「全く、とんだ営業妨害だ。 ……強く抗議したいですね、コープランドさん」
両腕を後ろに回した状態で屈強な男二人に拘束されたまま、カンジは平静な面持ちで目の前の紳士、トビアス・コープランドにそう告げた。
半白の髪を撫でつけオーダーメイドのスーツに身を包んだ、精悍なたたずまいのこの男がクロエの父であるという。
「君の抗議など、私にはどうということもない。だが半日分の営業利益くらいは喜んで補填して差し上げよう」
「あー、そうですか。だが、本当に半日で済むかな?」
カンジは意味ありげにそういうと、悪戯っぽく首を傾げて見せた。
「どういう意味かね」
「んー、まあ、二通りありますがね。一つは、今日の午後の仕込みがこの店の、向こう一週間の営業を左右するってこと。食材には鮮度があるし、下ごしらえに必要なタイミングもある。このままあと半日もあなた方に居座られたら、クロエに買い出しを頼んだ食材の半分近くは、まともな値段の料理にならなくなります」
「なるほど、言われてみればもっともだな。ではその分も補填を――」
「もう一つはですね」
場末の中華レストラン如き、どうとでも黙らせられる――そう言いたげなコープランドを、カンジは食い気味に遮って言葉を継いだ。
「……なんだ?」
「お宅のお嬢さん――クロエ嬢が、そう簡単に膝を屈してあなたの意志に従うかなってことですよ。あの娘はあれでどうして機転が効くし行動力も――」
TRRRRR!
不意に、コープランドの胸元で端末が着信音を響かせた。
「私だ。娘を確保できたのか?」
〈……申し訳ありません。正体不明の男に介入を受けました。当該人物は極小型の閃光手榴弾らしきものを使用、我々は視界を奪われてクロエ様を見失い――〉
「何をやっとる、馬鹿者! すぐに追え、報告しとる場合か!」
申し訳ありません、と蚊の鳴くような声が漏れ聞こえてくる。
「その男の身元も探れ。娘はID認証なしでどこへ逃げられるものでもあるまいが、危険が及ぶのも困る」
怒気の冷めぬ顔で電話を切ったコープランドをよそに、カンジは内心で含み笑いをしていた。クロエを助けた人物に心当たりがあったのだ。
宇宙港での事故から永らく、設備の整った医療拠点で入院加療に務めていた相棒。軍時代の同期で、同じ部隊に所属した戦友でもあるリチャード・アルマナック。
クロエには知らせそびれていたが、今日という日は彼がリハビリを終えて退院してくる筈の当日だった。彼とクロエが一緒にいるとすれば、可哀想だがあの黒服たち、相当な時間引きずり回される羽目になるだろう――カンジにとってもそれは、あまりありがたくない事ではあるが。
「コープランドさん」
「なんだね。まだ何か言うことが?」
「部下に私の拘束を解かせてください。あなた達の邪魔はしないが、仕事はしなきゃならないんだ」
コープランドは一瞬ためらったが、部下に目顔で合図して彼を解放させた。カンジはぺこりと頭を下げ、照れ隠しめいて頭を掻いてみせた。
「ありがとうございます。それで一つ、提案があるんですがね……そろそろ食事の時間でしょう? お嬢さんを待つ間、『
* * * * *
「もう下ろしても大丈夫か。立てるな?」
「あ、はい」
半ばステーションの外壁に埋もれるような形になった、半地下式の通路を抜けて走ること数分。クロエはようやく男の肩の上から地面に下ろされた。
クロエはどちらかといえば小柄で身軽なタイプだが、それでも体重は五十キロ近い。それを肩に抱えて苦にもならない様子で走り続けるとは、この男はいったいどういう体をしているのか。
「とりあえず、ここまで来ればしばらくは時間が稼げるだろう。だが向こうも仕事らしいし、増員してでも探しにかかるだろうな……なにか手を考えなきゃならん」
男はふふんと鼻を鳴らして笑った。あろうことかこの状況を楽しんでいるらしいが。
「……申しわけありません。やっぱり巻き込むべきじゃなかったです……」
「いや、気にすんなって。お前さん、従業員なんだろ? ――『
「はい」
「やっぱりそうか。俺もあの店のスタッフなんだよ」
「そう、なんですね……」
クロエも先ほど、ほぼ正解に到達してはいた。とはいえ改めてそう言われると、流石に偶然というものが空恐ろしくなる。
「自己紹介しよう。リチャード・アルマナックだ……名前くらいは聞かされてるだろ」
「ああ。怪我で療養中だって聞きましたけど、もういいんですか?」
「まあな。どうやらカンジのやつ、お前さんには日程を教えてなかったか……まあ、それはいい。移動するぞ」
リチャードはそういうと、先に立って小走りに駆け出した。時々振り向いてこちらを確認する様子が、外見に反して面倒見のいい男なのかと思わせる。
「あ、あのっ」
はっと気が付いて、クロエは前を走る背中に呼び掛けた――まだ名のっていない。
「ん?」
「クロエ。私の名前――クロエ・コープランドです」
「ああ。分かった、よろしくな」
リチャードは、振り向かずに走りながらそう応えた。
リチャードが向かっていく方角とその経路には、クロエも心当たりがあった。果たしてしばらく駆けた先で、二人はリニアラインのターミナル駅らしき場所に出ていた。ただ、少しばかり様子がおかしい。
「何です、ここ……? 照明がついてないし空調も止まってるみたいな……券売機とかも見当たりませんね?」
区画の構造はナマコモドキ漁へ向かった時に利用した駅によく似ている。だが、ここには駅として使うための施設らしいものがまるで見当たらない。
「うん。ここは雲台14ステーションの建設と同時進行で作られた、古いリニアラインの駅でな。この路線はもう廃止されてて旅客輸送には使われないが……保線作業なんかで利用できるように残してあるんだ。何か所かの合流点からは、現用の路線に乗り入れることもできるようになっている」
リチャードはそういうと、これからの行動の要点について説明した。
「廃止路線の規模は、実のところ今使われてる路線よりも大きくて広範囲だ。うまく立ち回れば、ステーションの外周沿いにどこへでも出られる。土地勘のない奴らには想像もできない場所にな」
なるほど、とクロエはうなずいた。とにかく、今何より避けたいのはOSSのエージェントたちに身柄を拘束されることだ。
それを回避して、何とか父を対等な交渉のテーブルに引っ張り出さなければならない。そのうえで自分の意志と将来へのビジョンをきっちりと
それ以外に、クロエが望みどおりの道を生きる方法はなさそうだ。