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「ただ組みついてもダメか。無力化するには、やはり……」
海底では、カンジが今もナマコモドキと対峙していた――とは言っても、相手にはこちらをはっきりと捉えられる目もない。ただ、体表に与えられる刺激に反応して、身を守ろうと蠢くだけのようだ。
能動的に、俊敏に動けるだけこちらに分がある。そう判断したカンジは、再び推進器を作動させて目標へと迫った。と、その時。
巨大ナマコモドキが体をぐいと折り曲げ、体の前半分を持ち上げると、その前端部から何かを吐き出した。
「内臓を吐いて逃げる気か……? いや、少し違うな」
明らかな攻撃性を感じさせる速度。水中をぶわっと拡散しながら迫るそれが機体へ到達する。そして次の瞬間、カンジは目の前のそれが単なる内臓などでなくもう少し性質の悪いものであることを知った。
オレンジ色をしたゼリー状の、不規則な網のような物質が視界をさえぎり、見かけからは想像できないような粘着力をもってグリルランナーの四肢に絡みついたのだ。
「何だこれは……!? 初めて見たぞ、こんなの」
この海域で数年にわたってナマコモドキ漁を手掛けてきたが、こんな事例はこれまで、リチャードの作戦後報告でも存在しなかった。絡みつかれたグリルランナーの動作が次第に封じられていく。おそらく時間経過や水分との反応で硬化するようなものなのだろう。
「分かった、お前さん相手に遠慮はやめるよ……!」
動けるうちに決着をつけた方がいい。いったん距離を開け、マニュピレータをあちこちへ振り回して関節部にまたがった粘体をちぎり飛ばし、あるいはこそぎ取った。
(地球のものと違って、ナマコモドキの神経系には原始的ながら一応の中枢が存在したはずだ……)
組み付いてその一部でも破壊すれば、なんとか無力化しネットに押し込んで持ち帰ることができるに違いない。
(問題はこの捉えどころのないブヨブヨの体相手に、グリルランナーのマニュピレーターをどうぶち込むかだが……)
攻めあぐねるカンジの前で、ナマコモドキは突然そののっぺりとした前端部に、歯も舌もない暗い穴をぽっかりと開けた。カンジが離れたことで、危機は去ったと誤認したのか? 水を吸い込んで全体が一回り膨れ上がる。
(あれは口……? そうか。
カンジが修業時代に師によって伝えられた、謎めいた
――對於吃食物的生物來説、
曰く。「ものを食う生物にあって、口はすでに体という小宇宙の内である」
不用意な摂食によって人間は時に様々な健康への害をこうむる。そのリスクについて、常に最大限の注意を払え――そういう警句であると理解していたが、今のこの状況にあてはめるならば。
「ありがとうございます、師父……こんなところで役に立つとは!」
たとえ体表面がどんなに手ごたえが無かろうと。流動体と弾性体の二相の間を自在に行き来していようと。口の中に入り内側から攻撃を加えれば、そうした防御性能は一切を無効にできるということ。
カンジはその開いた大きな口へと、マニュピレーターを――むしろ機体のほとんど上半身全てをねじ込み、体腔の内側に沿って走る淡い水色の索状物に手を伸ばして引きちぎった。
※ 生きて食らうものにおいて、口とはすでに体内なり、といった意味