絶対に、父には会話のペースを掴ませない。
〈クロエ……クロエ。一年も遊びまわって、お前は何をしている。何のつもりだ〉
そうか、まだこんな認識なのか。クロエはいっそ惨めな気持ちになった。
「遊んでるわけじゃない。私は、お父さんの考えてるのとは違う生き方をしたい――それだけなの」
〈下らん。若者によくありがちな反抗か? よく考えろ、お前は私のただ一人の実子なんだぞ……コーポレーションズの工業・兵器部門を担う、コープランド・ジェネラル・アームズ社を引き継ぐ資格と責務がある。それにリンゼイ・マクレディは実務経験こそ乏しいが、タルシス大学の過程を三年に短縮して卒業し、経営学の論文を既に五本通している秀才だ。彼と結婚すれば将来的にオリオン
熱のこもった長広舌。げっそりする。
確かに父にとっては、会社の経営とグループ内での発言力は何より重要なことだろう。そのおかげで裕福な暮らしができ、小娘一人の身の丈以上を考える余裕があるのだということも、クロエには十分わかっているが。
「……ええ、ええ。とても現実的で、社会的にも意義のあるビジョンだと思う。それに文句のある人はそうそういないでしょうね」
〈何だ、案外素直にモノが言えるじゃないか。だったら――〉
「でもね」
固くよそよそしい響きを伴わせて、クロエは父の口説きを遮った。
「私には別のビジョンがあるのよ。ハイスクールに上がる前から、ずっと温めてたの」
〈子供のころからの夢、というわけか……? 私にはなにも話してくれなかったと思うが〉
「それはそうでしょ。お父さんはいつも仕事に忙しくて、ゆっくり私の話を聞いてくれる事なんてなかったもの。でもお母さんには何度か話したわ。賛成してくれた。応援してくれるって」
母のことを話題にすると、父はかすかに動揺の色を見せた。
〈……いったい何だ。知らんぞ、私は〉
そうか、とクロエは胸に落ちた。母は父にそのことも話さずに家を出たのだ。
それはそうだろう――クロエを儲けた以上、父と母の間に愛情は確かにあったのだろうが、住む世界と見ている方向は全く違っていた。いったいそれでどうやって知りあい結ばれることになったのか、ついぞ納得する説明を聞いたことがない。
〈いや、待て……ジュリアに? まさか……〉
よし、ここだ。どうやら父も気づいた。爆弾を放り込むなら今が最高のタイミング。
(そういや聞いてなかったな。お前さん、将来何になるつもりだって?)
(黙って聞いててくださいって)
足元の床にしゃがんだ体勢から、リチャードが小声で要らない合いの手を入れてきた。
それには塩対応を返しつつ、クロエはすっと背筋を伸ばし、画面向こうの父に向ってせいいっぱいの気迫を込めて答えた。
「……まずは大学を出て
〈調整官だと!? バカな。クロエ、本気で言ってるのか?〉
画面の奥で父が明らかに取り乱したのが分かった。傍らにいたリチャードが、ひどく愉快そうに笑う。
(ははっ、そりゃまたずいぶんと上を見たもんだな……! そりゃ、なれるもんなら政略結婚なんぞ――)
「――道端で拾った
(……そこまでは言うてやるなよ)
おっかぶせて酷い裁定を下したクロエを、リチャードはなにやら恨めしそうな面持ちで見上げた
何らかの問題が生じた植民惑星や開拓拠点へ赴いて実地での調査を行い、現地の状況と要請に応じた解決手段を立案。
場合によってはその執行をも担う、常設定員十二名の特別実務担当者である。
「……調整局勤めだったお母さんは、補佐官までにはなったのよね? ……子供のころからいろいろ話を聞いて、憧れてた。家を出て行ったのは、私が十二の年だったわね」
調整局補佐官は文字通り調整官の片腕となって、実務――主に後方での事務を担当する責任者だ。これとておよそ凡人に務まる職務ではない。
〈……なるほどな。娘が母親を
