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第6話 元悪女と、家族(1)


 軽井沢でのつかの間の休息の後。正月を青木家に嫁ぐ者として過ごした紗希は、目まぐるしい日々を送っていた。


 結婚式の用意も進みつつある。もちろん蘇我家への連絡も行ったが、まるで反応がない。


 昇吾と共に結婚の報告をするならば、と僅かな希望を抱いていた紗希は、あまりの対応に二の句が告げなかった。


 そこで改めて青木家から申し出ると、俊樹からは真っ先に結婚式の規模や出席者に関する話が出たという。


「蘇我家には、紗希と昇吾を祝福する気持ちなど全くないみたいね……。大方、出席した自分たちにとって、どの程度利益があるか見定めたかったのでしょう」


 あきれた様子で言う静枝に、紗希はあまりの恥ずかしさで失神してしまいたいほどだった。


 なんて身勝手な親族なのか、と恐縮してしまう。


「蘇我家から出た日から、私は彼らの家族だという認識は捨てております。青木家の一員になる以上、どのような対処でも行う所存です」


 心の底からそう伝えると、静枝は微笑みながら言う。


「気にしないでちょうだい。……ただ、もし向こうが何か接触して来たら、その時はちゃんと青木家の女として対応するのよ」


「はい。もちろんです」


 そんな会話をして、紗希は軽井沢からこの家に戻ってきた。


 だがそれも今日で一区切りだ。昇吾と出席したパーティーより帰宅するころには、夕暮れが迫っていた。


 開閉機能が取り付けられたカーテンは、時間帯と玄関の鍵の開閉など複数の条件に従い、自動で動く仕組みになっている。


かすかなモーター音と共に西日が差し込み始めたリビングは、どうしてか紗希をほっとさせた。


(蘇我家で暮らした日々以上に、この部屋での暮らしは私を安心させていたのかもしれない……)


 心のうちで呟いたが、ふと気が付く。昇吾にはこの声も聞こえているのだろう。


 だが、心から、自分の口で発することはきっともっと大事だと紗希は感じ始めていた。


「家に帰ってきた、という感がして、ホッとします……」


 噛み締めるように呟いた紗希の後ろから、昇吾が手を伸ばす。


 優しく抱きしめてくる両腕。振り返るとスマートカジュアルなセットアップに身を包んだ昇吾が、優しく微笑む。


 見つめあった二人はどちらからともなく唇を交わそうとした時、紗希のカバンにあるスマートフォンから、着信を知らせるメロディが鳴り響いた。


「タイミングがいいな」


 残念そうな昇吾に笑みを返しつつ、明るい気持ちのままスマートフォンを取り出した紗希は、ディスプレイに表示された名前に言葉を失った。


(どうしてお父様が……?)


 ディスプレイには父、蘇我俊樹の名が無機質に点滅している。


目にするのはネット記事などを除けば数カ月ぶりだった。


 もう連絡を取る機会は限られるだろうと思っていた。縁を切る方向で動きつつあったが、このタイミングで電話をかけてきた理由が紗希には予測できない。


 楽しさと喜びに満ちていた気持ちが一撃で砕かれるような、鋭い痛みが胸の奥に走る。


 ざわめき始めた気持ちが昇吾に伝わっている可能性をおもい、紗希は咄嗟に彼の方を見た。


 昇吾は気づいているのか、いないのか、荷物の整理をしている。


(私は、青木家の女として立ち向かうべきよね。そう、いいえ、昇吾さんに頼ってばかりじゃいられないわ……!)


 今までになく強く思った瞬間。


紗希は自分の周りから柔らかな膜の様なものが、するり、とほどけるのを感じた。まるで自分を守る様に包み込んでいた特別な何かが、消え去ってしまったような違和感。


 ざわめきだす胸を抑え、紗希は昇吾に声をかける。


「っ、莉々果からだったわ。少し部屋で話すから」


「ああ、分かった」


 ごく普通の様子で答える昇吾に、紗希はハッとする。


もしかしたら、昇吾の心を読む力が何かの事情で発揮されていないのかもしれない。均に力を使ってもらった時、彼は紗希が『やめて』と言ったら力の行使を止めてくれた。


 昇吾もあの日々から時間が経ったことで、テレパシー能力を制御できるようになったのだろう。


 だとしたら昇吾の様子にも納得がいく。紗希は電話に出ながら、自室へ飛び込んだ。


「……お父さま、どうなさったの?」


『紗希、久しぶりだな』


 数カ月ぶりに聞いた父の声は、以前よりも幾分かしわがれて聞こえた。


 まさか蘇我家に何かあったのではないか。ひょっとしたら、蘇我不動産が倒産するのかもしれない。嫌な想像が頭の中を駆け巡る。


『お前に仕事を依頼したいんだが、いつが空いている?』


「仕事ですって?」


 思いもよらない言葉を投げかけられて、紗希は眉をひそめた。


「私の運営するYouTubeチャンネルへの案件依頼……ということかしら?」


『大まかにいえばそうだ』


「……どうして私に?」


『大事な案件なんだ。お前でなければ頼めない。詳しくは会って話したいんだ』


 真剣さを感じる声で言われて、紗希は考え込む。


これまで父の俊樹から仕事についての話を持ち出されたことはおろか、父親らしいことを何一つされてこなかった。


明日香と明音のこともそうだ。いくら妻が亡くなったからとはいえ、まさか四十九日も明けないうちにうちに家へ連れてくるなんて、ありえない。


 そんな俊樹が急に『大事な案件』だからといって、紗希に仕事を持ち掛けるなんて、裏がある様にしか思えなかった。


 しかし無視したらどうなるのかも恐ろしい。判断するには情報不足だった。


「お父さま。依頼のつもりならまずは仕事を聞かせて頂戴。蘇我家、いいえ。蘇我不動産の今後を聞かせてちょうだい。いったいどんな仕事をするつもりなの? 大規模なリゾート開発かしら。インバウンド観光の需要が増えているとはいっても、回収までどのくらい時間が……」


 挑発するように紗希が言うと、俊樹が小さく笑う声が聞こえる。余裕の感じられる声で、彼は言った。


『直接会いたいのは仕事だけに限らない。琴美のことも話しておきたいんだ』


 母の事を俊樹が口にするのは、紗希が記憶する限り年単位ぶりだ。


 どうやら無視をするわけにはいかないらしい。


「分かりました。明日の10時でしたら予定はありません」


『助かるよ。蘇我家の傍にあるパーラーはどうだ? お前、好きだっただろう』


「パーラー・セイレのことですね。明日の10時に、かしこまりました」


『そうだ。お前の夫となる昇吾くんには、琴美のことは話したのかい?』


 猫撫で声で言う俊樹に紗希はそれ以上の反応は返さず、紗希は電話を切った。



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