師走らしい冷たい風が、静寂の中でそっとマンションの外の木々を揺らしていた。
枝に残るわずかな葉っぱが、風に揺られてカサカサと音を立てる。そんな音さえも聞こえてくるほどの静けさに、どこか耐え切れないものを感じて、紗希はスマート機器に声をかける。
「何か曲をかけて」
すぐにAIが反応し、軽やかなジャズが室内にかかりだした。
「……はぁ」
ため息交じりに紗希は思考を巡らせる。
白川会長の誕生日パーティーの後。真琴の動きは、不気味なほど表に出てこなくなった。
「どうやら宮本家で大人しくしているらしい。前のことが、よっぽど堪えたんだろうね」
篤はそう言っていたが、紗希には彼女が何か別のことを考えているような気がしてならなかった。
(真琴さんだけを注意していればよい、というわけじゃなくなってしまったみたいだし……)
時哉から向けられた力を考えると、どうにも恐ろしい。
それだけでなく、時哉と明音の結婚が噂され始めてからというもの、蘇我家の邸宅から人気が消えている。
探りを入れた範囲では、どうやら蘇我家の人々は宮本家にて生活しているようだった。
「何があったのかしら……」
呟いてみても答えが返ってくるはずもなく、ただ一人きりで思い悩むばかり。
唯一の良い知らせは、蘇我不動産は今のところ無事ということだ。倒産の兆しはなく、従業員たちは無事に生活できている。
だが、この状況が続けば何が起こるかわからない。考えれば考えるほど、紗希の心は沈んでいった。
その時、玄関の扉が開き、重めの足音が近づいてきた。
(昇吾さんだわ!)
彼を迎えるべく昼食を用意していたことを思いだし、紗希は立ち上がる。
「昇吾さん、おかえりなさい」
「ただいま」
昇吾はネクタイを緩めながら、まっすぐ紗希の方へ歩いてきた。そして顔をほころばせる。
黒いアイランドキッチンに並ぶのは、冬菜のみそ汁と雑穀ご飯、それから小鉢の数々だ。
前年のフキノトウを冷凍保存してあったものを細かくし、味噌と炒めたフキ味噌。
塩気を効かせた出汁巻き卵。ゆずの皮を散らした膾に、黒豆入りのミートローフ。
デザートは抹茶のプリンだ。
昇吾は満面の笑みで席に着き、紗希が用意してくれた食事を前に手を合わせる。
「紗希のご飯が恋しかったよ、食べてもいいかい?」
「もちろんです。どうぞ、召し上がれ」
「いただきます」
紗希は椅子に座ったまま、じぃ、と食べている昇吾を見つめる。それに気づいた彼は、すぐに紗希の近くにやってきてくれた。
「どうした?」
「いいえ……ただ。昇吾さんが家にいるなぁ、と」
紗希は言いよどむ。すると昇吾は「ああ」と納得したように頷いた。そして紗希の表情をうかがう様に尋ねる。
「紗希。せっかくだから、旅行にいかないか? ここのところは年末で忙しくしていたから……」
「えっ、旅行に?」
思わず声が弾んでしまう。パーティーなど催し物と異なり、プライベートな時間が多いとなれば、昇吾もリラックスできるだろう。
ここ最近、昇吾は仕事で忙しく、2人で食事をとることすら珍しかった。いきなりの提案に戸惑ったのも事実だが、気づけば紗希は頷いていた。
(お仕事が本当に忙しかったでしょうし、それに私のことまで……)
昇吾が紗希の顔を覗き込む。
「気にしないでくれ。ただ、行き先と旅程は、俺に任せてほしい。どうだ?」
「もちろんです」
「決まりだ。午後からすぐ行きたいんだが……」
昇吾の言葉に、紗希はぴしりと固まる。
「ま、待ってください。午後?」
ちゃんと用意できるだろうか。不安になりながら紗希が尋ねると、昇吾が小さく笑みを浮かべた。
「急すぎるか」
「い、いいえ! 昇吾さんにおまかせすると言いましたから……。急いで用意します!」
喉奥で笑った昇吾が紗希の頬を軽く撫でる。
「いいんだ。日程を改めた方が君も……」
「昇吾さんと過ごす時間が減ってしまうのは、寂しいんです」
紗希の言葉に昇吾はピタリと動きを止めた。そして顔を僅かに赤らめる。
「そうか。なら、俺の我儘に付き合ってくれるか?」
「……はい」
紗希は昇吾の手を握りながら頷いた。すると彼は嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ているだけで幸せになれるのだから、自分も単純なものだ。
紗希は久しぶりに感じる彼のぬくもりに目を細める。静かに距離が縮まって、気づいた時には2人の唇は重なっていたのだった。