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第6話 遥か異星の海.2

「いやあ、済まない……済まなかった」


 平謝りするカンジの前で、クロエはまだ半ば放心していた。


「……カンジさん、すっごく慕われてるみたいですね……?」


「と、いうよりも――」


 抗議したい気持ちと互いの立場に対する配慮がせめぎ合って、当たり障りのない所からしか会話を切り出せない。だが、カンジはその言葉を額面通りに取ってしまったらしかった。


「……みんな新鮮な娯楽に餓えてるからなあ。周りは水ばっかりだし、悪天候で出漁差し止めにでもなると、あとは卓球でもやるか、情報端末でゲームぐらいだ。なにより百人程度のコミュニティじゃ顔ぶれに変化がなさすぎる……退屈なんだよ」


「私たち、娯楽なんですか……?」


 これはちょっと憤慨を禁じ得ない。カンジも今度は流石にその不興を察して、また頭を下げた。


「あ……言い方が悪かった、済まない。悪い奴らじゃないんだ。君のことも『仲間』として受け入れてくれた。必ず今後の仕事に助けになってくれる」


「はぁ……まあいいですよ、良くはないけど。実害はなかったですし……で、あれは何が始まってるんです?」


 色々と諦めつつ、クロエはパッドからだいぶ離れた西側の桟橋を指さした。そこでは、巨大なガントリークレーンで吊り上げられ架台にセットされた「ホークビル」に対して、なにか大きな部品を追加で装着する作業が、漁師たちの手で行われていた。


 側面のデルタ翼を取り外し、船形をした中空構造の物体が四つ取り付けられる様子だ。架台の傍らにはもう一つ、紡錘形を二つ並べて冷房用のサーキュレーターを連想させるリングを取りつけた形の、どこか魚雷めいた何かが置かれている。


「ホークビルを洋上待機用に換装してるところさ。あの白いのは浮き箱サイド・フロートだ。DT-44型降下艇には水上機としての能力はないから、あれを使って水面に浮かぶようにする。フロート下面、水線下の形状は竜骨を模してあるから、直進時の安定性も確保できるわけだ」


「へえ……でもシミュレーションには関連項目なかったですね。ここの基地の備品なんですか?」


「いや、ホークビル用にメーカーに特注した、専用のオプションだ。五年前に軌道上から持ち込んだが、その時はまあ、苦労したよ……」


(そんな注文、あったかな……?)


「え?」


 カンジがいぶかしげにこちらを見る。どうも内心でとどめるところを声に出してつぶやいてしまったらしい。


「あ、いや、何でもないです」


「ん……ま、いいか。オフシーズンはここの倉庫にフロートを預けて、保管してもらってる。低温で防湿防塩、食い物にも器材にも優しい環境だ。で、横に置いてあるのは水中用のハイドロジェット推進機――」


「大体理解できたわ」


 まだ説明し足りなそうなカンジをその場に置いて、クロエはひょいと立ち上がって歩き出した。着陸時には止んでいた雨が、また降りだしていた。


(降水装置からじゃない天然の雨なんて、久しぶり……)


 正午近くで気温は高い。雨はむしろ、冷たくて気持ちよく感じた。



  * * * * * 



 翌朝早く。クロエたちは換装を済ませたホークビルに乗り込み、薄曇りの空の下を洋上へ出た。

 アウナケアの漁船が三隻、ホークビルの右舷二百メートル弱の位置を並走している。甲板での作業のために横幅を大きく取った、平べったい形の船だ。


 降下艇の上面にある気密ルーフを開放し、即席に仕立てたにクロエは立っていた。ここは出荷時そのままの仕様なら、着陸後の防空用に対空機関砲が装備されているはずの場所だ。

 気温はやや低いが、正午にかけて二十四℃程度になるだろうとの見通し。風は朝から次第に強さを増し、クロエは普段肩まで垂らしているまっすぐな茶色の髪を手早く結い上げて、漁協で借りたバケツ型の帽子にたくし込んでいた。


