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第2話:クロエ、足止めを食らう(後)

  * * * * * 


 “人們就是他吃的東西”(※)

 そんな文字が書かれた扁額が、天井に近い部分の壁に掛けられている。先ほどは薄暗くて気付かなかったが、クロエが通信と申請を終えて戻ってくると、フロアには営業用の照明が灯されて見違えるように明るくなっていた。


「どうだった?」


「……驚いた。認証用に指紋と虹彩のスキャナー、DNAサンプラーまで付属の通信端末なんて。あんなのよほど大きな都市かステーションのお役所でしか見たことないのに……ねえ、ここ本当に料理店なの?」


「え、そっちか……まあ、色々あるんだがあの端末は払い下げ品でね。格安だったんだ」


「だからって、あんなかさばる筐体を?」


 疑わしげな目つきで見上げるクロエに、カンジは唇の左端を吊り上げて見せた――同時に目が細められた様子からすると、ウインクがしたかったらしい。


「……別にあれらの機能はなくても良かったんだがな、おかげで時々こうやって役に立つ。まあ、まずはこれを食べるといい」


 カンジがテーブルに置いたトレーには、油で炒めた米飯と琥珀色のスープ、それに何か野菜と共に炒めた肉が並べられていた。


「へぇ、炒飯に春雨のスープ、それに木須肉ムースーロウね、美味しそう! 頂きます!」

 クロエは席について陶製のスプーンレンゲを手に取り、料理を口に運んで――絶句した。

 パラリと仕上がった炒飯はまだ熱く、一粒一粒にむらなく絡んだ卵黄が油としっかり馴染んでいる。混ぜ込まれたみじん切りの叉焼は特有の赤い色彩が鮮やかで、肉の甘みと香りが際立っていた。スープにはほのかなショウガの香りがつけられ、最適な具合にもどされた春雨の喉越しも素晴らしい。


「こういうスープって、普通は調味料の味がするだけの油っぽいお湯なのに……」


「そんなのはアレだ、そこらのハズレの店で食うからだ」


 にべもないカンジのあいづちには構わず、木須肉を口に運ぶ。こちらも絶品、タレに加えられた酒の力か、オイスターソースものにありがちな独特のしつこさが抑えられて、泡立ててふっくらと焼いた卵に旨味がたっぷりと染みとおっていた。

 そしてやや厚めに切られた肉ときたら、しっかりと火が通っていながら何と柔らかいことか。


「……美味っしぃいい!! これが賄いだっていうなら、いっそ働きたいわね、ここで」


 そりゃよかった、とカンジは相好を崩した。


「気に入ってもらえて嬉しいね。そのソースは、お目当てのナマコモドキと同じ調合なんだ。一度味わっていれば、具材を変えたものも想像くらいはできるだろう」


「そんなの、余計残酷じゃない」


 クロエがカンジに恨めしそうな眼差しを向ける。


「それでさ、話の続きだけど。申請は受理されたんだけど、端末機の代替えが届くまで三カ月かかるって言われたわ」


「ああー……まあそうなるか」


 太陽系外まで進出しオリオン渦状腕に生存圏を築いた現在の人類ではあったが、電波での通信にはおのずと光速の限界がある。

 目下、情報や物資を別星系まで届ける最も早い手段は、超光速航行可能な宇宙船による便なのだ。


 クロエが出した申請は、この星系の中央官庁で処理されて彼女の身分と利益を守ると同時に、端末機のサービス提供会社へも送られた――船便で。


 購入時に結んだ保険契約に基づいて、彼女の口座アクセスキーをはじめ、端末に紐づけられた情報を登録したうえで代替え品が配送されるのだが――該当機種が最寄りの営業所に在庫なし、やはり相応の時間がかかるのだった。

 結局のところ、宇宙はどうしようもなく広い。


「どうしようかなあ。ずっと、じゃないけど、とにかく諸々が復旧するまで身動きが取れないことは確実になったわね」


「そうか。それなら、一つ提案がある。いま自分でも言っていたようだが、ここでしばらく働いてみないか?」


「私が?」


「ああ。料理を味わう舌はあるようだし、一人でこんな辺境まで旅してくる度胸も評価できる。住み込みで構わなければ、給料も出せるし賄いの味は保証するが」


「ふむ……いい話だけど、ちょっと良すぎるわね」


 クロエはスプーンを動かす手を停めて、カンジの顔を見上げた。


「なにかとんでもないことをさせられそうな気が、するんだけど」


「なるほど。勘もいい。ますます気に入ったよ。実は、相棒が戻るまで食材の仕入れを手伝って欲しいんだ」


 カンジはしごく真面目な顔になって、テーブルの向かい側に腰を下ろした。


「場所は『雲台』の地表。ここからざっと四万キロ弱下方にある、海へ降りてもらうことになる――」






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