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第29話 師に迫る迷惑.2

  * * * * *



「お待ちどお。培養イカの芫爆尤魚イェンパオヨウユィ(イカの強火炒め)(※)だ。熱いうちに食ってくれ」


「何だか物凄い速さで出来ましたね!? まだ湯気が……おお、いい香り!」


 ラウラが目を丸くして、テーブルの真ん中に置かれた皿を見つめた。


「オリオン弁当の方から、今日の販売分に使った残りの培養イカを回してもらえたんでね。時間も遅くなったし、すぐに仕上がる料理にしてみた」


 「芫爆尤魚」とは――飾り切りを施して湯通ししたイカを高温の油で加熱し、あらかじめ味付けを済ませた香味野菜と共にごく短時間で炒めたものである。


 ちなみに、培養イカの歴史は古い。太陽系進出期の火星で、医療用の組織クローニング設備を流用してイカの筋組織と外套膜を、に培養したのが始まりだ。 

 厚みや硬さを比較的自由に調節でき、さまざまな種類のイカを再現した食味を安価に楽しめる――


「これは素晴らしい一品です。賄いのレベルを超えていますね」


「ああ。賄いとして作るのはやめた。これは……艦長の歓迎の宴だと思ってもらっていい」


 ふふっと嬉しそうに笑って、ラウラがうなずいた。


「ありがとうございます。良いチームとしてやっていけるよう、お互いに頑張りましょう。まあ、私はクロエが最優先ですけどね!」


「も、もう! ラウラ姉ったら……! それはそうとカンジさん――」


 堂々とそんな風に宣言されると、流石にカンジたちが気を悪くしないか――隙あらばハラハラするような空気が漂うのを、なんとか切り替えようとクロエは別の話題を振った。


「胡耀海さんって、どんな方なんです?」


「ん……そうだな――」


 いささか不意打ちだったらしく、カンジは一瞬、言葉を探しあぐねたように店の中を見廻した。彼の視線が止まった先には、あの「“人們就是他吃的東西”(人は食べたものによって成る)」と大書された扁額があった。


「……まだ軍に入る前だ。俺はちょっとしたきっかけがあって、料理の道に進むことになった。最初の師は胡耀海師父の弟子だったんだが、ずいぶん目をかけてくれて、すぐに師父に引き合わされたんだ」


「へぇ」


「そういえば、住み込みで修行することになって最初の日に出た食事がこの芫爆尤魚だったな……」


「それで、私にも歓迎の意味で出してくれたのですね?」


 ラウラの質問は、カンジの何とも奇妙な表情で返された――たぶん微笑なのだろうが。


「どんな方、と言えば、まあ変わり者ではあった。自分の名前が広東語の芙蓉蟹フーヨンハイにかかっていそうで微妙にかかっていないのを、何かと残念がるような……そんな稚気の抜けないところがあったな。だが料理の腕は本物で――」


「ぷっ」


 リチャードがひどくツボをつかれた様子で吹き出した。


「『貝になりたい』ってのは何かで聞いたことがあるフレーズだが、カニのダジャレになりたかったってのは……ずいぶん愉快なお人らしいな?」


「……うん。だが一方で、人間と『食』の関わりについて思索を重ね、深い哲学と思想を培われた方でもある。さっき話題に上がったが、あの扁額も師父の言葉を書き留めたものだよ。とにかく料理の世界では『知る人ぞ知る』という言葉がふさわしい達人。それが師父だ」


 カンジは夢見るようにまぶたを閉じて、尊敬と憧憬に震える声で師をたたえた。


「今は一線を退いて『壺天』に隠棲しておられる。以前に訪ねた時とお変わりなければ、きっと今もあそこの豊かな自然の中で探求を続けておいでのはずだが……あるいは」


 目を見開いて、花のように包丁を入れられたイカの肉を箸で口に運ぶ。ゆっくりと咀嚼してのみこむと、カンジは言葉を継いだ。


「師父なら、『まるいの』についても何か助言を下さるかもしれない。あの方もコープランド翁と同じく、若いころに星から星へと身一つで渡り歩いた経験がおありなのだから」




 翌日の夕方近く――


「ふええ……疲れたぁ―っ!!」


 クロエはブリッジの座席に完全に体を放り出して、歓声とも悲鳴ともつかない声を上げた。

 この座席は非常時のために一応の耐G機能を持たせたタイプの、体によくフィットするバケットシートである。そこそこに人間を駄目にする力を有していた。


「クロエ、はしたないですよ」


「仕方ないじゃない! 大体一日足らずで恒星間旅行の準備を済ませるとか、無茶ですって。私なんか端末の再設定もあって、もうカッチカチにタイトだったんですよぉ」


 ラウラにたしなめられて、クロエはかえって泣きが入るモードになった。


「それでも、ちゃんと全部間に合ったじゃないか。大したもんだ」


「この三カ月、カンジに鍛えられたみたいだしなー」


 他人事のように言っているが、一番働いたのは恐らくリチャードだ。ホークビルで入り組んだ港湾内を移動してクレイヴンの着陸パッドまで持ち込み、宇宙港の作業艇を借り出して物資や手回り品の積み込みと縦横無尽だった。


 ホークビル及びグリル・ランナーは艦載艇とその備品としてシステムに組み込まれ、その作業も何とか四人がかりの突貫工事で片づけた。それでようやく、出航準備を済ませてクレイブンのメインブリッジに集合したのがたった今のこと。



 ブリッジの中央からやや後方、一段高くなった席にはラウラが立っていた。彼女の背部からは縦長な紡錘形の断面を持つ重厚なケーブル、「コネクター・テイル」が後方へと延び、艦の中枢を担うコンピューターシェルに接続されている。


 その姿は確かに、人の姿を真似て身をやつしたドラゴンの眷属を思わせた。 


「準備はよろしいですね? これより出航シークエンスに入ります。総員、ベルトを着用してください……はて、なんで私、I型フリゲートの艦長なのに、観光船の客席乗務員みたいなセリフを言ってるんでしょうか?」


「……ラウラ、気にしたら負けよ」


 艦のジェネレータが静かなうなりを上げて稼働を始めた。電力を送り込まれた慣性制御装置が作動し、船がゆっくりと浮上して、ステーションの回転軸方向へと移動していく。


「なあ、カンジ」


 動き出した船の振動に紛れて、リチャードがぼそりとつぶやいた。





※ 尤の部分は正しくは魚偏( 魚尤 )なのですが、環境依存かなにかで表示できないので旁(つくり)のみで表記しています。

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