紗希との婚約の際に蘇我家から購入した、とあるレジデンスの最上階に位置する自宅にて、昇吾は頭を抱えていた。
メールに添えられていた白川篤の名前に思わず電話をしたことで、思いがけない事実を知ってしまったあの夜を、幾度も彼は思い返していた。
(どうしよう、話すつもりはないけれど、今日のことはもっと詳しく話すべきかしら……)
紗希の心の中で、篤の振る舞いと言葉が映像として描き出される。
──『僕はあなたが好きだ。どうか結婚を前提に付き合ってほしい』
篤は紗希へ正面から恋心を伝えただけでなく、連絡先を渡したり、昇吾へのけん制の様なことを言ったり。おまけにあんなふうに抱き寄せて……。
真琴と宮本家の問題だけでも手一杯だというのに、まさか篤まで絡んでくるとは思いもよらず、昇吾は苛立たしそうにワインセラーへ立つ。
しばらく考えてから、彼は普段は滅多に飲まないテキーラの棚へ向かった。思い切り酔いたい気分でいた。
「……くそっ」
舌打ちをして、昇吾はテキーラを一杯煽る。焼けつくようなアルコールが心地よかった。
白川篤は、今でこそ芸能界において、日本中から尊敬と称賛の声を集める俳優だ。
どんなに若い世代でも彼の名前を知らない者はいないし、反対に高齢者にも人気を持っている。
白川建設のCMへの出演というキャリアから始まった彼の俳優人生は、完璧な演技力と高いカリスマ性に彩られていた。
しかし、そんな篤にも長年にわたるライバルがいた。それこそが、昇吾だ。
二人の出会いは、幼少期にさかのぼる。篤と昇吾は、選ばれし富豪の子息たちが通う名門学園に在籍していた。
昇吾と均の付き合いと同じく、名門幼稚園からの出会いだ。
名家の子息という立場を共有する二人が、お互いに悩みを打ち明け、支えあううちに、単なる友人から親友と言い切れる仲になっていったのとは違い、篤と昇吾は常に競争し続けてきた。
もともと、名家の子どもたちが集まるこの学園は、厳格な教育方針と卓越したカリキュラムで知られてきた。
だがそれ以上に、生徒たちの間には自然と熾烈な競争が生まれる環境となるように設計されている。
いずれの生徒も、ゆくゆくは未来を担う一員として社会にはばたくからだ。
「君が青木家の昇吾くん? はじめまして。白川篤です」
芝居がかった言葉遣いで声をかけてきた彼を、今でも昇吾ははっきりと思い出せる。
幼稚園児の段階で、日本人の中であれば彼の知名度は並大抵のものではなかったからだ。
当時からすでに子役として活躍していた篤は、即座に学園内でめきめきと頭角を現していった。彼はいついかなる時でも、まるで画面に映ったり、舞台に立ったりする時のように、周りにいつも注目が集まることを心掛けていたのだ。
年齢に似つかわしくない大人びた態度と自信に満ち溢れていて、昇吾は衝撃を受けた。
(世界には、こんな奴がいるのか……!)
昇吾には、篤とは違ったカリスマ性があった。彼は他者を引きつけるだけでなく、その場の雰囲気を一瞬で掌握する能力を持っていると評価されてきた。
だが、あくまでもそれはビジネスの世界で成功につながるものに過ぎない。
異なる立場でも、二人は常に火花を散らした。単なる学校の成績ではなく、生き方やあり方で競争していたのだ。
学園での生活が進むにつれ、篤と昇吾の競争は学園の名物となったくらいだ。
(そんなあいつが……紗希さんを、ずっと好きだった……?)
あまりの出来事に、昇吾は強い衝撃を受けていた。
昇吾と篤の関係が一時的に途切れたのは、篤が突如として学園を去り、芸能界からも姿をくらませたからだ。
彼が去った後、昇吾は学園内での頂点に立つ存在となった。
だが、篤との競争が終わったことに満足感を覚えることはない。
彼に勝ったわけでもなく、まるで不戦勝のような感覚だった。
むしろ、篤の存在がいなくなったことで昇吾は心にぽっかりと穴が開いたような感覚を抱いていた。
思い返せば、そんな状況だったからこそ、余計に昇吾は真琴へ頼ってしまったのかもしれない。
「……はぁ……」
深いため息をついて、昇吾は天井を見上げる。
篤が再び世間の注目を集めたのは、大学生になってからだった。
彼はそれまでの凋落ぶりが嘘のように、芸能界に舞い戻ってきた。
そして続けざまにヒット作を連発したかと思うと、子役時代など比較にならないほどの俳優として、キャリアを再スタートさせた。
今の地位に上り詰めるには、並大抵の努力では叶わなかっただろう。
そう分かるからこそ、どうしても昇吾は篤を意識せざるを得なかった。