紗希はCM発表のパーティー以降、昇吾の婚約者として表舞台に立つ日々を送っていた。
12月という時期もあってか、会社関係だけでなく、青木家が家として付き合う人々との出会いも増えていく。
本格的に青木家の次代を担う存在として見られているのかと思うと、身が引き締まる思いだった。
この日のスケジュールは、白川建設会長、白川
そう、白川篤の祖父の誕生日パーティーだ。
紗希も昇吾も、篤の件で何かあるかと少し緊張していたが、顔を合わせてすぐに杞憂だと分かった。
白川会長は好々爺とした顔に申し訳なさそうな表情を浮かべると、深々と頭を下げる。
「うちの孫のことだ、何か思い込んで動くだろうとは思っておったが、世話をかけたね」
「白川会長。わたくしの方こそ、白川さんとのことをすぐには思い出せず……」
紗希が言うと、白川会長は苦笑する。
「いや。だとしても、仕事に私情を挟んだのは白川の跡目として放ってはおけん。芸能界には芸能界のやり方があるだろうが、儂が改めて鍛えなおすとしよう」
そんな風に会話を終えたあとから、紗希や昇吾の周りには挨拶に来た人々が押し寄せてくる。
篤と紗希の件は、名家の間でも噂になっていた。だが白川会長が頭を下げ、紗希が謝罪を受け入れたことで、全ては若気の至りとして水に流すのだと判断されたらしい。
―― これは、蘇我紗希は本当に青木家に嫁ぐことになる。
そう判断した家々が、接触しようと方々で静かな火花を散らすのが見えた。
「本当にお着物が似合いますわねぇ」
「静枝様とお茶会でも仲良くしていらしたでしょう? 素敵だわぁ」
褒めたたえる声を聞きながら、紗希は笑みを絶やさずに昇吾の隣をキープし続ける。
離れたら最後、何が起きるか分からず、少し怖かった。
(また、真琴さんが来るかもしれない……)
すると「紗希、ちょっとこっちへ」と昇吾が囁いて、会場の奥へ足を進めていく。
入れ違う様に、パーティーの料理を運ぶスタッフが会場へ入り、白川会長が好むクラシック音楽が流れだした。
人々の意識がそれる中を、昇吾は素早く通り抜けて空室に入る。
「ここ、は……」
驚いて紗希は周囲を見回した。誰かの控室、というわけでもなさそうだ。何の変哲もない会場の空き部屋のように見える。
昇吾はゆるりと瞬いた。睫の向こうにある琥珀色の目が、紗希を優しく見つめる。
「白川会長が事前に用意してくれたんだ。……ある、情報があってね」
「情報ですか?」
「……真琴のことを考えただろう」
紗希は素直にうなずく。自分の考え事が昇吾に筒抜けなのは、もう納得済みだった。
「均がいうに、真琴が宮本真琴となったらしい」
「……それって」
「真琴はもともと、宮本総一郎の実子だった。だが何かの事情で華崎真琴になった。その事情が解決されたのか、もっと別の方法かは分からないが。ともかく、真琴がこの会場に現れる可能性があると、白川会長が教えてくれたんだ」
どうして白川会長が。紗希の疑問を即座に読み取ってか、昇吾が言う。
「篤だよ。彼は真琴と、長いこと接触していた。その中で『もうすぐ宮本になれる』と何度も語ったそうだ。そして均からは、真琴の実子入りの条件は、蘇我紗希が変わった理由を探れという条件だったと聞いている」
紗希は震えそうな唇を一度舌で湿らせて、ゆっくりと話す。
「真琴さんは【物語のヒロイン】という言い方に、何か引っかかった様子でした。……あれは、驚いたのではなく」
「確信したんだろうな。紗希が変わった理由が、蘇我家の力にある、と」
扉の外の気配が慌ただしくなる。ノック音のあと、篤が、そっと顔をのぞかせた。
「昇吾。紗希さん。……真琴さんが会場に来た。宮本真琴として」
真琴は、どうするつもりだろう。紗希はそっと心の中で考える。
すると昇吾の手が、紗希の手をギュッと握りしめた。
こんな小さな思いも、悩みも、昇吾だけにはすべて伝わるという事実が、自分の背を押してくれる気がしてならなかった。
===
―― パーティーの数時間前。
クラシック・ヨーロピアンスタイルの室内には、マホガニー製の重厚で優美なテーブルが置かれている。左右に並ぶエレガントな椅子の一つに、華崎真琴は背をピンと伸ばして座っていた。
身にまとうのは豪奢なビーズのステッチがついたワンピース。
今までの真琴であっても、到底手が出ないような高級品を、本当の父親である男は事もなげにプレゼントしてくれた。
(これが、宮本家の実子としての扱い……!)
ついにこの日が来た。
歓喜に打ち震えながら、真琴は自身の前に用意された『宮本真琴』の戸籍謄本、それから眼前に座る宮本総一郎を見つめる。
彼の実子だと名乗れるようになったのだと実感して、目頭が熱くなった。
オールバックに仕立てた黒髪と三白眼が特徴的な宮本総一郎は、如何にも金持ちそうな余裕ある雰囲気を漂わせている。彼はにこやかに真琴へ告げた。
「よくやってくれた、真琴。すべてはお前のおかげだ。父として、誇らしく思う」
震える唇で真琴は答えた。
「いいえ。すべてはお父様のおかげです」
嬉しそうに総一郎が目を細める。
「ああ、そうだな。お前に『父』と呼んでもらえる日がきて、嬉しいよ」
爆発する喜びをこらえるように、真琴は深く俯いた。
幾度となく苦汁を舐め、尋常ではない努力を重ねたのはこの日のため。
優しさと共感をちらつかせるだけで、面白いほどに真琴にのめり込んでくれる昇吾。
だがそれは、昇吾を狙う令嬢たちに何度も嫌がらせをされ、それでも表に出すことなく耐え忍ぶ日々でもあった。
今年に入ってからは、和香や明音から証言を集めるための根回し。青木産業からの退職。犯罪まがいの紗希の部屋への侵入……。
数えてもかぞえても足りないくらいに、今日まで真琴は動き続けてきた。
人の心を読み取り適切な言葉をかける『
―― でも、やっと報われた。
かすかに真琴の目が揺れる。
総一郎はすべての書類を真琴に渡し終えたところで、テーブルの隅に置かれた紅茶に手を付けた。
「お前が力に目覚めなかったなら、蘇我紗希に仕える運命にあった。華崎家が蘇我家に仕える一族であることは、現代でも変わらない決まりだからな」
ぶるり、と真琴は背を震わせる。
「……今思うと、恐ろしゅうございます」
「まったくだ。お前のように優秀な女が、裏方になるとはとんでもない」
父親としての顔をする総一郎に、真琴は嬉しさで泣いてしまいそうだった。
彼だけは自分を認めてくれる。『哀れな執事の家の娘』ではなく、真琴という一人の人間として……。
そんな幸福感に身をゆだねていると、部屋に入る足音が一つ聞こえてきた。