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第4話 昇吾の懸念(2)


 気が付くとテキーラを飲み干していた昇吾は、改めて先ほどの光景を脳裏に思い描く。


 紗希の心の中で、篤の振る舞いと言葉が映像として描き出される瞬間を、自分自身が読み取ったのだ。


──『僕はあなたが好きだ。どうか結婚を前提に付き合ってほしい』


 篤は紗希へ正面から恋心を伝えただけでなく、連絡先を渡した。


おまけにあんなふうに抱き寄せて……。


 昇吾は篤に対し、未だにライバル心を抱いている。篤を今回、青木産業全体のイメージCMに起用したのも、彼の価値を重く見ているからこそだ。


 今まで昇吾は、紗希の前から自分が立ち去る未来を思い描いたことはあっても、紗希が目の前からいなくなる光景を思い描いたことはないと気が付いた。


 天井を眺めながら、昇吾はため息を深々とつく。


(どう動けばいいか分からないなんて……我ながら女々しいな)


 紗希へ軽井沢の写真を送った際、彼は実母の静枝から呼び出しを受けていた。


 いったい何の話だろうか。滅多にない母からの呼び出しに、昇吾はすぐさま仕事を片付けて駆けつけた。


到着した軽井沢の別荘で、昇吾はすぐさま茶室に通された。穏やかで明るい雰囲気の茶室に反し、静枝は鋭く昇吾を品定めするように睨みつけてくる。


 普段はこのまま一服してから話すことも多いが、しゅんしゅんと湯気を立てる茶釜に、触れる素振りさえなかった。


「先日の紗希さんの振る舞いに、私は考えを改めました。彼女がこの三年間で蘇我の令嬢として、何より一人の人間として、大変に研鑽を積まれたのだと。なにより……茶会に連れてきたということは、彼女を相手だと定めたのね?」


 真琴との関係を指摘されているのだ、と昇吾はすぐに理解した。


 三年前。紗希が昇吾から離れるような素振りを見せ始めてから、真琴と昇吾の関係性は一層に近くなった。友達以上、恋人未満。いや、恋人と言っても差し支えなかっただろう。


 しかし今の昇吾は違う。紗希の本心を知り、彼女の魅力に触れる中で、ますます自分の心が惹かれていくのが分かった。


 真琴へ信頼がおけなくなっている今、以前からの婚約者である紗希と結婚を目指すのが青木家にとっても安全策だ。


 だが。昇吾には、素直に流れに身を任せられない事情がある。


「結婚についてですが……実は紗希さんからは、一度、婚約解消を望まれました。そして今、保留にさせてもらっているんです」


 静枝の顔がサッと青ざめる。


「まあ、なんてこと!?」


 大声をあげた彼女に、昇吾は即座に続けた。


「落ち着いてください。まず、俺は華崎真琴と実に親しく付き合っていました。紗希さんを婚約者という立場に置きながら、蔑ろにしていたと言ってもよいくらいに。実際、紗希さんは『相思相愛を引き裂く悪女』などという噂を立てられていましたが、私は放置していました」


 自分で言っていても、非道な真似だ。


 静枝の顔から視線をそらさないように気を付けつつ、昇吾は思い出すように言葉を続けた。


「そんな中、紗希さんは自らの力で仕事をつかみ、前へと進んでいます。ゆえに、お互いによりよい未来へ進みたいと提案してきたのです」


「……いつの話なの?」


「五月です。二人の問題であるとして、耳には入れずにいました」


 静枝は何歳も一気に年を取ったかのような顔で、深くため息をつく。そして小さく首を左右に揺らしながら、言葉を区切りつつ言った。


「私としては、このまま昇吾には紗希さんと結婚してほしいと思う。でも……紗希さん自身の気持ちの変化があるのなら、最近仲が良いという礼司との関係を後押しするのも手ね」


 思わず膝を立てかけた昇吾に、静枝は目を細める。


「あなたが真琴さんと結婚を望んでも構わないのと同じくらい、してもには何の不都合もないの。血筋のことを気にする親族もいるでしょうけど、真琴さんであれば華崎の家の者ですからね、薄くとも蘇我家の血筋を引いているわ」


