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第5話 遥か異星の海.1

「うわぁ! 海……これ、海なの!?」


 眼下に広がる壮大な水面。途方もないスケールでうねりを打つそれを、クロエは息をのむ思いで見つめた。キャノピーにひっきりなしに当たる水滴が無ければもっと鮮明だろうか――雲の下は一時的な雨模様となっているようだ。


「ああ、……見るのはやっぱ、初めてか?」


 カンジが妙に優しい声でそう訊いてきた。


 人類が恒星間空間に版図を広げ、星間国家を築いている現在。およそ全人類の八割以上は、その人生の大半を暗い宇宙空間に浮かぶ人工物の中で過ごす。宇宙は広く、居住可能惑星は少なく――人類がその欲望の全てを叶えるには、星がいくつあっても足りない。


 カンジの質問はその事実を踏まえたものだ。だがクロエはふるふると首を横に振った。


「ううん。海そのものは故郷にもあったけど……でも」


 彼女は幸運なことに,居住可能惑星の恵まれた環境で生まれ育った。 

 テラフォーミングで生成されたものではあるが、そこにはれっきとした海があった。

 だが眼下に広がるこの異星の海の風景は、彼女にとっても瞠目すべき未知の体験だ。


「すごい……私の知ってる海と、全然違う。記録映像や仮想現実シアターでもこんなの見たことない。なんだか色合いも暗いし、それに、ものだなんて……!」


 興奮してまくしたてるクロエに、カンジはモニタースクリーンを睨んだまま、やや物憂げに答えた。


「色か……そうだな。恒星『大行タイハン』は同じG型主系列星でも、太陽ソルとはスペクトルが若干違う。少しだけ青色寄りだ。そして『雲台』は大行のハビタブルゾーンの中では比較的外側にあるから、その分空は暗い」


「そういえば、確かに太陽主星が小さく見える感じですね……?」


「うん。あと、陸地が少ないせいで局地的に大きな温度差は発生しない。気候は概ね安定して穏やかだ……ただ、季節の変わり目には毎回、規模の大きな低気圧が発生する。潮の流れも変わる」


「ああー、学校で習ったわ。地球では頻繁に台風とかハリケーンとかって呼ばれる気象災害があった、って……」


「そう、そんな類のやつだ。どっちも熱帯性低気圧の名前だったか」


 カンジの言葉に合わせたかのように一陣の突風が吹きつけ、機体が一瞬ガクンと揺れた。


「……つまり、もう時間があまりない。今年の漁期はあと何日かで終る」



  * * * * *



「こちら雲台14船籍、UD307FU『ホークビル』。着陸許可を願い

ます」


〈こちら管制塔。『ホークビル』、八番着陸パッドへ降下されたし……ようこそ、アウナケア島へ〉


 ホークビルは第十七番群島の、最も面積の大きな島に着陸した。少し離れた場所にある大きな白い背の低い建物は、話に聞いた水産会社の倉庫と工場らしい。

「重力は1.2G。結構負荷があるから。気を付けて」


 注意深くタラップを降りる。確かに出身惑星で感じるよりも、体が重い。


「はーい。ま、しばらくすれば慣れるでしょ」


 クロエたちの到着はすでに人々の話題になっているようだった。あちこちの建物や敷地外にある通路から、ライフジャケットを着こんでいかにも漁師といった風体の、がっしりした男たちがこちらへ近づいてくるのが見える。


 ――カンジじゃないか、おおーい!

 ――今年は随分遅かったな!? 


 どうやら、ここの人々とカンジは顔馴染みのようだ。


「心配かけたな、ヤンセン、オンズロー、それに他のみんなも」


 真っ先に駆け寄ってきた男二人と、カンジが立て続けに抱擁を交わした。人懐っこい笑みを浮かべた色黒の男は取りわけてカンジと親しいようで、前から後ろからと、首を絞め上げんばかりにじゃれついている。

カンジが閉口して軽く悲鳴を上げるのがひどく可笑しかった。


「おいおい、そのくらいにしてくれ、オンズロー……!」


「っせえ。たく、心配かけた、じゃねえよ! もうナマコモドキの漁期が終わっちまうぞ……!」


 オンズローがカンジに振りほどかれながらなおも親しみのこもった批難の声を上げた。


「それにお前、リチャードはどうしたんだ? 姿が見えねぇが」


「実は……リチャードのやつ、ポートで怪我をしてな、今入院中なんだ」


「ああぁ……そりゃあ災難だった。だがそれならそれで、連絡の一つもよこしてくれりゃいいものを!」


「それについては謝る。だが、なんとかピンチヒッターを見つけたよ」


「おい、じゃあもしかしてあの女の子……」


 ヤンセンと呼ばれた色白の巨漢が振り向き、「まさか」と言いたげなそぶりでクロエの方を見つめた。


「ああ。助手に雇うことになった――クロエ、こちらはメルキ・ヤンセンさん。ここの漁協の組合長さんだ」


 急に振られても、とクロエは反応に窮したが、とにかくぺこりと頭を下げた。


「く、クロエ・コープランドです。よろしくお願いします」


 やっとのことでそれだけの挨拶を口から捻り出すと、次の瞬間には殺到した十名ほどの男たちの手で、手品か何かのように胴上げの体勢にされていた。


「え、ちょっと、ちょっと!?」


 狼狽して空中で手足をバタバタさせる。控えめに言って恐怖しかなかったが、耳元には「何も怖くないから、リラックスしてて」とまるでリラックスできない言葉がささやかれた。その声の主が――ヤンセンだったが――胴上げの集団から飛び出して体ごとこちらへ向き直り、バカバカしいほどの大声で号令らしきものを発した。


 ――うおおおおッ! カンジの可愛い新助手に、万歳三唱ー!


 そのまま着陸パッドの周りを一巡り。地面に下ろされたあとは、まるで花嫁か何かのようにカンジと並んで立たされ、的外れな祝福の言葉を次々に浴びせかけられる。


 何とか二人が解放されたときには、もう着陸から四〇分が経過していた。

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