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翌朝は雨で、少し風が出てきていた。天候に不安はあったが、クロエたちは再び「ホークビル」を洋上に出そうとしていた。
「なんか嫌な天気。ホントに行くんですか……?」
「雨で海水の塩分濃度が変わると、ナマコモドキは餌場を変えようとして移動することがある。昨日見つからなかった奴も、今日は姿を現すかもしれない」
「あーあ、変なこと、言わなきゃよかった」
昨日の大波と傾いたホークビルの中での体験は、一晩たってもまだ生々しく感じられる。
それに、クロエは気づいていた。DT44型降下艇にフロートをつけたこの機体は、確かに揺れに強い。しかしその重心自体は水面よりやや上にある。
「この
「フロートがあるから沈みはしないが……復原性は確かに良くないな。」
「やっぱり! いやですよ、逆さになった船の中で待つとか……風や波が激しくなったら、空中へ上がった方がいいんじゃないですか? 慣性制御装置、ついてるんですよね?」
「良い質問だな……もちろん可能だが、実行には問題がある。あれは艇の
「あ、そっかあ……じゃあ本格的な嵐に巻き込まれたら――」
「そうだな、だいぶ面倒な状態にはなる。だからこそこれまでは季節の変わり目、風雨の激しくなるシーズンよりも前に漁を済ませるようにしてたが……今回はギリギリまで粘らざるを得ない」
困ったもんだ、とカンジはため息をついた。
「ナマコモドキって、アルビオン水産では操業対象じゃないんでしょ? カンジさんのお店のことを度外視すれば、採らなくても採れなくても、さほど問題ないんじゃ?」
「勝手に度外視するんじゃない……! まあそれはそうだが、この星の生態系がまだ脆弱で不安定だってことを忘れちゃいかん。ああいう消失が起こって原因不明のまま、というのも困るんだ。アルビオンが採取してるプランクトンや、最近新食材として商品化の気運がある、何種類かの
昨日の潜水試行の結果を見ても、消失の原因を確認せずに放置はできない。カンジはそう主張した。
「もしも、先の試算通りに七メートル級のナマコモドキが実在するなら……そいつを捕獲して、プランクトンがより多くの個体に行きわたるように調整してやらなきゃならん」
「なるほど。でも、それだとちょっと気になるんですけど……」
「ん、何だ?」
「個体数減ってるところに、残ってる大きなのを捕獲しちゃったら……それこそ、それ以降増えなくなっちゃいません?」
「ああ。そのことなら心配ない……ナマコモドキたちの産卵はこの漁期に入る二カ月前、つまり雨期入り前に済んでいる。幼生はこれからもう少し後に親と同じ形に変態して、二年ほどで繁殖に加わるようになるんだ」
「っへぇ……」
「なんだ、意外そうな顔で」
「本当に詳しいんですねえ。まるで生物学者みたい」
「ああ……別に不思議じゃないさ。料理人と生物学者は案外似通ったところがあるんだ。最終的な目的が『食う』ことか『知識そのもの』かというだけで、生き物を相手にするという部分は変わらない」
クロエはカンジに対する印象が、自分の中でまた変わるのを感じた。
昨日と同様に漁船団と別れ、『ホークビル』は昨日とほぼ同じ航路をたどった。GPS機器の画面に目をやったカンジがゆっくりと機体に減速をかける。
「そろそろポイントの上だ。操縦を頼む。あと、目標を発見出来たら無力化を試みるから、合図をしたらネットを下ろしてくれ」
「了解……!」
一瞬戸惑った後、クロエはホークビルの艇尾にあるものを違わず思い浮かべた。そこには今回、漁協で借りてきたバラスト付きの大型漁網を、丁寧に巻き上げた形で搭載してある。
巻いたネットを留めている結束ベルトには、高靭性合金のシャックルとカラビナに繋がった、細いケーブルが取り付けられている。
シャックル部分は積荷ブロックの下部ハッチを無理やりに通して、グリルランナーの吊り下げケーブルに懸架されている。ハッチ開放後に艇側の固縛を解除すれば、そのままケーブルに沿ってカンジのところへ送り込める仕組みだ。
「ハッチ閉鎖時の異物検知アラート、切ってるんでしたっけ。乱暴っていうか、ヒヤヒヤしますね……大丈夫なんです?」
「……ああ。
「危険な惑星!?」
にわかに沸き起こる不安。そんなところに、今後行く機会でもあるというのか。
クロエの疑わし気な視線をしれッとかわし、カンジはグリルランナーのコクピットへと移動し、ホークビルのキャビンへ続く隔壁が閉じられた。
「……もう。ハンガーフレーム、ハッチ直上へ展開。下部ハッチ開放、投下準備完了です」
〈グリルランナー、システム・オールグリーン。投下よし〉
「投下!」
昨日に続き、再び同じ手順でホークビルから離れていく。ブレーキを開放されたケーブル・ウィンチが音もなく回り、ケーブル延伸長を示すインジケーターが刻々とその数値を更新していった。
(いやあ……なんか、凄いことになっちゃってるなあ)
ガイドブックのグルメ記事につられて立ち寄った老朽ステーション。ほんの気晴らしのつもりだったのに、あれよあれよという間に海洋調査船と密漁船のハイブリッドのような仕事に従事させられている。これが
だが、新鮮ではある。こんな体験ができるなら旅に出た意義は十二分にあったし、なんなら身分証窃取に遭ったのもちょっとしたスパイスくらいに思えてこないこともない。
いや、たぶん自分は立て続けに起きたおかしな出来事のせいで、少々麻痺しているのかも――そんな考えを取りとめもなく弄んでいると、海中から通信があった。
〈こちらカンジ……ナマコモドキを発見した〉
カンジの声は、奇妙に震えていた。