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第6話 元悪女と、家族(3)


 紗希は予定時刻の10時より15分ほど早く、パーラー・セイレへ到着していた。


「お久しゅうございます、紗希様。もう10年ぶりくらいでしょうか……」


 懐かしそうな様子を見せるのは、柔和な笑顔がよく似合う40代前後と思しき女性だ。フルーツの鮮やかな香りを漂わせており、胸元には『店長』という名札が付けられている。


 紗希は微笑みながら彼女へ伝えた。


「こんにちは。奥に個室がありましたよね?」


 かつてこの店に、紗希は琴美に『ご褒美』として連れてきてもらった。


 奥にある個室からサラリーマンらしい男性2人組や賑やかなおば様集団が出てくるのを何度も目撃していた。


 蘇我家のような旧家が近隣に多く、なおかつ、ビジネス街が近い土地柄のためだろう。


 店長は紗希の意を組んだらしい。


「込み入ったご事情がありそうですね。もちろん、奥へどうぞ」


 案内された個室は、店内と内装も同じだった。万が一のことを考え、紗希は逃げ出す方法を頭の中で組み立てる。


(この窓からなら飛び降りるのに支障はないわね。店長さんも呼べば来てくれそうだし、お父様も強硬な手段に出ることは、ない、わよね)


 気持ちを落ち着けようと、紗希はメニューから緑茶とレモングラスを合わせたオリジナルティーを注文した。


 白いカップに注がれた爽やかな香りが、心を落ち着かせてくれる。


「……莉々果、怒るかしら。怒るわよねぇ」


 今日の事は昇吾にも嘘をついただけでなく、莉々果の名前を出してしまった。莉々果と一緒だと聞けば、昇吾も納得すると考えたためだ。


 今更のように、昇吾に話を通しておくべきだったかと考え込んでしまう。


 だが紗希は思いなおす。


(昇吾さんも、心の声を聞きとらないように努力をなさったのだもの。私だって、自分でできることを増やしていかなくちゃ)


 10時を迎えた頃。スマートフォンの通知音が響いた。思わずカバンを開いて、紗希はハッとする。


 カバンの中にあるのは、プライベート用のスマートフォンだけだ。


 しまった、と思う。ビジネス向けのスマートフォンを自宅へ置いてきてしまったらしい。


 本当に、万が一、俊樹が仕事の話をするとしたら、そちらに記録を付けたかったのに。


 だが機能面ではプライベート用のスマートフォンも、特に大きな違いはない。


 改めて心を落ち着かせつつ、紗希はメールソフトを起動させ『音声入力』を起動させる。


 俊樹との会話内容を残しておき、万が一に備えるためだった。


 さらに10分ほど経過して、ようやく俊樹が現れる。黒々とした頭髪をオールバックへ整えており、昭和の映画スターを彷彿とさせるような凛々しい面立ちが際立っていた。


 彼は席へついている紗希を見て、鼻で小さく笑う。


「流石に親よりも遅く来ないだけの分別はあったようだな」


 とげとげしい口調に、紗希は目を細める。先んじて録音を始めていて良かったと思いながら、冷静に返事をする。


「お父様、お久しぶりです。お元気そうで何よりですわ」


「まあな。お前がいないと屋敷が静かで落ち着けるよ」


 運ばれてきたコーヒーに手を付けながら、まるで悪びれる様子もなく父親が言う。


 自分がいたころは騒々しかったとでも言いたげな言葉は、紗希の心をぐさりと突き刺した。蘇我家で暮らしていた【死に戻り】前の自分を思い出してしまいそうで、紗希は話を切り出す。


「それで、仕事とはどのような?」


「仕事? ああ、そうか、そういう要件で呼び出したんだったな」


「まさか嘘だとでもおっしゃるのですか。蘇我家の当主ともあろう方が」


 内心、予想はしていた。動じずに紗希が言うと、俊樹は紗希の反応に大きく目を見開く。


「いいや? ただ、仕事の話よりも前に、まずは琴美のことを話しておきたいんだ。お前も心配事は減った方がいいだろう。たとえば……」


 もったいぶる様に言葉を区切った俊樹は、冷静な表情で言った。


「琴美の死因は、自殺なのか、それとも心不全なのか、とかね」


 紗希は目を見開いて固まる。


「私と琴美が出会ったのは、お見合いの場だった。蘇我家の遠縁にあたる私のもとに、親戚たちから琴美との結婚話が持ち上がったんだよ。蘇我家の血筋のためだと聞かされていてね。私は恋愛至上主義だったから、お見合い話なんて、と思ったさ」


 懐かしそうに語る俊樹は、コーヒーカップをソーサーへ戻した。


「だがお見合いの場で出会った琴美は、本当に楽しくて、優しくて、美しい女性だった。私は彼女に惚れ込んだ」


 そんな馴れ初めだったとは、紗希は全く知らなかった。父親の思いがけない人間味のある表情に、困惑が込みあがる。


 紗希の知っている父親は、琴美に対して全く興味のない人間だ。いや、情の欠片さえもなかったはず。もしも情があったのなら、明日香と明音を蘇我家へ住まわせるとしても、琴美の産んだ娘である紗希に少しは声をかけてくれただろうに。


 疑る紗希のことなど気づいていないのか、俊樹は話を続ける。


「彼女は私と結婚するかどうか問われた時、こう答えたんだ。『私は13歳の娘を遺して亡くなります』と」


 13歳。紗希が琴美を亡くした年齢、そのものだ。


 紗希には琴美が本当に俊樹へそう話したのか確かめる術がない。嘘という可能性ももちろんある。


「私は最初、信じなかった。彼女がそんなに早く亡くなるとは思わなかったし、どうして娘を遺すと言い切ったのかも理解できなかった。だが……お前が産まれた」


「娘が産まれる点は合っていた、ということですね」


 騒ぎ立てる胸の内を抑えて紗希が言うと、俊樹は頷く。


「その通りだ。私は……琴美がいなくなる未来を考えるようになった。お前が大きくなるごとに、その気持ちは膨らんでいった。いつかお前だけを遺して琴美がいなくなる。そんな未来は嫌だ。私は琴美にできる限りのことをした」


「だったらなぜ、明日香さんと結婚なさったの?」


 怒りに震えながら紗希は俊樹を睨みつけた。


 落ち着いたころ合いに明日香と出会った俊樹が、恋愛の末に再婚するのなら紗希だって納得する。だが、浮気は違うはずだ。


 しかし、俊樹はまるで気にした様子がなかった。


「いつか来る別れをおもえばこそだよ。琴美にも、明日香がいるから大丈夫だと伝えて、承諾してもらっていた」


 あまりの衝撃に紗希は震えた。


「そして、ある日、何の前触れもなく、とてつもなく健康だった琴美は死んだ。それまで信じていなかった【死に戻り】のことを、私は初めて信じたよ。琴美はおそらく、前世で同じ時期に亡くなっていたんだ。だが未来は変えられなかった……」


 俊樹の目が紗希を睨みつける。彼は紗希を責め立てるような口調で言った。


「お前の運命が、琴美を殺したんだ」


 紗希の頭の中が真っ白になる。心臓がバクバクと鳴っていた。




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