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第6話 元悪女と、家族(4)


 私が母を殺した? ――紗希の脳内はその一言で埋め尽くされていた。


 俊樹は黙ったままの紗希を見てか、さらに饒舌に語りだす。


「お前が私をどう思っているか分からないが、お前は娘でもなんでもない。私から琴美を奪った疫病神だ、いいや死神だ! 人の死を招くなど、悪女以外の何でもない!」


 突き付けられる言葉に顔を青白くさせながら、紗希は口をパクパクと動かす。何か伝えたいのに、言葉が出てこない。


「お前が産まれてこなければ、琴美は死ななかったんだ!!」


 立て続けに言われる言葉に、紗希は飲み込まれそうになる。しかし、あと一歩のところで、紗希の心は踏ん張っていた。


 本当に紗希が産まれてきたから琴美が死んでしまったのか、確かめる術はどこにもない。


 それでも、琴美は心の底から自分を愛してくれていたのだと、今の紗希には確信があった。死因がなんであれ、紗希を愛していたから、琴美は何時だって紗希のために厳しく、時に優しく接してくれた。


『お嬢様、一つだけ覚えておいてください。琴美様は貴女を愛しておられました。それはとても、とても深く』


 執事としてずっと面倒を見てくれた和香の言葉が思い起こされる。


「っ、だと、しても……。私が死因だったとしても。お父様が明日香さんと関係を持ち、お母様に不倫をしてもよいという権利はどこにあるのですか。今のように仕事だと偽って私を呼び出し、このように糾弾する権利はどこに?」


「お前の意見など……!」


 忌々し気に顔を赤くして叫ぼうとした俊樹に、紗希ははっきりと告げる。


「この身はすでに青木家のものであり、青木家の立場として振舞う義務があります。一族に、なにより昇吾様に害となる人間とは、たとえ親でも付き合うことは……」


 言い切ろうとした瞬間。ふわ、ふわ、と頭の中が揺らぐのが分かる。


 俊樹がいやらしく笑うのが見えた。


「やっと効いてきたか」


「どう、いう、意味ですか?」


 紗希は座っていることさえできず、ぐらぐらと体が傾くのを感じていた。


(っバレませんように……!)


 力を振り絞って紗希はスマートフォンのディスプレイの端に示された、三角形の『送信』マークをタップする。


 メールの送信先は莉々果と兼用している仕事用のメールアドレスだ。先ほどまでの会話が、ほんのわずかでも届くはずだった。


 すると個室内に、見慣れぬ男たちが入ってくる。


 彼らは手にガムテープや縄を持っており、あっという間に窓のカーテンを閉めたかと思うと、紗希にその縄をかけ始めた。


 体を見知らぬ男に触れられているのに、紗希は即座に逃げることができなかった。


 触られている、と理解しているが、脳内で嫌悪感が沸き起こるのが明らかに遅い。


(これは、まさか)


 紗希は眼前の白いカップを見る。店で出された品だからと、油断していた。


 よく見ると、そこにうっすらと白い粉の様なものが沈殿している。薬を盛られた可能性に思い当たり、紗希はテーブルに必死にしがみついた。


(いえ、いいえ! お茶を用意して持ってきたのは店長でしょう。まさか、買収……)


 そこへ男たちに続いて見覚えのある顔が入ってくる。店長だと紗希が思い込んでいた相手……それはカツラとメイクで顔立ちを変えた、華崎和香その人だった。


「のどか、さ、ん?」


 信じがたい思いで紗希が名を呼ぶと、店長、いや、和香が僅かに目を細めた。


 彼女と過ごした日々が、一気に紗希の中にあふれかえる。


 決して、良い人間ではなかった。紗希は和香の養女だった真琴に、ひどいことをいくつもした。


 その事実を差し引いても、薬を盛られるとは思ってもみなかった。


「そんな、そんな、うそ……のどかさん……」


 眩暈が酷くなり、紗希の体はついに床へ倒れこんだ。見知らぬ男たちが、手際よく彼女の体を縛り上げる。


 女性的なプロポーションを際立たせるかのように、胸や尻の周りにまで縄が結わえられた。あまりの恥辱に紗希は首を横に振りながら身をよじったが、逃げられない。


 和香の目が紗希を見下ろしている。彼女の目には、涙が浮かんでいた。


「……申し訳ございません、お嬢様」


 どうして。問いかけようとした言葉は紗希の唇の上で、融ける様に消えていく。


 遠のく意識の中、紗希は最後の力を振り絞り、俊樹を睨みつける。懸命に口を動かし、言い放った。


「おかあさまは、わたしを、あいしていたから、うんだのよ」


 俊樹の表情がゆがむ。嘘だ、と叫ぶ声が聞こえたが、紗希にはもうどちらでもよかった。


 ただ。昇吾への申し訳なさだけが、胸いっぱいに広がっていくのだった。



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