昇吾と同居するマンションに到着するまでの間。紗希はどうしようもない気持ちになりながらも、思考を止められずにはいられなかった。
(真琴さんが篤お兄さんたちに接触したから、篤お兄さんは私に連絡を取らないようにしようと考えた? だとしたら、真琴さんのヒロインとしての力が働いた? でも、何のために……?)
真琴が何かとんでもない力を持っていることは、紗希も理解しつつある。
実際、自分は死に戻ってしまったし、この世でありえないことなんてありえないと思い始めていた。
「紗希ちゃーん、おうちつくよ」
軽い声で言ってきた莉々果に、はっ、として紗希は視線を向けた。ニコニコ顔の彼女だが、どこか緊張しているようにも見えた。
自分のドキドキが伝わってしまったのかもしれない。紗希は慌てて、莉々果に言う。
「ごめんなさい、莉々果! いろいろ、驚かせて」
「気にしない! むしろこれから、もーっと驚いてもらう予定だから」
「ええっ?」
何をするつもりだろう。莉々果に驚かされた経験は何度もある。
たとえばプレゼントだと思って箱を開けたら『中身は全部虫型のグミ』とか。ハロウィーンだからといって、過激な衣装を自分に着せようとしたりとか。
今度もとんでもないことを考えているんじゃないかしら。
そんなことを考えながら、紗希はマンションの入り口に降り立つ。慣れ親しんでしまったエントランスを通り抜け、昇吾と暮らす家に到着した。
「紗希ちゃん、ちょっと待っててね……来たきた」
階段を革靴が駆け上る音が聞こえてくる。何が起きるのか、と紗希が見守っていると、非常口と通路を兼ねた出入口から、なんと均が現れた。
「えっ、均さん? どうして?」
彼は会場で、パーティーが終わるまでの時間、昇吾とともにいるのではないか?
紗希は不思議に思いながら問いかけると、莉々果が「部屋に入ってからね」と言う。
二人のことは信頼しているが、どうしてなのか分からず、紗希はほんの少しだけ緊張していた。
しかし、リビングに入ると、すぐに気持ちが落ち着く。
(昇吾さんの匂いがするから? そんな……気がする)
急に恥ずかしくなり、頬が火照ってしまう。緊張したり、落ち着いたり、せわしない自分がおかしくて紗希は小さく笑った。
「紗希ちゃん、リビングで話したいんだけど、いいかな?」
「もちろん。どうしたの莉々果。それに、均さんも……」
二人がソファに隣り合って座る。その並びに紗希が疑問を感じながらも二人の言葉を待っていると、緊張した面持ちで莉々果が言った。
「紹介するね。実は、均くんが、Hiragiなの」
「えっ!? うそ、あの、いつも配信をサポートしてくれるスタッフの!?」
思わず大きな声をあげた紗希に、莉々果は続けざまに言った。
「それで、私たち、付き合っているの」
「もうじき俺も、宮本じゃなくて、小田になるんだ」
なんで、このタイミングで。紗希は唖然と二人を見つめるほかない。
紗希の疑問を感じたのか、均が言った。
「無理もないよ。でも、この時期を指定したのは昇吾なんだ」
「昇吾さんが? な、なんで? えっ?」
動揺のあまり震えだす紗希の目の前を横切り、莉々果は窓際に立つと、静かにカーテンを引いて外を覗いた。
11月の夜空。冷たい月明かりが庭の芝生を淡く照らしている。
ソファに座る紗希は、うつむきがちに自分の手を見つめていた。
昇吾がどうしてこのタイミングで2人に、お互いの関係を打ち明けるように言ったのか分からない。
「ねえ、紗希ちゃん」
莉々果の声が穏やかに響く。紗希は顔を上げたが、その瞳には困惑の色が浮かんでいた。
「小田家に伝わる昔話があるの」
「小田家、に?」
慌てて紗希は前世の記憶を思い返す。おもちゃがいっぱいに入った箱をひっくり返すように、記憶がばらばらと飛び出した。
だが。小田家のことは、ほとんど記憶にない。莉々果のことくらいだろうか。
すると莉々果は一度深く息を吸い、慎重に言葉を紡ぎ始める。