父の声が自嘲めいた色を帯びる。そんな円満な家庭なら、二人はこんな朽ちかけたコロニーの端と端で、通信機越しにうっすらとノイズの被った話し合いなどせずに済んだろうとでも言いたげに。
〈簡単そうに言うが、できると思っているのか? 『道で拾った硬貨』というが、ならばお前はその代りに爆弾を拾うか、他人の吐いたものに転んで顔から突っ込むことになるかもしれんのだぞ?〉
リチャードとの軽口も聞かれていたらしい。父がこんな粗野な物言いをするとは珍しいことだ。
「やって見せるわ」
クロエの声はわずかに震えていた。画面の向こうにもたぶん、伝わってしまっているだろう。
「簡単じゃないってことくらい、元から分かってる。最上級の公務員試験をパスして、普通の官庁で実務経験も積まなきゃならないし……専門的な学識や資格も必要だって。私はハイスクールから大学へ上がるコースをドロップアウトさせられて、必要な学びの端緒にもつけていない。でもね――」
ここまでの旅は、決して無駄なものではないはずだ。
「ここに来るまでに、あちこちの星系でいろんなものを見たわ。お金持ちが水を独占してる、平均気温三十度超えの砂の星とか。戦争で破壊された工場の跡を、未成年の労働者に採掘させてる廃墟の星とか……」
旅の途中で立ち寄った星々は、クロエに宇宙の広さと人間の逞しさを、同時に愚かさをも教えてくれた。
「この雲台14だって、難しい問題をたくさん抱えてる――行政機関のキャパシティと維持しなきゃならないインフラと総人口の、バランスがまるで取れてない。でも地表の海では漁協と水産会社が、ルールを守って資源保護と漁獲を両立させてた。ナマコモドキ漁には海と生物の、想像もしていなかったような調和と……神秘。そう、神秘があった」
いつのまにか、父は口をつぐんで画面越しにただクロエを見ていた。その表情はどこか、クロエに「続けろ。もっと強く、私を納得させるまで語って見ろ」とでもいうようだった。
「調整官の仕事って、たぶんイメージほど華やかでもなければ、すっきりと片付く類のものじゃない、そう思う。私が見てきたような、ありとあらゆる場所で生きている人間とそれを包む環境とを実際に見ないと、たぶん何一つ進まない。私がこうやって旅を続けたり、旅先での
言うべきことは洗いざらい吐き出した――クロエはそれだけでも、ささやかな達成感を覚えた。
「だから……私がやってることは、きっと目標に通じてる。無駄な回り道なんかじゃないわ。納得できるまで、そしてチャンスをつかめるまで続けさせてほしい」
プレゼンは終わり、沈黙がその場に満ちる。時間の流れが急に減速したような感覚。父のまぶたがピクリと動き、そのまま数十秒が過ぎた。
さらに一分。そして二分――
長い溜息の後、トビアス・コープランドはゆっくりと目を開いて、画面越しにクロエを見た。
〈言いたいことは分かった……正直、まだまだ夢見る娘のたわごと、と言う印象しかない。だが、お前が自分なりに将来への見通しを立てようとしていたのは分かった。頭ごなしに否定するべきでなかったとも認めよう〉
「ありがとう……ちょっと意外だった。でも、どうやらホークビルで軌道上へ飛び出さずに済んだみたいね」
「おいやめろ」
〈そんなつもりでいたのか! 年寄りの心臓にあまり負担をかけるんじゃないぞ、この性悪娘め……まあいい、そんな危なっかしい所にいないで、一度この店まで戻って来なさい。連れ帰るのはいったん保留だ、その上で話がある〉
「……分かった」
〈O.S.S.に護衛させるが、くれぐれも気をつけてな……私は少し、カンジ君と話がある。またあとでゆっくり会おう――〉
「あっ」
もう一言、何か言いたかったその刹那。
通信は父の側から唐突に遮断された。画面の向こうで、カンジが父に手招きされて歩み寄るのが一瞬だけ見えた。