「父さん、何か用があるって……おや、真琴も一緒かい?」
嬉しそうに微笑むのは宮本時哉だ。法的にも兄となった彼に、真琴も笑みを返す。
「お兄様! ああ、とうとう気兼ねなく呼べるのね!」
「ふふ。僕も真琴が本当の妹になってくれて嬉しいよ。それで……父さんの用事、というのは?」
まるで総一郎を警戒するように、静かな声色で時哉が尋ねる。時哉の口調の変化に、真琴は一瞬だけ驚いた。
そんな彼の行動には慣れた様子で、総一郎が言う。
「蘇我明音との結婚を進めるつもりだが、構わないな?」
「その話か。いいよ、真琴が気に入っているお友達なら、真琴のそばにいられるように結婚しても構わない」
「私が蘇我紗希を妾に迎えるとしてもか?」
ピクリ、と時哉が眉を顰めた。
「どうして? 『死に戻り』の力なら、明音と僕の子にも発現するかもしれないよ」
「すでに一度力を発揮させた紗希のほうが、次代の力を託すにふさわしかろう。そうだな、力づくでも彼女を手に入れたらどうする?」
「真琴や、妻となる明音が困らないのなら問題ない、かな。父さん、僕は均が家を出たことに、それなりに怒っているからね?」
時哉が睨め付けるように言うと、総一郎が肩を落とす。
「均のことは残念だった。まさか小田の家に婿入りする手はずを整えるとは」
「父さんが青木昇吾を操れって、無理に押し付けるからだよ」
眉を顰める時哉に総一郎は苦笑する。相変わらず、時哉は弟や妹たちに甘いと言わんばかりだった。
一方。時哉の総一郎へ反論するような口ぶりに、真琴は怒りを覚えていた。
実子、それも長兄としてこれまで総一郎からの寵愛を受けておきながら、どうして反論するのだろう。
「お兄様。お父様の決定なのよ? 反抗したら……」
「反抗?」
不思議そうに時哉は首をひねる。総一郎がわずかに微笑んだのを、真琴は見逃さなかった。
父は自分を応援してくれている。目を輝かせ、真琴は発言を続ける。
「いい? 悔しいけど『死に戻り』の効果は絶大よ。あの蘇我紗希が行いを改めて、青木産業にとって有益な婚約者として昇吾に認められているんだから。だからこそ、宮本家の今後のためにも『死に戻り』の力を手に入れるべきよ」
言葉に熱が入る。飛び切りの脅しだと思って、真琴は冷たい口調で時哉に言い放った。
「それに……お父様の言うことを聞かなかったら、貴方が『子供』から地位を落とすわよ」
「地位を落とす?」
うまく意味を飲み込めない、とばかりに時哉が首を傾げた。
総一郎が真琴に話しかける。
「真琴。時哉の母は、宮本家本家の長女だ」
何かひやりとしたものを首筋にあてがわれた気がして、真琴は息をのんだ。
「時哉が『子供』から降格すれば、それは宮本家の本家の地位をも落とすことになる」
自分とは根底から立場が違う。そう突き付けられていると真琴が理解するのに、数秒もかからなかった。
「お前とは立場が違うんだ」
優しく言う総一郎に、真琴の中にあった喜びは消し飛ぶ。
時哉は真琴の様子に、不思議そうにするばかりだ。
「父さん。真琴も僕と同じく宮本の子供だろう?」
「ああ、そうだな。だが、役に立つ存在だから尊いのと、存在こそが尊いのは違う。そうだろう?」
時哉は不機嫌そうに言う。
「真琴も僕にとっては妹の一人だ」
「そうか。なら、もう少し、蘇我紗希については考えておくよ。下がりなさい」
頷いた時哉が立ち去る。総一郎はその背を見送り、やれやれ、とため息をつく。
数秒後。
「念のため言っておくがな、真琴」
打って変わって冷たい声に呼びかけられ、真琴は反射的に肩を跳ね上げた。
実の娘であるはずの彼女の様子など、少しも気にも留めず総一郎は続ける。
「私は約束を破るのが性に合わない。だからこそ、お前はまだ私の『子供』だ」
真琴は総一郎に視線を合わせられずに、ただひたすら、テーブルを見つめた。
そこには総一郎から渡された書類がある。宮本真琴としての法的な根拠となる書類。
だが。総一郎の一存で、いくらでもこの立場から真琴は蹴り落とされるだろう。
それこそ真琴が先ほど、時哉に脅しとして話しかけたように、子供の立場から転落するのだ。囁くように真琴が言う。
「……承知いたしました」
顔を伏せたままの彼女の向こう側で、総一郎は小さく落胆した。
(コイツも、ここまでか……)
総一郎は真琴に、確かに期待していた。
宮本家の子供として認められたいからと、総一郎に働きかける子供はいくらでもいる。
中でも真琴は破格の力があり、実際に蘇我紗希が死に戻りを果たした証拠まで掴んできた。
そして本当に総一郎に約束を果たさせた。
(子供と親の関係は対等であるべきだ。私は時哉に意見を求め、時哉はそれに応えたのが、どうしてわからない? ……ああ私が強い存在として刷り込まれすぎてしまったのか?)
流石の総一郎でも、過去を変えるような真似はできないし、揉み消せる不祥事にも限りがある。
だが真琴は、総一郎はすべてを支配できる絶対的な存在と考えているようだ。
「真琴」
総一郎が呼びかける。だが彼女は、テーブルを見つめたまま動かない。
「お前は『宮本』の人間であり、私の子だ。その自覚を忘れるな」
真琴はようやく顔を上げた。その表情に生気はない。
まるで人形のような彼女へ、総一郎は続ける。
「私はお前に期待している。『宮本』の人間として、蘇我紗希を確実に手に入れるには、時哉の意思を変えさせなくてはならない。アイツは均と同等の力を持つ。……協力してくれるな?」
総一郎の目は優しかった。真琴が自分の子供として、きちんと動いてくれると信じ切っている。
真琴はふと、自分の今までを思い返した。
(私は、この信頼を得るために今まで頑張ってきた……そうよね?)
自分自身に問いかけてみても、返事がくることはなかった。