開始します」


 ラウラがアナウンスする声が、ブリッジに柔らかく響く。「クレイヴン」は各部の姿勢制御スラスターを断続的に噴射し、艦首を天頂方向へ向けた。


「距離は四〇光年か。近いと言えば近いが、光速以下で行くのは遠慮したいな。デートに遅刻しちまうぜ」


「違いない。光の速さで歩いたとしても、帰りの電車がなくなりそうだ」


 男二人が分かったようなわからないような冗談を飛ばし合う中、ジャンプドライブ装置のコンデンサに主機から数分かけてエネルギーがチャージされていく。歌うようなハミング音が艦全体を震わせ、それが最高潮に達したのち。


 クロエにとっての時間と空間が、認識の外へ消し飛んだ。

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