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第19話 援護射撃

  * * * * * 



 ヒュウはちょうど、何か腹に入れようと思い立って出かけたところだった。ID持ちの市民が供出するフードバンクの食糧でもいいが、まだ金はあるのだ。

 どうせなら温かく、カロリー以外も摂れるものを落ち着いた場所で食いたい。


 表通りに出て雑踏の中を歩いていると、不意に周囲の雰囲気が変わった。小さな悲鳴がそこここで上がり、人波がさっと割れる。


(何だ、あれは……?)


 一様に同じデザインの黒いスーツを着た数人の男たちが、通りを足早に駆けてくる。いずれも近距離通信用のヘッドセットを着用し、目元はサングラスで隠した姿。一人づつならそういうファッションと片づけられても、複数がまとまって動いていれば、容易に何らかの「制服」であると知れた。


 そして、それは普段見慣れた雲台の星系警察などではない。もしかすると、どこかの組織か企業が送り込んだ非合法要員イリーガルではないか?

 彼らはあちこちの路地や物陰を出入りし、何か探している様子だった。警察のガサ入れだとしても、これほど公然と行われることなど今までに例がない。


 ヒュウの胸に、黒雲のように不安が巻き起こった――まさか。


(おいおい、俺を探してるんじゃあるまいな?)


 うかつに金持ちの旅行者などに手を出すのではなかった。ヒュウは見たものと自分をどうしても結び付けて考えずにいられなかった。

 放棄街区の住人は相当数が何らかの犯罪行為に手を染めてはいるが、ここしばらくの間で旅行者の「個人情報を闇市場に流す」などという大きめのヤマを踏んだものが他にいたかどうか?


 あの娘の情報を売るために、だいぶ危ない橋を渡って立ち回った。決してスマートにやれたとは思っていないし、多分ヒュウの臭跡はそこら中に残ってしまっているはずだ。


(こりゃあ、まずいな。しばらく本気で姿をくらまさないと、命がなくなるかもしれねえ……)


 ヒュウは臆病な男だし、自分がごく小物であることも知っている。何かあれば裏通りのドブ底に転がされるのはこっちだ。

 臆病なりに精一杯の覚悟を固め、彼はその夜、永らく住み着いた放棄街区からいずこへともなく姿をくらました。 



  * * * * *



「お待たせしました。雲台ナマコモドキのオイスターソース炒め。当店屈指、自慢の一品です」


 ゴマ油と八角スターアニス、他にも正体の分からない複数の香辛料が香る皿が、湯気と共に運ばれてきた。


「これがその、看板料理かね」


 コープランドはバカにしたように鼻を鳴らした。なるほど、香りはなかなかのものだ。次いで並べられた皿や椀に一瞥を向ける。

 なんだろう、このブツブツした肌あいの醜悪な物体は? ナマコシー・キューカンバだというなら以前にも見たことがあるが、あれはもっとそれらしい、名前相応の形をしていた。こんな無造作に切り出した羊羹のような物体ではない。


「コウベ牛のヒレ肉やシカのスネ肉に及ぶようなものではなかろうが、まあ食べてみようか」


 カンジの表情がわずかにピクリと動いた。


 人間らしい表情を作るのが不得手なカンジのそれを、「怒りを交えた不敵な笑い」と判別できる者は少なかっただろう。



 意外にもニホン式の箸スティックを標準以上に巧みに操って、コープランドは食事を始めた。スープとサラダを一口づつ食べた後、目の前のゼラチン様の塊に箸先を延ばす。

 弾力に富んだ塊が箸の間で押し切られ、ぶるりと震えた。一口分の大きさに切ったそれを、ゆっくりと咀嚼し味わう。


「ほほう……!」


 複数の肉や魚介のものとわかる、複雑に絡み合った旨味がコープランドの口の中で拡がった。その全体を包むかすかに爽やかな柑橘の香味と、舌と歯を滑らせるゼラチンの食感。

 獣肉ではありえない、癖のない極上のコク。かつて訪れた地球の熱帯地方を思い起こさせる、香辛料の後味が薫風となって吹き抜け、次のもう一口を求めて箸を伸ばさせる。


「なんと、こんな絶品が、こんな朽ちかけたようなステーションで……? 確かに素晴らしい。これは人の生涯を一変させてなお余る味だ……いや、おみそれしたよカンジ・フルソマ君。いったいどこでこんな技術を?」


「……お気に入り頂いたようで何よりです。ごゆっくりお召し上がりください。白飯にはあまりなじみがないかと思いますが」


 質問に期待した答えがないことを、コープランドは敢えて指摘しなかった。


「ん、ああ。これにピラフや炒飯では、かえって余計な色がつきすぎるだろうな……ふむ、この青菜をもう少しもらえるかね」


 カンジの顔に密かな勝利の色が浮かぶ。


「喜んで……ところで、ご存知かもしれませんが。そのナマコモドキは、私が地表で獲ってきたものでして」


「ほお」


「……クロエ嬢の協力、わけても降下艇を維持するための技能習得と、その巧みな運用が無ければこいつは手に入りませんでしたよ。私が彼女について申し上げられることは、それだけです」


「……なるほど。うちの娘がそんなことをね」


 コープランドは目を細め、どこか遠くを見るような表情を浮かべた。異星の海で体を張って、危険と隣り合わせの仕事をする娘の姿を、あらん限りの想像力で思い描いているのに違いない。


「若いというのはいいもんです。何でも覚えられるし、身につく。可能性はいくらでも広がっていく……羨ましい限りですね」


 カンジが静かにそれだけを言い終わったのと、ほぼ同時。カウンター奥の彼の私室で、端末機の着信アラートが小さく鳴り響くのが聴こえた。


「……ちょっと、失礼」


 奥へ消えてすぐ戻ってきたカンジは、自分の端末機をワゴンに載せて、コープランドの座るテーブルの側へと引っ張ってきた。


「これは? デザートにしては風変りだが」


「クロエ嬢から、あなたに通話が入っています」


「妙だな。私はあの子が今端末を持ってないのを知っている……とある筋からあの子がこのステーションでトラブルにあったことを知ってね。端末機のメーカーとサービス提供会社に照会したんだが……」


 IDを有する市民の情報端末機は身分証を兼ねるため、まず個人間での貸し借りが行われない。コープランドはそれを踏まえて首をかしげていた。


「あいつめ。いったい。何を使ってどこから送信しているんだ」


 通話を保留された状態から復帰させ、マイクに向かって話しかけた。


「……私だ。クロエなのか? いったいどこにいるんだ。手間をかけるのもいい加減にしろ」


 その時。


 ――TRRRRRR!


 コープランドの胸元でもう一つ、彼自身の端末から着信アラートが響いた。慌ててワゴンの上の端末を再度保留に切り換える。


「私だ。報告はどうした、何をやってる。クロエの足取りはつかめたのか?」


〈それが……お嬢様は、保線用トロッコで与圧不良区画へ……! こちらは気密服の用意がなかったため、急遽迂回しまして。推測されるルートを追う限りでは宇宙港が最も有望ですが、未だ発見できず。我々の現在地は個人用ドック区画です。目下、停泊中の船を逐一……〉


「この役立たず共が……!」


「……いや、部下の皆さんはよく頑張っておられるのでは。私だったら、そこまでに至ったら諦めて違う手段を検討するところです」


「よく言う。それは暗に愚直なだけということではないか」


 苦々しげにそういうと、コープランドは改めてクロエとの通話回線を開いた。


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