小田莉々果には、幼い頃から、前世の記憶がついてまわった。
彼女の中で、点と点が繋がっていく。
まだ朧げに残る前世の記憶。それは、紗希が亡くなったという新聞の記事だった。
だが、亡くなった記憶はあるにもかかわらず、紗希は再び莉々果の目の前に現れた。
小田家の前世の記憶を継承する力は、かつて、蘇我家の死に戻りの力が本物かどうかを確かめることに使われていたという。
亡くなったはずなのに、自分の目の前にいる紗希を見て、莉々果はもうずいぶん前に『死に戻り』が起きたことを確信していた。
「……それなら、確かにあなたの力は本物ね。蘇我家の血筋が、あなたを死に戻らせた」
「っ、どうしてこんな力が!? どうして」
「分かっていたら、均の悩みごとも、紗希ちゃんの困りごとも、全部、ぜんぶ! 起こらなかったでしょうね」
低い声で莉々果が歌うように言う。そんな莉々果の隣で黙っていた均が身を乗り出した。
彼は冷静な表情を保ちながら、二人の方を見つめる。
「さっきの話。蘇我家を守る一つの家に、宮本家があっただろう?」
「ええ……」
「だからこそ、話しておきたいことがある。華崎真琴……彼
驚きのあまり、紗希は目を見開いた。
「え、ま、待って! 真琴さんは、華崎真琴、そうでしょう? 我が家に仕えてくださった、華崎和香さんの娘さん……」
「違うんだ。真琴の本当の苗字は、宮本。彼女は宮本真琴であり、俺の実父である宮本総一郎の、隠し子なんだ」
部屋の空気が一瞬で凍りついた。莉々果は険しい表情を浮かべ、紗希は言葉を失う。
「俺はもともと、蘇我家と青木家のスパイとなるよう、昇吾と同じ学校に通わされた。でも、最近どうも気になることがあってね……」
均は苦笑を浮かべたまま、続けた。
「親父が、宮本総一郎が何か不気味な動きをしてるんだ。俺は、昇吾のためになることをしたい。あいつの描く青木産業の未来を支えたい。だから……莉々果には、結婚を速めてもらった」
莉々果が一瞬だけ頬を赤くする。紗希はとんでもない話をされているにもかかわらず、親友のそんな反応を可愛らしいと思ってしまった。
慌てて莉々果が頬の赤みを取り繕うように、眉をひそめながら言う。
「不気味な動きって、具体的にはどんな動きか、ちゃんと教えてあげて」
「ああ。……簡単に言えば、力を持つ子どもを作ろうとしている」
不気味すぎる言葉に、紗希は温かくなった心が一瞬で冷え切るのを感じた。
「ま、まってください。まさか、真琴さんが隠し子なのって」
「親父は真琴の母親だけじゃなく、女性を次々に身ごもらせて、その中から最強の能力者を生み出そうとしている。そしてその中で特に優秀な存在だけを、宮本家の実子として認めているんだ」
あまりのことに、
「ま、待って!」
と、紗希が思わず声をあげたのを、莉々果が制した。
「落ち着いて、紗希ちゃん」
「……っ。ごめんなさい……」
「気持ちはわかる。でも、昇吾さんが伝えたいのは、ここからなの。そうでしょ?」
莉々果の問いに均は頷く。そして彼は話を続けた。
「小田家は前世の記憶。蘇我家は生まれ変わり。そして宮本家の力……真琴がどんな力を持っているのか、それはもう君も、本当は体験している」
均は紗希に向き直り、穏やかな声で話しかけた。
「紗希、君の力は確かに特別だ。そのことを受け入れるのは簡単じゃない。でも、君の疑問に答えるのが俺の役目だと思ってるんだ」
均の言葉に引き込まれるように、紗希は震える声で答えた。
「どうして私がこんな力を持っているのか、ずっと分からなかった……。私は何かの偶然で死に戻ったのだとか、今が夢なのだとか、ずっと考えていたの。昇吾さんは私に何を伝えたいの?」
紗希の声が震え始める。その瞬間、均の表情が変わり、彼女に寄り添うような柔らかい視線を送った。
「それが君の感情だね。恐れ、不安、戸惑い……全部わかるよ」
均がにこやかに笑みを浮かべる。彼は優しく続けた。
「昇吾が君に伝えたいのは、こういうことなんだ。分かるだろう?」
耳に均の言葉が、声が触れるたび、自分の感情がどんどん溢れ出していく。不安に体が震え、戸惑いのあまりに気持ちがこぼれて、何でもいいから楽になりたい気持ちさえ芽生えだした。
「っ、わたしがどうして、どうしてあんなふうに死ななきゃいけなかったの? なんでわたしは、いまもこんなことに、まきこまれているの……?」
閉じ込めたかったはずの言葉が、どんどん溢れ出してくる。気持ちが止められない。
すくみあがった足、震える手。……どうしたらいいのか分からない。
でも、似たような感覚を、どこかで紗希は知っている。
(まさか。軽井沢の……? それに今日の会場で起きたのは、そんな、そんな!)
