――ええと、次は醤油と砂糖に、ゴマ油ね。1カートンずつ。
出がけに書き殴ったメモを睨みながら、クロエは買い物カートを押して低重力ショッピングモールの中をそぞろ歩く。
通路の途中、支柱の一面にしつらえられたミラーを目にとめて、着衣と髪を軽くチェック。
蒸着アルミ皮膜の鏡面には、
雲台に来て最初の日に遭ったひったくりのおかげで、当初は買い出しにも随分と腰が引けたものだったが、それでもそろそろ二十回目。服装の選択も含めて、だいぶ順応できた気がする。
(帽子も被ってくればよかったなあ……髪がぐちゃぐちゃ)
低重力エリアでは毛髪も自重でまとまってはくれない。本職の宇宙船乗りや軍人は、女性でも髪をごく短く刈り込んでいるのがほとんどだ。
苦笑いをしながら手櫛で髪を整え、少し考えたあとで、ポケットに忍ばせていたゴムひもで手早く括った。
クロエは今、カンジに頼まれて店の消耗品や業務用の食材、調味料などを調達に来ているところだ。ハブ・シャフトに近い低重力区画に設けられたこのモールでは、港湾ブロックから運ばれてきたほぼそのままの荷姿で、数量の多いものや嵩張るものを買い集めることができる。
もちろん、低重力でも物体の質量がなくなるわけではないから、動き出した重量物には細心の注意が必要。何の摩擦もブレーキもないと仮定した場合、十分な運動ベクトルを与えられればクロエが今押しているようなカートでも、人間一人を壁との間に挟んで押しつぶすに十分な凶器と化す。
そもそも、これはカートというにはかなり大きい。ありていに言えば高さ二メートル近いカゴ台車だ。それに転倒防止のバランサーやリアクションホイールと、緊急用のブレーキ・アンカーが組み込まれたという代物である。
これ自体もモールの店内備品であるし、今積んでいる量を彼女一人で1G重力のある区画へ運ぶのは、さすがに無理がある。会計を済ませたらモールの配送窓口に頼んで、「饕餮」まで届けてもらわなくてはならない。
「うん。これで全部、かな!」
メモの品目すべてをカートに収めたのを確認し、更にしばらく歩いて会計カウンターへ。預かってきた財布をポーチから引っぱりだして、支払いの準備をする。
「ありがとうございます、三万七千マルスになります」
これまでの人生でほとんど見たことのなかった、大時代的な
「
小声でつぶやく――紙幣といっても有機プラスチックのシートをチタン
高度技術をつぎ込んだ甲斐あって、偽造を試みるにも中央星系の造幣局と同等の設備が必要だったりする。
とはいえ、市民ID及び個人口座に紐づけられた情報端末を介して、ほとんどの金銭取引が決済される今の時代。紙幣などはまず使われることはないはずの物だ。
それがごく一般的に流通しているということは、クロエが雲台で出会った中でも三指に入る驚異の一つだった。
驚異ではあるが、電子決済ができない今の彼女にとっては、ありがたいという他はない。会計を済ませて配送窓口に荷物をカートごと引き渡すと、クロエは大きくひとつ伸びをして、おもむろに1G区画へのリフトを目指した。
ふう、と息をついて、広々とした通路の彼方へ視線を向ける。雲台14での生活と日々の見聞は、クロエにとって新鮮な驚きであるのと同時に、自身が生きる世界についての真摯な思索と洞察へと導いてくれるものだった。
まずもって大きなステーションではある――というより場当たり的な拡張を繰り返して、どうしようもなく膨れ上がった歴史が見て取れる。
惑星「雲台」には豊かな大気と海が存在するため、開拓初期から人類に欠くことのできない物資の供給元として見込まれていた。
ほんの半世紀前までは、水素燃料の原料積み出しや水耕プラントでの食糧生産用など、周辺星系の需要まで広くカバーしてまかなっていたほどなのだ。
労働市場は際限なく膨れ上がったし、技術者や有資格者ともなれば引く手もあまた。定住者も増え、場合によっては家族も後を追ってくる。
だがそうやって膨れ上がった人口は、ある時点で星系の行政システムの
物資はある。人間は生活できるし出生も一定数が確保されている。だが行政サービスに携わる人員には当然教育と訓練のコストがかかり、彼らの手が及ぶ範囲にはなお限りがあった。
現在の雲台14は、最も豊かだった時代の残滓を食いつぶし、社会構造の面でも物理的な施設の面でも、壊死した部分から先にゆっくりと自壊していく過程にあるように見える。
(こういうの、どうすれば上手く回るようにできるのかな?)
ついそんな身の丈に合わないことを考えてしまうのは、つまるところクロエが胸に秘めている志がなせる業だ。
辿るべき道筋は未だ茫漠としたものだったが、その意志だけは何度も繰り返しなぞった筆跡のように日々鮮明になりつつあった。