 胸を殴りつけてくるような言葉に、昇吾は柄にもなく顔を蒼ざめさせた。


 まさか母親が、そして青木家が、紗希と礼司の結婚を考えていたとは思ってもみなかったのだ。静枝は柔らかく微笑む。


「紗希さん自身がおっしゃったとおり、不毛な関係を解消し、お互いによりよい未来へ進むべき時がきたのでしょう。礼司と紗希さんに今まで接点はありませんでした。ですが、思いがけず仕事の関係で連絡を取り合う機会ができている様子。彼女にとってよりよい未来に、礼司が存在しても構わないでしょう」


 昇吾は自身の視線が泳ぐのを感じた。


 礼司と紗希は、単に仕事の面だけで気が合っているわけではないと、薄々感づいていた。礼司を本当の弟のように思っているのか、仕草や言葉がけの一つ一つが優しい。


 青木家の人間というだけでなく、礼司をまるで守るべき対象と考えている。


 一方の礼司も、紗希に対して信頼や尊敬の念を抱いているのが分かった。


 対する昇吾は、紗希の心の声いわく『愛する人』ではあるものの、同時に近寄りがたい存在としてもとらえられている。恋人関係ならまだしも、結婚を考えたときに、礼司の方が穏やかな生活を送れるかもしれない。


(母さんに俺が『心読』の力を目覚めさせた、と伝えるべきか? ……)


 そうすれば、一層に紗希と昇吾が結婚する意義が深まるのではないか。いいや、逆効果だろう。昇吾は母が青木家の力について、本気で話しているのを聞いたことがない。


「でも、礼司も苦労するかもしれないわね。もう一人、彼女に興味を持っている人がいるようだから」


 静枝は昇吾の顔を、ちらり、と見上げた。


「……もう一人?」


「白川会長から声をかけられたでしょう。白川篤くんよ」


 ハッとして昇吾は茶会のことを思い出す。


「ふふん。なるほどなぁ、これは篤も苦労するかもしれんなぁ」と、こちらに聞かせるように呟いた白川会長。


 あの言葉。篤が紗希へ想いを寄せているのだとしたら、婚約者として仲睦まじく見えるようにふるまっていた二人を見て、白川会長が苦労すると口にしたのにも納得がいく。


「篤くんは、青木産業の新CMに起用されている。制作発表のパーティーで会うことになるでしょう?」


 笑うように言う静枝だが、目はもちろん笑っていない。


「はい。俺自身、再会を楽しみにしていました」


 昇吾は本心から口にする。成長した篤とどのような会話を交わせるのか、気になってすらいたのに。


(話が変わってくる。紗希さんに彼が何を言うのか気にかけなくては……)


 当日は制作発表パーティーが予定されている。


 紗希には出席を依頼してあり、また『婚約解消が保留だから』という理由で出席を引き受けてくれていた。


 篤の行動次第では、昇吾への気持ちが変化するやもしれない。


「紗希さんと今までと変わらず結婚したいのであれば、必ずや彼女を納得させたうえで結婚に臨みなさい」


 静枝の言葉に、昇吾は反射的に頷いていた。


「あら、頷いたわね?」と、静枝は笑みを浮かべる。


その表情に昇吾は、母親がわざと自分をたきつけていたのだと理解した。


「少し安心したわ。白川家がどう考えているのかは分からないけれど、世間の目は面白そうな方に食いつくわよ。当日、紗希さんをしっかりと守ってやりなさい」


「ええ、もちろん」


 昇吾がしっかりと頷くのを見届けると、静枝は立ち上がる。


「そろそろ時間ね。私はこれから予定があるから失礼するわ」


 静枝は茶室の外を見た。


 茶室は一面にガラス窓がはめ込まれており、夏場の暑さもここには届かない。


 しかし強い日差しに木漏れ日は眩しく輝き、一層にうるさく蝉たちが鳴いているであろうことが伺える。



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