停船した「ホークビル」の、船底側ハッチが開いた。積荷ブロックの中でハンガーに固定されていた「グリルランナー」が、折りたたんだ状態から展開されたハンガー・フレームと共に、ハッチ開口部の真上へと移動していく。
〈よし、良いぞクロエ……実機でも上手くやれるようだな〉
「まだフレームを延ばして機体を三メートルずらしただけです。ここまでの過程でミスるようじゃもう、現代社会で生きていけないでしょ……それよりカンジさん、そっちこそ大丈夫なんですか? リチャードさんが入院するまではバックアップ担当だったって――」
〈それこそ余計な心配だ。俺もリチャードと一緒に同じ
「分かりました。じゃあ行きますよ?」
〈各種チェックは二回やったな? よし……システム・オールグリーン。|投入してくれ〉
「了解」
クロエがコクピット内でレバーを操作し、グリルランナーの固縛を解いた――回収用のワイヤーケーブル二本で吊り下げられた機体はドボンと音を立てて半ば海中に没し、一瞬バランスを崩して斜めに傾いだ。コンソールに黄色い警告ランプが灯り、くぐもったアラート音が鳴り響く。
「やば……」
〈大丈夫。バラストタンクに注水すれば姿勢は復原できる〉
「わ、分かった」
垂直に姿勢を戻したグリルランナーは、そのまま水面に幾ばくかの泡だけを残して水中深く潜っていく。
「水深三百メートル……三百五十……四百……」
ワイヤーケーブルのウインチと連動したインジケーターが、カンジの現在深度を表示する。五百までは読み上げたクロエだったが、それ以上はもう声を出す気にならなかった。
静寂の中に一人。クロエは、自分の心臓の鼓動で鼓膜が張り裂けるような気がした。そのまま十分ほど経ったタイミングで――
ザザッ。
「カンジさん?」
〈ザ……妙だ。ザザッ……ナマコモドキが見当たらザッ……〉
「見当たらない?」
〈もう少し見回ザッ……みたい。念のため、そちらも微速で南へ動いてくれ。ゆっくりだ〉
「りょ……了解っ!」
回線は少し安定したようだった。指示に従ってウォータージェットを作動させる。ホークビルがゆるゆると動き始めたが、操縦桿を握るクロエの手には汗がにじんできていた。
「うぇっぷ」
不意に吐き気が襲う。足元から突き上げるような感覚――うねりに押し上げられて機体が揺れている。
(おかしい……なにこれ。波が激しくなってる? 外洋に出たせいかな……?)
両舷のフロートで浮力を得ているホークビルは双胴船に準じた特性を持ち、揺れや傾きには比較的強い。
だが中の人間にとって、傾くのではなく縦横に滑るようなその挙動は予測がつきにくく、平衡感覚をおかしくさせる。
「やだもう! ただでさえ、ここ臭くて居づらいってのに……!」
「いやああッ!?」
〈どうした、クロエ!〉
「凄い大きな波が……あと私、たぶん船酔いしてます、かなり無理!」
〈分かった……! こっちも充分な情報を掴めた。戻るぞ、引き揚げてくれ〉
「りょ、了かおぇっぷ」
〈お、おい! 持ちこたえろ、あとしばらくの辛抱だから!〉
クロエはやっとの思いでウインチのレバーを操作し、ワイヤーケーブルの巻き取りを開始した。
グリルランナーはウェットスーツなどと違い、内部の人間が機外環境の影響をほとんど受けない。潜水病などの危険を考慮せずに、カンジはものの数分で海底から帰還することができた。
〈ハッチ閉鎖。ハンガーフレームを収納位置へ〉
「ハッチ閉鎖、ハンガー収納位置へ戻しますぅ……」
グリルランナーを収納した
「お、お帰りなさい」
何とか平静を保ってカンジを迎える。
「ひどい顔色だな……だが漁期も末になるとこれくらいの波は普通に出る。早めに慣れてもらわないと困るぞ……」
「そんなこといわれても、って……何です? そのケース」
見覚えはある気がする。確か、出航前に
「ナマコモドキを見るのは初めてだったな? こいつがそうだ」
「ええ!? こんな大きいんですか!」
水族館で見た地球さんナマコのイメージで、だいたい三十センチくらいを想像していたのだが、現物の雲台ナマコモドキは全長一メートル、胴部の直径が二十センチほどもあった。
「こいつは捕獲したときに内臓を吐いたから少し縮んでいる。水中では一.五メートルほどだったが、それでもナマコモドキとしてはまあ平均よりちょっと下だな。ただ、問題は……」
そういった後でカンジは表情を曇らせた。
「……それしか、見つからなかった」