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第10話 再びの出航.2

  * * * * * 



 初めは、岩か何かだと思っていた。


 水深五〇〇メートル。海底は薄暗いが、辛うじて闇に沈まない程度の、かすかな光は届いている。プランクトンの死骸か何か、白く光る粒子が深々と降りしきる中、グリルランナーが巻き上げる水流と共に海底の細かい砂泥が捲きあがった。


 その濁って煙る灰色の幕を抜けた薄暗がりに、何か大きなものが存在していた。


「まさか……いや、これだ。なんてデカさだ……!」


 グリルランナーのモニター画面に測距儀レンジファインダーのレティクルを表示し、目標物の大きさを割り出す。算出されたおおよその大きさは、全長八メートル。

 四メートル級のほぼ人型を呈するグリルランナーとの対比で言えば、ゾウアザラシかなにかと対峙しているぐらいの感覚だ。


「こちらカンジ……ナマコモドキを発見した」


 声が上ずってしまうのが、自分で分かる。


〈良かった! 早かったですね……ネットはもう下ろしますか?〉


 洋上で待機するクロエに発見報告を送ると、すぐに快活な応答が返ってきた。だがカンジはひとまずクロエを止めた。


「いや、今はまだいい……! 発見したばかりだ、今下ろされても逆に持て余す」


〈了解。準備が出来たら合図してくださいよ〉


 分かった、と返してカンジは目の前の生物に注意を戻した。


「伸び縮みを考慮しても、これで五トンはあるか……」


 捕獲すること自体はいい。これだけあれば、干し上げても相当の目方になるだろう。料理に使う際にはナマコのイメージとは程遠い、ヨウカンめいた形の塊になるだろうが、味には問題ない。


「だが、このサイズじゃネットに収めるのもままならんぞ……」


 しばらく考えた後、カンジは結論を出した。ここは力業しかあるまい。

 グリルランナーは非武装とはいえ、原形の軍用硬式パワードスーツより腕部のリーチが長い。このナマコモドキ程度のサイズでも、なんとか拘束可能なはずだ。


「何が原因か分からんが、お前だけそんなバカみたいな速さで大きくなってくれては周りが困るんだ……可哀想だが、陸へご同道いただくぞ」


 背部に備えたハイドロジェット推進器を稼働させ、相撲取りのようにナマコモドキにつかみかかる。だが、ぶちかました衝撃は分厚い軟組織の層にやんわりと吸収されてしまった。ぐにゃりとした異質の感触が操縦レバーに伝わってくる。かまわずに腕を廻して拘束を試みたが、今度はまるで流動体のようになってすり抜けてしまった。


「くそ……! これだけ大きいとケースにも入らんし、どうにも掴みどころが……」


 推進器からのジェットを横向きに噴射し、側面へ回り込む。再度抱え込もうとしたとき、ナマコモドキがぶるりと身を震わせ、のたうった。

 グリルランナーの機体越しに、鈍く重い衝撃が襲う。


「原始的な筋組織しかない筈なのに、なんてパワーだ……!」


 組みつきはまたも不発。カンジはグリルランナーもろとも、水中を十メートル以上も押し流されていた。




「カンジさん。カンジさん……!?」


 同じころ、洋上。

 クロエは通信機に向かって必死で呼びかけていた。ネット投下について指示を仰いだその後、カンジからの応答がない。

 時々漏れ聞こえてくる彼のモノローグ独り言からは、どうやらナマコモドキ捕獲のためにある種の戦闘行動をとっていると思われる。だが応答するだけの余裕はないらしい。


 クロエがカンジに呼びかけている理由は海底での戦闘に対するエールとか、そういうものではなかった。

 気圧計の表示が急速に下がり、空の一角、南西の方向からどす黒い色を呈し渦巻きながら垂れこめた、分厚い雲が接近してきていたのだ。


 第十七番群島に例年より早い雨季の終わりを告げる、局地的な低気圧メゾサイクロンがクロエとホークビルをのみ込もうとしていた。



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