縛り上げられた紗希が大型のバンへ乗せられるのを、蘇我俊樹はただ黙って見つめていた。
促されて紗希の横に乗り込む。
(これでいい、これでいいんだ。蘇我家が助かるためには、これしか……)
冷や汗が噴き出す。
蘇我俊樹が思い出すのは、白川会長の誕生日パーティーに先駆けて行われた、宮本総一郎との会食のことだった。
腕利きの職人が手掛けたと一目でわかるほど立派な、純和風の宮本家の邸宅。その最奥に位置する宮本家当主のためにあつらえられた庭園を望む和室に、俊樹と明音の姿がある。
俊樹はスーツを、明音は振袖を身にまとっている。
黒々とした黒檀の卓には、宮本時哉と総一郎が同席していた。今日は正式に明音が時哉の婚約者となる日だ。
「本日はお招きいただきまして、誠にありがとうございます」
畳に両手をついて深々と頭を下げる俊樹に、総一郎は穏やかに言う。
「なに。時哉の妻となる娘さんの御父上とは、ぜひとも一度、話しておこうと思いましてな」
笑みを浮かべる彼を前に、俊樹は完全に気おされて小さくなっていた。蘇我不動産も決して小さな会社ではないが、過去の栄光に縋ってなんとか生き延びている旧態依然とした会社なのは事実だ。
さらに過去に起こした俊樹の行動が災いし、多くの慰謝料を支払う羽目になっている。
経営に明るく経理にも強い明日香の存在がなければ、蘇我不動産はもっと早くに倒産していただろう。
いや、本当のところはもっと危うい。明日香は苦心した末に不正会計に手を染め、明るみに出れば会社がつぶれかねないスキャンダルを抱えている。
ほとんどもう倒産したも同然の会社が生き返るには、総一郎の助けと人脈が不可欠だった。
(それもこれも、紗希のせいだ。琴美を失う未来があると分かっていたからこそ、私は何人もの女と関係を持ったんだ……!)
自身の軽さを棚に上げ、俊樹は心の底から紗希を憎んでいた。
「さて、と」
悲嘆に暮れようとした俊樹の意識を、総一郎の声が引き上げる。
「明音さん。お姉さんについて、少し聞かせてもらえないかい?」
「えっ? 紗希、お姉さまについて、ですよね」
「ああ。実を言うと彼女が青木昇吾くんに大変にふさわしい女性になったと、あちこちから聞いていてね。君から見てどう思ったか、参考程度に教えてもらえないかい」
傍から聞くと、緊張した様子の明音の気持ちを解きほぐそうと、総一郎が投げかけた質問に聞こえた。
だが。真琴の影響を受けた明音には、とんでもない質問だった。
「まあ。総一郎さまも、あの悪女に夢中なのですか?」
「おや。どういう意味だい」
「お姉さまは昇吾さんという素晴らしい婚約者がありながら、実は白川家のご長男と秘密裏に連絡を取り合っていたんですよ。しかも篤様は、なんと自身が出演するCM発表会にて、お姉さまへの想いを仄めかすほどの入れ込みだったんですから」
明音の唇がめくれ上がり、凄みのある笑みを浮かべる。
「今の変わりようだってそうです。あのお姉さまのことだから、何か計算高く考えているんですよ。それより今日は、私と時哉さんの……」
「生粋の悪女か。ますます気に入ったよ」
総一郎が嬉しそうに言う。明音は呆然と彼の顔を見上げた。
(どうして。今日は私と、実の息子の婚約日なんでしょう? どうしてお姉さまの話をするの? 私の事は、いったい……)
明音は気を取り直して、俊樹の方を見る。
「お、お父様。お父様からも何かおっしゃってよ……」
しかし俊樹は明音の言葉に応える余裕などなかった。紗希のことを総一郎が気にかけている、その方がよっぽど重要だった。
「娘が失礼をいたしました。紗希が、どうかしましたか?」
俊樹が尋ねると総一郎は少し恥ずかしそうに言う。
「実はおいぼれの身ながら、彼女に恋をしてしまった。うまく彼女を手に入れたいんだ。何かいい案はないかね?」
なんだって?流石の俊樹も面食らい、言葉を失う。
「ちょっと、父さん。本気? 今日は……」
思うところがあったのか時哉が口を出すが、総一郎は聞く様子がない。
「まあ、待ってくれ。これは宮本家にもとても大切なことなんだ」
全く。時哉はため息をつきながら、姿勢を正す。明音は未来の夫もこの老獪な男の言いなりなのかと思うと、行く末に不安を感じざるを得なかった。
「私は彼女をこの手にしたい。だが、流石に青木家の婚約者である女を無理にさらったとなれば、私の名誉も傷つくし、宮本家にもどうしようもない瑕疵が及ぶだろう。だがだからこそ、君たち家族に協力してほしいんだ」
総一郎は本気なようだった。彼は俊樹と明音を交互に見つめ、そして明音に目をやった。
「賢い君なら分かると思うが、紗希さんは手に入れたい物は何でも手に入るのだろう? 真琴にも聞いたよ。君には手に入れられないような名誉や物をもっていながらも、飽きることなく昇吾くんを求めて、そうして手にした」
「ええ、そうです」
答えてから明音は、不思議な感覚に襲われた。それは恐ろしく甘美でもあった。
目の前の老獪な男性は、とてつもなく賢く、この世の全てを支配できる男だと思えてならなかった。彼ならば自分の苦しみを理解し、それこそ両親以上に大切にしてくれると漠然と感じ始めていた。
(いいえ、総一郎さまなら、義父様なら、私のことを誰よりも大事に思ってくださるわ……!)
体中を包む幸福感に、明音はうっとりとする。自分の心の奥に秘めていた、誠にしか打ち明けたことのない真実を口走った。
「私、お姉さまが大嫌いなんです」
明音はハッキリと言い切った。