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第8話 消失の謎.2

  * * * * *



 アウナケアに戻り漁師たちと共に夕食を摂った後。カンジとクロエはヤンセンたちと共に漁協の会議室にいた。カンジが海中で撮影してきた海底の様子を、現地の人間に見てもらうためだ。


「嘘だろ……」


 オンズローがかすれた声を上げる。

 モニターに映し出された海底にナマコモドキらしい姿はなく、ヘッドランプで照らされた視界の中には、行けども行けどもただ茫漠とした砂底が広がっていた。


「これは母船ホークビルの直下を中心に、半径二百メートル程度の範囲だ。いつもならこの面積に二十匹は確認できた。ところが、今年はこの通りだ」


「それにしてもずいぶんまばらに生息してるんですね……地球の海では岩の下なんかにごろごろ群棲してるって、解説付き映像で見たことありましたけど」


 クロエが首をかしげてそういうと、カンジは片側の眉をピクリと震わせて答えた。


「栄養豊富な海なら群棲も可能だろうが、雲台の海はまだまだ有機物の供給が少ない環境だ……加えて、これまでの研究によればナマコモドキは個体の維持のためにかなりの食糧、つまりプランクトンを必要とする。ところがその餌の取り方は体をポンプ代わりにして、浮遊するプランクトンを水中から漉しとる方式だ」


「ああ! だから広いテリトリーが要るんだ」


「そうだ。姿は似ているが生態はだいぶ異なる――別種の生物であることを念頭に置いておかなきゃならない」


「絶滅した、ってことはないだろうな……?」


 ヤンセンの顔色が悪い。


「実は今シーズンから、プランクトンの漁獲量を一割増やすように要請があったんだ。アルビオン水産の本社には事業拡大の計画があるらしい……採り過ぎだったんじゃないかと心配してた」


「この数年はよぅ、カンジたちがナマコモドキの数を定点観測サーベイしてくれてたから、俺らも安心してたんだが……」


 オンズローが到着時とは打って変わった真剣さでモニターを睨む。


 深層海流など様々な要因があるため、プランクトンの量と完全に直結しているわけではない。だがナマコモドキの個体数は一定の指標として、これまで資源管理のために援用されてきた。それが姿を消したとなれば、ヤンセンの心配も杞憂とばかりは言えない。


「まあ、まだ何とも言えん。リチャードが去年撮った海底の映像があったはずだ。見比べてみよう」


 今見ていたものとは別のメモリーカードが再生装置にセットされる。


「ふーむ……」


 会議室に集まった面々が一心にモニタを凝視した。こちらでは確かに、海底でゆっくりと蠢くナマコモドキの姿が、ぽつりぽつりと画面に現れる。カンジの説明にあったようにそれらは水を吸い込んで周期的に膨張と収縮を繰り返していた。収縮した際には、時折ピンク色を呈した網状の器官が外部へ露出して海中に広がることもある。


 だが、カンジと漁師たちはどうやらクロエとは違って、ナマコモドキそのものよりも周囲の海底や海水そのものの様子を見ているらしかった。


「なるほど。画面に映るプランクトンの影が今年はずっと少ないな……」


「操業中にサンプリングした海水を見る限り、藻には特に変化がないようだ。とすると、潮流の異常による温度変化の線は薄いか……?」


「酸素は……?」


 様々な要因について意見や示唆が飛び出し、ミーティングはまだ終わりそうにもない。どれが正しいにしても、実際に何が起きているかを調査で完全に明らかにするには、数か月から年単位での時間がかかることになるだろう。そんな様子を見ている中で、クロエの頭の中に一つ、実に奇妙な考えが浮かんだ。


「もしかして、ものすごく大きなナマコモドキがこの漁場のどこかに居たりして……」


 思わず小声で口に出してしまい、その荒唐無稽さに自分で吹きだす。


「なーんて、そんなわけ――」


「……クロエ」


「あ、すみません! 素人考えで変なことを……」


 じろりと見つめられて、焦りながら顔の前で手を振り、頭を下げる。だが、カンジは真面目な顔を全く崩さずにつかつかと近づいてきた。


「今何と言った。もう一度頼む」


(ひぃっ!?)


 クロエは縮み上がった。まずい、プロ同士の仕事の話に口をはさんでしまった――


「済みません、つい素人考えっていうか、思い付きで……いい加減な話で腰を折って済み……」


「そういうのはいいから! 何だって? すごく大きなナマコモドキ? そう言ったよな?」


(やだもう! ちゃんと聞こえてるんじゃないの!!)


「は、はい! そんなのがいたら、餌を独り占めしちゃうんじゃないかなーって……!」


「どう思う、ヤンセン? 可能性としては、ないわけじゃなさそうだが」


 恐縮して顔を伏せたままのクロエの頭上から、思いがけない言葉が降ってきた。


「半径二百メートル以上の海底を、一匹で占有するナマコモドキか……? あり得ない話じゃないが、なあ」


「ええぇ……?」


 クロエは顔を上げて、男二人を交互に見比べた。


「ふむう。工場のマンセル主任はもともと生物学者で、生態系シミュレーションにはノウハウがある。ちょいと試算してもらうか」


 ヤンセンが通信機でどこかへ通話を始めた。かすかな罵声の後、事の次第を説明するヤンセンの声が続いた。そして静寂。 

 そのまましばらく時間が経ち、クロエたち二人とヤンセンら数人の主要メンバー以外はそれぞれの自室や自宅に引き取ったころ。水産加工場から着信があり、クロエはうとうとしたところをカンジに揺り起こされた。


「試算の結果が出た。シミュレーションに使った要因ファクターに見落としがあることを考えても、興味深い結果だ」


「すみません、なんだか私の思い付きでひっかきまわしたみたいな……」


 クロエの口舌を、カンジはほとんど聞き流してその試算結果とやらを告げた。


「……今回のナマコモドキの消失原因が、巨大個体によるテリトリー占有だと仮定すると……原因になった個体のサイズは約七メートル。場合によってはそれを超える」



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