〈キャビンにいればいいものを……まあ、何でも経験しようっていうその意気込みは悪くない〉


 船内用の通信機インカム越しに、カンジが比較的好意的な感想をよこしてきた。やや上から目線の物言いに軽くカチンと来て、クロエはとっておきの反撃を繰り出した。


「だって何か臭いんですもん、そのキャビン。なんていうか、っていうか……とにかく長くいるのヤです」


 一瞬絶句した後、カンジのものらしいクンクンと鼻を鳴らす音が聴こえた。


〈そりゃあ、おじさん流石にショックだなあ……いやいや、正直いって全然わからん。何の匂いだ?〉


 言葉と声の調子からすると、まだおどける余裕はあるらしい。クロエはそのまま、真顔で会話を続けた。


〈定期船の安い船室とか、貨物用エレベーターのシャフト回りなんかで、わりと感じるやつですね〉


 おそらく、クロエ以外には分からないだろう。嗅覚神経の機能に何か突然変異でもあるのか、彼女には何種類かの匂い物質を、ごく微量でも嗅ぎ取れる高い感受性があるのだった。


〈消毒薬か何かかね……? まあいい、そろそろ漁船団とはお別れだ。右舷へ発光信号!〉


「あいあい、キャプテン」


 伸ばしたマストの上にある信号灯を点滅させ、「航海の安全を祈る」という文を送った。地球時代から受け継がれた、伝統的な様式だ。

 漁船団からも同じ信号が返され、やがて彼らは進路を変えて島の反対側へと回りこんでいった。


「一緒にやるんじゃないんですね」


〈うん。彼らはあっちの浅い水深のところで操業する。主にタンパク質原料用のプランクトンを網で採るんだ。こちらは進路このまま〉


「そういえば、昨晩の食事にも魚が出なくて、ちょっと不思議でした」


 前夜のメインディッシュはまさにその、加工されたタンパク質のブロックを使った「エビカツ」のような味の何かだった。調味料などもごくシンプルなあり合わせ。

 ただし料理をカンジが担当したこともあって、味は申し分なかったが。


(あれなら、カンジさんがここの人たちに慕われるのも納得だけど――)


 仕入れに来るたびに、彼らの食事をカンジの料理が彩っているのだろう。そんな感銘を新たにするが、それは当人の思いがけない応答で吹き飛んだ。


〈……ここには『魚』はいない〉


「え?」


〈魚類に相当する生物は、まだこの星では発生していないんだ……生物学者たちは、『雲台』は現在、地球におけるカンブリア紀の直前と似た段階にあると考えている。魚やイカ、タコが生まれるにはまだ数億年かかるな。ここの生態系はまだ未完成で脆弱。乱獲は禁物だ〉 


 想像以上に壮大なスケールの話だった。魚類が生まれるまでには十中八九、人類はその文明もろともどこかへ消え失せていることだろう。


〈だからと言って、すぐに資源化できる生物を外部から導入したりすれば、現在の微妙なバランスを崩してしまう。最悪の場合、異星の生物群から未来の可能性を奪うことになるからな、その手の開発手法はどこの星系でも厳しく規制されて厳罰の対象だ〉


「……それで、みんな漁期を気にしてたのね」


〈うん。食糧資源の持続性も在来の生物相も、きちんと守らなきゃならん。その上で利益は出さなきゃならん。難しいし楽じゃないが、食に関わる以上はどれが欠けてもだめだ〉


 クロエはカンジの話に、身が引き締まるような感覚を覚えた。

 ただの料理人ではない。この男には経済外の価値に対する哲学と、信頼に足る誠実さがあるようだ。


 ホークビル号は緩やかなカーブを描くように、アウナケア島を囲む岩礁の間を抜けて外洋を臨む水面に出た。


〈ナマコモドキはこの先だ。島を囲む岩礁の『根』よりも外側、海底が切り落としたように一段深くなったところに広く平坦な海盆がある。奴らはそこに、体の大きさに合わせたテリトリーを守って生息している――〉

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