昇吾から言われるがまま、3日分の衣服を用意した紗希は、車の助手席に座っていた。
「あの。昇吾さん」
(まさか自分で運転されるなんて、予想外すぎる……!)
寒さを考慮して衣服を選び、靴も雪や雨が多い場所でも問題ないものを履いている。だが、いったいこれからどこへ行くのか以上に、運転している昇吾に意識が吸い寄せられてしまう。
(おまかせと言ったはいいけれど、まさかこんなことに……!)
行き先はどこなのかと問いかけようとした時、昇吾が前を見たまま言った。
「軽井沢に行く予定だ」
「えっ……軽井沢?」
驚きを隠せない紗希に、昇吾はチラリと視線を向けてくる。
「母さんも紗希が来てくれるのを楽しみにしている。少しでも紗希の気分を変えられればと思って旅行を考えたんだが……公共機関では人が多くなりすぎるし、運転を頼むの気がかりだった。それで青木家の別荘、かつ、自分で運転していくということにしたんだ。」
紗希は胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。昇吾が自分を気にかけてくれていたこと、そのために時間を作ってくれたことが、ただただ嬉しかった。
だが。ハッとして紗希は、昇吾の足元を見た。彼が出かける際に普段使いの革靴姿だったので、紗希もそのスタイルに合わせていた。
「……今の軽井沢というと、もっと雪深い、ですよね?」
「わかってる。到着したらすぐに、靴を買いに行く予定だ」
昇吾は苦笑しながら言った。
「よく考えたら、紗希をちゃんとデートや旅行に誘うのが初めてで……連れ出すことばかり考えていたんだ」
その言葉に、紗希は思わず顔を赤らめた。
こんな風に昇吾から旅行へ誘われるのは、確かに初めてかもしれない。茶会をはじめ、外出先はパーティーなど社交の場であることが前提だった。
「……私も、デートに誘われたのは、はじめてかもしれません」
思わず俯く紗希を見て、昇吾が笑みを深める。
「がっかりしたか?」
「いいえ! 少しも」
高速道路へ入った後。車の中で過ごす時間は、あっという間に過ぎていく。
車窓から見える景色は、次第に都会の喧騒から静かな冬の森へと変わっていった。
街中から少し離れた大型のショッピングモールに到着した昇吾は、紗希と一緒に駐車場に降り立つ。
駐車場内は雪かきが完了していたが、周辺を見れば今の靴では危ないことは目に見えていた。
「とりあえず、靴を買いに行こうか」
昇吾はそう言って紗希の手を引いた。その温もりに、彼女の心の奥の重たいものが、少しだけ軽くなった気がした。
靴店の中には、冬用の暖かそうなブーツが並んでいる。同じようにブーツを買おうと考えているのか、店内には軽いスニーカー姿の外国人観光客もいた。
「これなんかどうだ?」
昇吾が手に取ったのは、シンプルでありながら洗練されたデザインのショートブーツだった。
試しに履いてみると、ぴったりと足に馴染み、思わず紗希は微笑んでしまう。
(見ただけで足のサイズが分かったのかしら? ……)
そんなことはない。そう言いたげに昇吾が唇を尖らせた。思わずおかしくて笑いながら、紗希はブーツをトントンと鳴らした。
「じゃあ、これにします。」
「よし、決まりだな」
昇吾は見た瞬間に何を買うか決めていたらしい。男性向けのブーツを手に取ると、すぐさま店員に会計を依頼する。
そのまま履いていくことを告げれば、店員がタグを手際よく切り取った。
ショッピングモールを歩きながら、ふと思いついたように昇吾が尋ねた。
「何か買い物は?」
「そうですね。お義母さまはお夕飯の予定を?」
自宅で食べる予定だったかな、と昇吾が呟いた。紗希は少しだけ考えてから言う。
「でしたら、ワインにしましょうか?」
「そうしようか」
2人でショッピングモールの酒屋に向かう。並んで商品を選ぶことも新鮮で、紗希は目を細めた。
「なんだか、不思議です。こうやって昇吾さんと買い物をする日が来るなんて……」
心の中で紗希は(まるで夢みたい)と呟く。昇吾がすぐに言い返した。
「夢だと思うなら、手でもつなぐか?」
ぶわっ、と顔を赤くした紗希は俯いてしまう。デートで、それも手をつなぐなんて!
おそるおそる手を差し出すと、指先だけがそっと昇吾の手に握られた。
「ふふっ……」
思わず笑みを浮かべた昇吾が、紗希の手を自分のポケットにねじ込む。
「手じゃない、だろ?」
「……キスの時と同じ手口ですね」
思わず笑ってしまった紗希に、昇吾は照れ隠しなのかワインをカゴに入れる。
店員たちからの何とも言えない生暖かい眼差しには気づくことなく、2人は買い物を続けた。