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第4話 地表へ.2

 機械油の匂いがうっすらと漂う、積荷ブロックの中に踏み込む。


 そこには整備用ハンガーのフレームと一体化するよう固定された、どっしりとしたシルエットの機械があった。形状は概ね、四肢を具えた人型。折りたたまれた手足を伸ばせば、全高四メートル程度にはなるだろうか?

 機体の胴部には開閉可動を暗示する明瞭なパネルラインが刻まれ、頭部にあたるらしい装甲された箱型の突出部には、光学機器をはじめとする各種センサーが集中的に詰めこまれているようだった――

 その物体のおおよその概要がつかめたところで、クロエは思わずまた声を上げた。


「何かと思えば、これも! 軍用の硬式パワードスーツじゃないですか……型番とかまでは分かりませんけど、確かこの手のやつって、相当過酷な環境での作業や戦闘に投入されるものじゃ……!?」


「そうだ。その過酷環境適応性能を見込んで、民生用に武装を取っ払ったやつを購入した。グリルランナーってのは、焼き網グリルの上みたいな場所でも走り回れるってことで、リチャードがつけた名前さ」


「ああ、そういうこと……道理で耳慣れない名称だと思った」


「そこらで普通に聞けたら、その方がちょっと怖いがね。それにしてもさっきから君、やたらと詳しいな?」


 カンジがいぶかしげな声を上げた。

 クロエが詳しい理由は簡単だ――父の仕事にからんで、こういうものの体系的な情報が、すぐ手の届くところにあっただけのこと。だが、そのことに今ここで言及したくはなかった。 

 マナーには反するが、この場はこちらからも質問で返させてもらおう。


「なんで、中華レストランのオーナーシェフがこんなものを」


「そりゃもちろん『必要だから』だ。ナマコモドキは結構な深場にいる……単身で潜るには軽装備じゃ危険すぎるが、現地の漁師がやってるのは主に水深二百メートル辺りまででの漁獲対象も異なる操業だ。彼らはこちらが借りられるほど高度な潜水器材を持っていない。自前で用意するしかないんだ」


「え。そんな危険な現場に、私みたいな素人を引っ張り込むつもりで……? あ、もしかして相棒とかいう人の負傷って!?」


 格納庫の床に立っていたカンジの足元から、ずずっと靴底を擦る音が響いた。大きく目を開いてこちらを見る様子には、どうやら驚き困惑していることが窺える。


「……いや、それは違う。リチャードの負傷は漁とは無関係なんだ」


「そうなの?」


「ああ。ホントにくだらない事故だったよ……それでも療養は必要だし、そのあいだ店の仕入れに穴が開くのも間違いないんだが」


「……何があったんですか」


「うーん。本人の名誉を思うと、彼が戻ってきたときに直接聞いてもらった方がいいかな」


「それだと、なんだか最後まで聞けずじまいになる気がするんだけど」


 ボヤキながらも、クロエはひとまずそれ以上のことを聞き出すのを諦めた。どうやら今の状況からすれば、それらは些末なことらしい。


「さて……君に頼みたいのは、俺がこの『パワードスーツ』で海中に潜っているあいだ母船となる降下艇を維持し、こちらの状況をモニタリングして緊急時には回収の手順を行うことだ。作業自体は難しくない、レクチャーを受けたうえで数回のシミュレーションをこなせば十分に実地でやれるだろう。必要となりかつ重要なのは、冷静かつ俊敏な判断力と、あとはまあ、体力だな」


「体力、かぁ。一回の作業って、どのくらい時間が?」


「重要な質問だな。普通は最長で三時間ってとこだ。回数はその時の漁獲量次第」


 結局のところ、そして予感していた通りに、クロエはその仕事に飛び込むことにした。


 現物を見ながらのレクチャーと、いったん店に戻ってのシミュレーションを、何日かかけてこなしていく。


 作業の手順はおおよそ頭に入り、計器類の見方も覚えた。どうにか訓練が身について形になってくると、カンジはクロエの習熟度よりも、むしろ何かの期日を気にする様子になってきていた。


「そろそろ充分そうだな。明日から、地表したに降りる」


 クロエが「饕餮アヴァリス」の二階にある空き部屋で寝泊まりを始めて一週間目。カンジが決然とそう告げた。



  * * * * *



 「ホークビル」の機内に、通常モードへの移行を告げる電子音が響いた。同時に機体全域に生じていた、過負荷からくる振動が消える。


 慣性制御システムを具えているとはいえ、DT44型の場合その能力にはおのずとサイズからくる限界がある。惑星の大気圏に突入するにはやはり、低軌道を周回しながら丁寧に減速をかけていく必要があった。 

 それでも、断熱圧縮で機体が赤熱化するような危険な目には合わずに済む。それだけでもクロエにとってはずいぶんとありがたい話だった。


「このまま二時間ほど飛ぶと、目的地だ」


「ええと、第十七番群島、ですか」


「レクチャーはちゃんと覚えてるみたいだな。うん、この星じゃ数少ない陸地だ。漁師とその家族が百人ばかり定住してる他に、アルビオン水産の漁業基地があって、水産物の加工や買い上げをやっている」


 海洋惑星という触れ込みだったが、とクロエはちょっと首を傾げた。


「陸地、あるんですね……海洋惑星でも」


「ああ……誤解があるようだな。ガイドブックや行政府の公報に書いてある『海洋惑星』ってのは、厳密な学術的用語ターミノロジーじゃないんだよ。そういう場合はせいぜい『海洋が表面積の大部分を占める水惑星』、ってくらいの意味でしかない。その場合、その惑星には陸地も当然ある」


「え、違う『海洋惑星』があるんですか?」


 ひどい詐術にあったような気がして、クロエは語尾を跳ね上げた。


「本来は、氷惑星が恒星に近づいて出来る、深さ数百キロメートルに及ぶ海で覆われた惑星のことだ。実際に見つかるのは居住可能な地球類似体アース・アナログ以上に稀だともいわれている。そして、生物がいる可能性はかなり低い」


「へえ……!」


 深さ数百キロの海とは、どんな恐ろしい場所なのだろう――畏怖を覚える。それに、なぜこの料理人はそんなことまで当然の常識のように話すのか。

 ゆっくりと高度を下げていく機体。やがて雲海を抜けたその先に、油を塗ったように黒々と照り映える広大な水面が姿を現した。それに、白く泡立つ砕け波に取り巻かれた、小さな陸地の群も。

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