真琴が今の均と同じように、人間の感情や思いを暴走させて苦しめたとしたら?
その結果、相手を脅したとしたら?
いいや、もっとひどいことも。たとえば、自分の中の好きという感情を無理やり引き出して……。
想像した瞬間。紗希の中で、昇吾だけに向けていたはずの『好き』という想いが、均に向かうのが分かった。
突然、彼が異様なほど魅力的に見えてくる。彼の手に触れられたらどんな気持ちになるだろう。彼と話したら、どんなことを感じるだろう。
そう思いだした自分に、紗希は全身が総毛立つほどの恐怖と嫌悪を感じ、叫んだ。
「やめてっ……お願い、やめて……!」
紗希は必死に言葉を絞り出した。均はその言葉に応じるように、静かにうなずいた。
「……分かったかい?」
ふっ、と周りを取り巻く異様な気配が消え去る。
「宮本家の力……これが、真琴さんのやり方なの?」
均は頷いた。
「俺は莉々果の味方であり、昇吾の味方だ。この力が役に立つなら、いくらでも使ってくれ」
「そんなことできない!」
反射的に叫んだ紗希に、均はどこか嬉しそうに微笑んだ。
「宮本家の力は、相手の感情に共感し、その感情を強く引き出したり、事前に感情を察知して相手をなだめたりできるんだ。真琴はこの力が、俺以上に強い。もしかしたら、親父を除いたら歴代でも最強かもしれない……」
均はそうつぶやくと、ため息をついた。そんな彼を、莉々果が小突く。
「均がしっかりしなくてどうすんのよ!」
「い、いや。でも、紗希の今の反応を見てたらさ……俺ってやっぱり、ダメな奴なんじゃないかなって……」
「もう! そんな弱気なこと言わないで」
二人の仲睦まじげな様子に紗希は微笑んだが、すぐさま真琴のことで頭がいっぱいになる。
「……真琴さんは、何がしたいのだと思う?」
真面目な顔になった莉々果が答えた。
「彼女の狙いは、均が言うには本家の実子として認められることだそうよ。そのために、ずっと昇吾さんに付きまとってたの」
「どういう意味?」
「よーするに。真琴は別に、昇吾さんが好きなんじゃないのよ。彼女は自分のことしか好きじゃない。いいえ、好きになれなかったのかも……」
一瞬だけ暗い顔をした莉々果だが、すぐにパッと笑みを浮かべた。
「でも、自分の思い通りにするためにはどうすればいいのか。その答えをやっと見つけて動き始めたって感じね」
莉々果の明るい声は自分を元気づけるためのものなのだろう。だがそれでも、紗希は暗い気持ちにならざるを得なかった。
「私は、どうしたらいいのかしら……」
思わずつぶやいた言葉に、莉々果と均が顔を見合わせる。
二人の反応を見て、自分が何か思い違いをしているような気がして、紗希は慌てて言葉を重ねた。
「だ、だって、真琴さんは私に宣戦布告だとか言って……」
「紗希ちゃん! 自分一人で抱え込もうって思ってないでしょうね?」
莉々果の言葉に紗希はウッと詰まった。図星だった。
「でも、私は……」
「紗希ちゃん。昇吾さんがなんで私たちにこの話をさせたと思う?」
紗希は答えに窮した。莉々果はじっと紗希を見つめながら言う。
「篤さんがあんな行動をとるとは思っていなかったけど。昇吾さんはね、あなたが幸せになる未来を選びやすいように、自分が知る限りのことを伝えようとしているの。あなたが自分のことを包み隠さずに話してくれたから」
「……でも」
「紗希ちゃん!」
莉々果の言葉に紗希はやっと「でも」という言葉を続けるのをやめて、言う。
「篤お兄さんのことでも、頭がいっぱいなの。お願い。二人とも……話してくれたのは嬉しかったけれど、今日はここまでにして。昇吾さんが私に何をさせたかったのかも、考えたくない」
突き放すような言葉だ。紗希は反射的に後悔したが、何故か二人は笑顔をみせる。
すると。
「紗希! 大丈夫か?」
昇吾の声が玄関から聞こえた。紗希の全身から、力が抜けていく。
莉々果と均を見て昇吾は話が済んだことを理解したらしい。
「辛い話を任せてすまなかった」
そう言うと、2人に笑みを向ける。本当に昇吾が話すように伝えたのだと理解して、紗希はどうしていいのか分からず、ただその場に座り込んだまま動けなくなってしまった。