―― 白川会長誕生日パーティー、三日前
宮本家の邸宅は、純和風の日本家屋だ。その最奥に位置する宮本家当主の庭園は、おいそれと他人が足を踏み入れられる場所ではない。
黒々とした黒檀の卓を囲み、宮本時哉とその父である宮本総一郎は向かい合って座していた。
時哉はどこか憮然とした面持ちで、眼前の父親を見つめている。
「よくやった、時哉」
優しく目を細める総一郎は、先ほどの真琴への態度からは想像がつかないほどに穏やかなものだ。
「真琴もこれで、宮本家の娘として一皮むけるだろう。辛い思いをさせたね」
総一郎からの褒め言葉に一度頷いてから、たまらない、という様子で時哉は尋ねた。
「父さん。これで貸し一つだ。いいかい?」
「ああ。珍しいな、お前が俺に貸しを作りたいなどと言いだすとは」
息子の成長を見守る様に笑う総一郎に、時哉は言う。
「ならすぐにその貸しを返してもらいたい。……真琴は母さんの、宮本優珠の血を引いているのか?」
熱を帯びた声色だった。切れ長の目には、隠しきれない焦りがにじみ出ている。
問いかけられた総一郎はそれまでの優し気な表情を切り替え、どこか驚きを湛えて時哉の目を見つめ返していた。
宮本時哉は、自分には多くの妹や弟がいる、と幼いころから理解していた。
家にしょっちゅう来る女性や子供たちは、いずれも父と関係性がある様子だったからだ。
成長するにつれて『父の行いは決して世間から褒められたものではない』ということも、理解しつつあった。
時哉自身は、自分が特別扱いされていると強く実感していたが、だからといって納得できることでもない。
自身で把握しているだけでも腹違いの弟や妹は10人もいる。世間一般ではまずありえないだろう。
しかし総一郎はより強い力を求めて、多くの女性と関係を持ち続けてきた。
だが。真琴が家に迎え入れられたと時哉から聞いた瞬間、普段気丈な女性である母の優珠が泣いたのだ。
『帰ってきたのね、とうとう真琴が帰ってきたのね……!』
母は宮本家の本家の娘としての誇りと気高さを湛えており、時哉が知る限りもっとも美しい女性だ。
そんな彼女は総一郎が外で子供を産ませても、何時だって『宮本の血を守るためです』と言い切り、総一郎に寄り添い続けてきた。
時哉にとって、母は唯一無二の存在。そんな彼女が泣くほど喜んだ様を、今まで見たことがなかった。
履いているスラックスの太腿あたりを強く握りしめながら、時哉は総一郎の言葉を待つ。
「……彼女が言ったのか」
彼女、と総一郎が呼ぶのは、時哉の母の事だ。
総一郎は本家の血を引く男だが、どこか時哉の母を一層に神格化しているところがある。
それは宮本家の本家に産まれ、他の血が一切入っていない優珠が、現人神であるかのような態度だった。
「母さんはこう言ったんだ。真琴が帰ってきた、と」
「……そうか」
「あんな言い方を母さんがしたのは初めてだ。だとしたら!」
時哉はずっと、同じ母から産まれた弟や妹は存在しないものだと思っていた。だが真琴は、時哉にとって本当の妹なのかもしれない。
そう思うだけで、自然と真琴のことを強く愛し、大切に感じている自分がいる。
こんなにも感情的になった経験など、時哉にはない。総一郎が低い声で言った。
「真琴は、彼女の子ではない」
そうならば何故、優珠は、母は泣いたのだ。
時哉は尋ねようと身を乗り出したが、総一郎は即座に席を立っていた。
「時哉。たとえ母であっても、ひとりの人間だ。俺もひとりの人間だ。お前にも明かせない過去があり、お前にだからこそ言えない出来事がある」
言い放った総一郎の目は、和室の欄間に向けられている。可愛らしい鳥の親子が彫り上げられた見事な欄間は、時哉にとって見慣れたものだ。
だが、総一郎はまるで、今その場にあると気づいたような新鮮な眼差しをしていた。
欄間にいるのは、三羽の鳥。大きな鳥が二羽に、小さな鳥が一羽。
時哉はいつになく感傷的な様子の父親に、疑念を強めていた。
(父さんは何かを隠している。真琴は本当に、本当の、俺の妹なのかもしれない……。それなら、いくら父さんからの頼みでも、彼女を傷つけるようなことは、受け入れられない)
蘇我家の血を総一郎はずっと狙っていた。
現に、今の蘇我俊樹の前妻である蘇我琴美も、当初は総一郎と結婚する話が浮上していたらしい。
また、華崎家の女当主である華崎和香も、候補者だったそうだ。
しかし時が経ち、宮本家は一族の決定として、総一郎と優珠の結婚を選んだ。
だが総一郎はずっと『死に戻り』の力を諦めなかった。本当に力を持っていると分かった紗希に、尋常ではない執着を見せている。
今更ながら、時哉は自分の弟である均の行動を評価し、尊敬した。
彼は自分の守りたいものや、自分の想いを貫くために宮本家から離れた。
総一郎は均を止めなかったのではなく、止められなかったのだ。