外からはざわめきが聞こえる。
それもそのはず。今夜はハロウィーン。紗希と莉々果が共同所有するビルの近辺では、大々的なハロウィーンイベントが開催され、夕暮れ時に似合う仮装姿の人々が行き交っていた。
事務所のモニターでは、ハロウィーンに先駆けて莉々果と紗希が撮影した動画が再生されている。
「なるほど。すでに自宅にあるインテリアを活用するというアイデアは、ハロウィーン需要を手軽に満たせて楽しめそうですね。それから配送の包装紙、近年は新聞をとってない家も多いですし、そちらの方が使いやすそうだ」
納得した面持ちで呟いたのは昇吾だ。彼の真後ろに立つ莉々果が、大きく頷きながら答える。
「そうそう。インテリアって、あると嬉しいけど物価高だとどうしても心理的ハードルがあるからね、って紗希ちゃんが」
急に話を振られてびっくりしながらも、紗希は用意した冷たい緑茶を運んでから席に着く。
「ええ。毎年ハロウィーンをするならともかく、年によってトレンドも変わるから」
長方形のテーブルの短辺、いわゆるお誕生日席だ。昇吾の隣に座るのは、軽井沢の出来事があったとはいえ、まだまだ恥ずかしく感じられる。彼が自分に対し『好意』を抱いているかもしれないと思うと、余計に恥ずかしかった。
どうして昇吾が紗希の事務所にいるのか。それは三十分ほど前にさかのぼる。
(まさか昇吾さんと、コンビニで会うなんて)
驚きすぎて、どうにかなるかと思った。
ハロウィーンのイベントが本格的に始まる前に、紗希はコンビニへ向かった。イベントで人が大勢出入りするようになれば、夕食を買いに出る暇もないからだ。家には事務所で泊まり込みになると連絡を入れてある。
コンビニはハロウィーンらしく、ポップなカラーで彩られていた。紗希は真っすぐにスイーツコーナーへ向かう。
(あった! 莉々果が『美味しい』って言っていたカヌレ風プリン!)
思わず笑みを浮かべた瞬間。
「紗希さん」
名前を呼ぶ声を、聴き間違えることはない。飛び上がりかけた体を押さえて、紗希は振り返る。
間違いなく、そこにいたのは昇吾だった。仕事中ではないのだろう。スーツ姿ではなく、ラフな格好をしている。
薄手のタートルネック、ネイビーのニットにテーパードのスラックスパンツ。シューズは上質なレザーローファー。全体のシックな印象に反し、男らしく武骨なステンレスベルトの腕時計。
おまけに、珍しくサングラスをかけていた。サングラス越しに琥珀色の瞳が、紗希をじっと見つめてくる。
もしも昇吾が顔を隠すためにサングラスをかけているのだとしたら、逆効果でしかないと紗希は思う。跳ね上がった心拍数を抑えるだけでも、一苦労だった。
「こんにちは。驚きました、昇吾さんもコンビニに来られることがあるんですね」
(か、かっこいい……!)
呆然と内心で呟いた瞬間、昇吾がサングラスに手をかけた。彼がわずかにサングラスをずらすと、店内ですれ違った女性が背筋を急に伸ばす。しかし昇吾は全く意に介さず、紗希だけを見ていた。
「たまにはね。紗希さんは仕事中?」
「ええ。莉々果と一緒に」
「……礼司はいるのかい?」
「え? いいえ」
どうして昇吾の弟である、礼司の名前が出たのだろう。紗希は少し考えて、即座に可能性と思しき内容を脳内で並べ立てた。
(そういえば……近くで礼司のかかわっているイベントがあるって聞いたわ)
礼司とはあの後も、何度か話をしている。いずれもプライベートな場ではなく、あくまでビジネスの場だ。
すると昇吾が小さく笑みを浮かべた。
「そうか。もしよかったら、事務所に行っても構わないかい?」
「それは、また、どうして?」
「実は今日は休日でね。礼司のイベントをこっそり見に行ったんだが、外に出ると『コスプレ』しているのかと勘違いされて、帰るに帰れなくてね……」
いつになくおどけた雰囲気で言う昇吾に、紗希は内心で納得した。
「少し時間が落ち着くまで、うちの事務所に避難した方がいいかもしれませんね」
(無理もないわね。今の昇吾さん、何かのアニメキャラクターだって言われたら、そのまま信じられそうだもの……)
何か言いたげにこちらを見た昇吾だが、控えめに頷くにとどめていた。
莉々果にも一応確認する、と告げて紗希が電話すると「紗希ちゃんと昇吾さんがどんな雰囲気になるのか見てみたーい!」とのこと。
紗希も昇吾がこのまま人に囲まれるのはまずいと考え、あれこれ気になる部分はありつつも、事務所へ招き入れたのだ。
「そういえば莉々果、生配信のコスチュームは決めたの?」
「あー、悩んでいるんだよー。どうしよ」
「コスチューム?」
首を傾げた昇吾に、紗希はタブレット端末を開いて見せる。30万再生は超えていそうなハロウィーンにまつわる動画を、何本もまとめた再生リストだ。
「こんな風に、チャイナドレスやメイド、吸血鬼。3着のコスプレ衣装を身にまとう予定なんですって」
「……紗希さんも着たりするのか?」
「ええ。莉々果の本放送で手伝いをすることで、彼女の動画づくりの技術を生で学んでいるんです。でも、そういう時にあまりにもスタッフらしい服装だと、雰囲気を壊してしまうって莉々果が言い張るので」
紗希は購入しておいたコスチュームを着たときの自分を、それぞれ頭の中に思い描いた。