「私たち小田家には、ちょっと変わった伝説があるの。時々、生まれてくる子どもが……前世の記憶を持ち越して生まれてくるって」
紗希は敏感に、莉々果の言葉をとらえた。
「
「そう。その子の年齢なら知らないような出来事をとっても詳しく覚えていたり、知らないはずの知識を持っていたり。中には生まれた時にもう大学生なみの知識をもっていて、とんでもない天才になった子もいる」
莉々果は苦笑しながら、自分の顔を指さした。
「私もね、子どもの頃はその一人だったの。たくさんの記憶を持っていたわ。その記憶を使って、私は動画配信者っていう働き方が、うまくいく可能性に気づいたのよ。でも、3年前くらいから、持っていた記憶が少しずつ消えていくのを感じている」
紗希は息を飲んだ。
3年前という時間、前世の記憶。この2つだけを取り上げれば、紗希と似たような力を莉々果も持っているのかもしれない。
「紗希。あなたにもきっと力があるはず。もし本当にそうなら、それはとってもすごい力……ある意味、私以上にとんでもない力。そうじゃない?」
莉々果の声が低くなる。その瞬間、紗希の心がざわめいた。
(まさか莉々果は、私の死に戻る前を、知っている? ……いいえ、莉々果だけじゃない。小田家そのものに力があるのなら、まさか、真琴さんも……)
考えすぎて頭が爆発しそうになる。紗希はとにかく叫びださないようこらえて、莉々果の話の続きを待った。
「蘇我家は、ね……死に戻る力を持つ家系として、私たちの一族で語り継がれているのよ。一度死んだ後、死んでしまった瞬間に関係したある時間まで戻ることで、同じ失敗を繰り返さずやり直す力……」
紗希の顔が強張った。莉々果の語ること、それは、紗希が成し遂げようとしたこと、そのものだ。
「かつてその力を使って、蘇我家は莫大な財産を築き上げてきた。でも、あまりに強力な力だからこそ、敵も多かったのよ。蘇我家を狙う人たちから守るために、とある家々が協力しあうことに決めた」
莉々果はまず、自分を示す。続けざまに、均を指さした。
「小田家、宮本家、それから青木家の三家……。この家々には、蘇我家と同じように特別な力があったの。その力を結集させれば、今までになく素晴らしい未来が待っていると信じ、そして蘇我家を守るためにね」
「守るために……?」
紗希が繰り返すように呟いたのを聞いて莉々果は頷いた。
「そう。でも、時が経つにつれて、力が発現することは稀になった。そしていつしかあまりにも力が発現するのが稀になったがために、理由を忘れた三家と蘇我家自身、その繋がりを形だけのものにしてしまった……」
紗希は押し黙った。自分の胸の内で渦巻く疑問と不安を抑えることができない。
(私の死に戻りの力は偶然じゃなかった……蘇我家に現れる力だった……。でも、それならまさか、私のお母さんの死因が、私の記憶と違うのは……)
いろんな思いが紗希の中であふれかえる。しばらくの沈黙の後、彼女は口を開いた。
「莉々果。そんな話を私にするのなら……もしかして、気づいている? 私が、死に戻った、って」
その言葉に莉々果は、僅かに目を見開いた。
「……本当に?」
紗希は頷き、震える声で在りし日の経験を語る。
「私が前世の記憶として覚えている最後は、河川敷よ。昇吾さんと真琴さん、2人が本当に結婚することになって、邪魔をし続けた私はすべてを失ったの。家族からも見捨てられ、金に物を言わせて雇った人間には裏切られ、ついに河川敷で命を落とした」
身震いがしてきて、紗希は両手で自分の肩をぎゅっと抱きしめる。
「でも……気がついたら、その河川敷で死ぬ5年前に戻っていた。全く同じ日にちを迎えるまで、あとだいたい一年と少し、かしら。何が起きたのかは分からなかったけど、私は生きていくために、悪役になんてなりたくないと、すべてをやり直すために動き続けてきたの」
莉々果は青ざめた表情で、ゆっくりと目を閉じた。