到着した青木家の別荘は、真っ白な雪に包まれていた。
以前の夏の装いとは、全く異なる印象を紗希に与えてくる。それだけで気持ちがスッと軽くなり、紗希は幸せを感じていた。
「ここ……やっぱり、とても素敵ですね」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
昇吾は柔らかく笑いながら、紗希が車から降りるのを手伝う。
「まあまあ! よかったわ、ついさっき、除雪したばかりだったのよ」
嬉しそうな声をあげて現れたのは静枝だ。夏の着物姿とは異なり、温かそうな北欧スタイルの洋装に身を包んでいる。
「お義母さま。この度はお招きいただきありがとうございます」
「いいえ。昇吾が無理を言ったのでしょう?」
「え、いえ、そういうわけでは……」
一部だけ無理があったことを否定できず、素直に答える紗希に静枝がくすくすと笑う。
そして急に真面目な面持ちになると、紗希に向けて手を差し伸べた。
「紗希さん」
あっ、と言う間もなく、紗希の体が静枝の胸元に抱きこまれる。ふわっ、と柔らかいカシミアセーターと静枝の体温に包まれた。
「よく頑張ったわね」
何か言わなくてはならない。そのはずなのに、紗希の口から言葉が出ない。時間が止まってしまったように、紗希の口が動いてくれない。
静枝の手が紗希の後頭部を優しく撫でた。
「たくさん悩んだでしょう。たくさん泣いたでしょう。でも、もう大丈夫よ」
「……お、お義母さま……」
紗希は声も出せずに、とうとう静枝の肩へ縋りついた。目元にあふれ出た涙が続けざまに頬をすべりおち、とめどなく流れ落ちていく。
昇吾の手でも、莉々果の言葉でも、埋め切れない何か。その、心の奥の何かが、いっぺんに満たされていく感覚があった。
「うちの息子は時々不器用かもしれないけれど、紗希さんを不幸にさせる男に育てた覚えはないわ」
力強く言う静枝に、紗希は慌てて顔をあげる。
「っ、そんな……そんなこと、んっ、ないです」
思わず出てしまった生理的な鼻水に、慌てて鼻の頭を押さえながらも、紗希は必死に声を上げた。
「ふっ、ぅう、あ……私は、わたしは……昇吾さんと一緒にいるだけで、幸せなんです」
静枝は紗希の言葉に目を見開いたかと思うと、肩越しに昇吾へ視線を放つ。
「まったく……昇吾」
「ああ。もちろん。宮本家だろうが、紗希には手を出させないよ」
「大丈夫かしらねぇ」
肩をすくめた静枝は紗希の背をさすりながら、
「温かい暖炉があるのよ。さあ、たっぷり温まって、ゆっくり休みなさい」
と、室内へ案内するのだった。
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静枝の心づくしのもてなしを受けた後。薪ストーブの暖かな火にあたりながら、2人はソファに隣り合って座っていた。
軽井沢の静かな夜は、普段のマンションとはまた違う安らぎを運んでくる。
「……母さんには驚いただろう?」
「いいえ。とても、勇気づけられました」
紗希がしみじみと言うと、昇吾は彼女の肩を引き寄せ、優しく微笑んだ。
「なら……たまには、こういうのも悪くない?」
「ええ……ありがとう、昇吾さん」
彼の温もりに包まれながら、紗希は少しずつ、目を閉じていく。そんな紗希の姿に安心したのか、昇吾も力を抜くのが分かった。
やがて静けさが部屋を満たした時。
昇吾が完全に目を閉じて、眠っているのを察した紗希は、静かに暖炉の炎を見つめていた。
(今なら、昇吾さんに私の心の声は聞こえないはず……)
静枝に抱きしめられた時。紗希の脳裏に蘇る光景があった。
―― 紗希。愛している。覚えていて。
病床に横たわる母の手が、紗希の顔を優しく撫でている。そして力強く紗希を抱きしめると、優しく囁いた。
―― 未来も、過去も、私のこの愛は、変えられない。
そう言って、また紗希の顔を撫でた母の手。
(未来も過去も……)
紗希は静枝の腕に抱かれながら、全身を震わせた。目の前一杯に涙が込みあがる。
感動だけでない気持ちが、紗希の全身を駆け巡っていた。
(もしかして、お母さまは蘇我家の娘として分かっていたの? 私がいつか『死に戻る』って……)
だとしたら、過剰なまでの紗希の将来を見据えたような行動にも頷ける。もしかすると、前世の記憶を持つという小田家の人に言われて、いつかの日に備えていたのかもしれない。
母のくれた愛情が今の紗希を生かしている、そんな気がしてならなかった。