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第3話:地表へ.1

「海……」

 クロエはカンジの顔を穴のあくほど見つめた。

「それ、まじめな話なんです?」

「もちろんだ。一人じゃナマコモドキ漁はできない」

「いやいや、待って。二人でもできないでしょ。皿洗いやフロア係やらで済むとは思ってなかったけど、まさか海に降りて漁に出るなんて……!」

 そんなものはクロエの知る限り、「料理店で働く」という行為の範疇には入っていない。

「あー……」

 カンジはクロエの反応を前に一瞬戸惑ったあと、我に返ったようなそぶりをみせた。先ほどからずっと浮かべていた、よく言えば真面目、さもなくば無愛想とも取れる表情に、かすかに自嘲の色らしきものが浮かぶ。

 だが、クロエの眼にはその表情がなぜかひどく不器用なものに見えた。筋肉と神経を総動員して、やっとお手本を真似している、といったような感じがある。

「そうかぁ。そうだよな、普通はそこまでしないか……だが、うちでは違うんだ」

「うちでは……? じゃあ、まさか日常的にそんなことを?」

「以前は定期的に仕入れに降りていた。相棒が――リチャードがグリル・ランナーで海底へ潜行し、俺が洋上でバックアップを担当。そういうシフトだ」

「……グリル・ランナー?」

 聞いたことのない名称だ。話の前後から推測するに潜水作業艇の類のように思えるが、それにしては名前がどうもそぐわない。

「説明するよりも見せた方が早そうだな。食べ終わったら宇宙港まで行こう、どうするかはその後で決めてもらって構わない」

 言葉の上ではごく常識的に聞こえる。だが、クロエは改めて自分の立場に思い至る――先ほど生体認証で確保した身分保障はあくまで一種の仮処分、この星系内に限って留保される臨時のものだ。

 替えの端末が届いて口座アクセスや旅券が回復するまでは、現実として彼女は泊まる宿にも事欠く素寒貧の身の上だということ。

 不本意ながら、この男を頼る以上の解決策はそうそう手に入りそうにない。その上、クロエの中では彼女が現在の状況に陥る原因でもある、持ち前の好奇心や冒険心がむくむくと首をもたげてきていてた。

 開拓惑星の地表に降りて本物の海を見る、などということは、父の庇護下に収まってぬくぬくと暮らしていては到底望みようもない経験にちがいない。

 そそくさと目の前の食事を最後まで片づけると、クロエはカンジをまっすぐ見ながら答えた。

「わかりました。説明してくれるのなら最後まで話を聞いてみる。でも、駄目だと思ったら帰りますから」

 自分は、多分その選択をしないだろう――彼女の中ではそんな確信が固まりつつあった。


  * * * * * 


 「雲台14」の宇宙港へは、最寄りのターミナルから外壁に沿って設置されたリニアラインが通じている。クロエが「饕餮アヴァリス」近くまで来るのに使ったのもこの路線だった。

 違うのは車輛だけ。今回は乗り合いの大型客車ではなく、要請に応じて配車される四人乗りのタイプだ。


「ねえカンジさん……貼り紙見たら、お客さん完全に離れちゃうんじゃ……?」

 隣の席に座るカンジの右頬に視線を固定したまま、クロエは声に出してそう言った。

 クロエが今話題にしているのは、二人が「饕餮」を後にしてくるとき、入り口にシャッターを下ろしてそこに貼りつけた休店案内の貼り紙のことだ。

「いや」

 カンジが進行方向を見据えたまま、ぎこちなく笑った。

「仕入れのため、って書いてるんだ。客は期待して待ってくれるさ」

 そういうものなのか、とクロエは首を傾げた。

「これまでにも店を休んで長途、長期の仕入れや出張での調理請負をやったことがある。常連の中には食事を殆どうちに依存してる客もいるんだが、そういう時には別の店や、公共の給食サービスを利用するように頼むのが常だった。だが今回ばかりは流石に、廃業も考えてた」

「ええっ……?」

「だって看板メニューが出せないんじゃ、店を続けようにも今一つ、なぁ。だが――」

 カンジがくいと首を廻してクロエを見た。

「うちを訪ねて来たばっかりに客が困りごとに巻き込まれたとなれば、俺にも責任がある……要求される立ち回りも違ってくるさ」

 クロエには何と返事をしていいかわからなかった。

 廃業するか続けるか。そんな他人の意思決定の口実にされるのは正直言って不本意だ。とはいえ行きずりに等しい自分に対して、精一杯の助力をしてくれようとしているのも確かだ――あれこれがごっちゃに綯い混ざっているのが困りものだが。

 二人を乗せた小型客車は、やがてリニアラインの幹線を離れて宇宙港の外れにある一角へと入っていった。クロエが降りた旅客用のブロックとは違って、この辺りの施設はやや老朽化していて、ところどころの着陸パッドには「修理中・使用禁止」との表示が見受けられる。

 だがその古さとは裏腹に、各構造物の作り自体は極めて堅牢で無骨なものだ。それらは明らかに、軍用やそれに類する規格でまとめられているように見えた。

 客車を降りてしばらく歩くと目的の場所についた。そこにうずくまっている全長二十メートルばかりの宇宙機に、クロエはいくらかの知識があった。

「え、これって……?」

 厚みがありおおよそ楕円をした機体の左右側面に、小さな逆ガル形状のデルタ翼を配した姿。機体下面を守る装甲は、その一部がスライドして脇へ移動できる、独特の機構を有している。

 間違えようがない。DT44型降下艇ドロップシップだ。

 慣性制御による水平離床と重力圏脱出、大気圏への再突入が可能な往還機シャトルとしてはほぼ最小サイズ。その反面、外付けされる豊富なオプション装備によって、惑星地表での活動にも縦横に対応できるというふれ込みのものだが――

「……驚いた。一線級の軍用機ですよね、これ。こんなもの置いてるって、何なんですかここ?」

「ええと、ここは個人向けに貸し出されてる繋船区画ドックでね、言うなればみたいなもんさ。で、これは『ホークビル』。俺の……まあ愛機ってとこだ」

 カンジは降下艇に歩み寄ると、手を伸ばして積荷カーゴブロックのドアを開放させた。

「よし、一緒に上がってくれ。グリルランナーはこの中にある」

「……OK」

 未だに目の前で見せられているものを理解しきれてはいないが、とにかくクロエはカンジの指示と自分の好奇心に従った。

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