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第12話 元悪女は、沈黙を選びたい(2)


 茶会が行われる会場へ到着したころには、紗希の頬の火照りも、チークの色味と混ざり合って落ち着いていた。

 広大な敷地を有するショッピングモールの一角が、イベントの会場だ。その奥に、新緑に包まれた野外の席が設けられている。

 きらめく緑に毛氈の紅がなんとも鮮やか。添えられた和傘や趣のある設えの数々も相まって、主催者である静枝の心遣いを幾重にも感じ取られる。


「素敵……」


 思わずうっとりと呟いた紗希の隣で、昇吾が優しく笑みを浮かべた。


「母さんが聞いたら喜びそうだ」

「そうですか?」

「……母さんから琴美さんの話は何度も聞かされている。母さんも本当は、紗希さんともっと早くに会いたかったはずだ」


 後悔するような口ぶりの昇吾に、紗希はやはり戸惑う気持ちがあった。だが、今日は婚約者として堂々と振舞ってほしいと言ったのは他ならない昇吾だ。

 彼のためになれる婚約者であると、今日は胸を張って言える日にしたい。


(もしも、この日が終わったら、私の夢だったなんて、種明かしが起きてもいいように……)


 紗希は強く心に刻む。するとその時。会場の隅に立つ、着物姿の女性が目に入る。

 淡いピンク色の着物は新緑の中で目を引いた。


(あの人……)


 新幹線で紗希に会釈をした女性社員だ。向こうも紗希に気が付いたのか、こちらを見ている。何か不気味なものを感じて、紗希がすぐさま視線をそらそうとした、その時だ。


「やあ、昇吾くん。見違えたな」


 恰幅の良い老人が声をかけてきた。着流しの上に黒の紗の装束、十徳を身に着けている。家元に認められた茶人だけが着られるため、格が高いだけでなく、相手の茶道における経験を裏打ちする装束だ。

 紗希も老人の顔には見覚えがあった。


「白川会長、お久しぶりです」


 昇吾が即座に反応する。

 白川家。青木家と肩を並べるような名家だ。西の白川、東の青木という言い方があるほど、家同士にも対立関係があると言われている。

 そのトップである白川偕成かいせいは、白川建設の会長として、現在も辣腕を奮っていた。

 紗希もすぐにそちらを向きなおろうとして、体が動かないことに気が付いた。


(な、なんで体が、まるで新幹線の時のように……ッ!)


 このままでは、紗希が白川会長を無視したように見えてしまう。しかし、焦れども、体が動かない。

 あの女性の顔が脳裏にちらつく。すると、紗希の視界に回り込むように、彼女が動いてきた。その顔が微笑みを浮かべて、小さく口を動かす。紗希は異様なまでにそちらに気を取られる自分に気が付いた。


(どうしよう……白川会長を無視したって、噂されているとか……?)


 目の前のことを解決したい。なのに、体が動かない。

 恐怖に思考までも蝕まれていく、その時だった。


「紗希さん。こちら、白川会長だ。白川会長、私の婚約者の蘇我紗希さんです」


 昇吾がそっと紗希の背へ手を回す。軽く背を押すように動かされると、不思議なほどあっさりと、紗希の体は自由を取り戻した。

 いったい何が、と思う間もなく、紗希は即座に白川会長へ微笑みかける。


「お久しゅうございます。常々、白川建設様には当家も世話になっておりまして……」

「おお。そうか、蘇我の……紗希さん、すまない、見違えるほど大人になっていて、びっくりしてしまったわい」


 カラカラと笑う白川会長の様子は、前世と変わらないように思えた。彼の豪快さは、確か青木家主催の茶会でも発揮された、と聞いている。真琴の失態を見逃すように周囲へ声をかけたのも、白川会長だったはずだ。

 紗希は少しだけホッとした自分に、少しだけ罪悪感を抱く。前世と変わりのない人がいてくれた、ということへの安堵は、裏を返せばその人本人を知ろうとしていないように思えたのだ。


(そういえば、さっきの女性は? ……)


 ピンク色の着物を着た彼女は、もうどこにも見当たらない。


(ううん、彼女自身がきっかけとは、限らないもの。気にしてはならないわ……)


 紗希が頭の中にこびりつく考えを振り払った、その時だった。


「……ところで昇吾さん。君は華崎真琴さんとそれは仲が良いと聞いていたが……今日は、彼女を伴っていないのかい?」


 白川会長の問いかけに、紗希は息を詰まらせた。


「はい。彼女はわが社の優秀な部下で、今は新卒採用に忙しくしております。それに今日はイベントとはいえ、青木家が披く茶会ですので、紗希さんを伴うのは当然かと」


 しかし、昇吾は淡々と答える。紗希の心臓を鷲掴みにするような問いかけであると、まるで分っているかのように、紗希の背中から手を離すことはない。

 白川会長が大げさに肩をすくめる。


「そうか……確かに、その通りだな」

「はい」

「……ふふん。なるほどなぁ、これは篤も苦労するかもしれんなぁ」


 小さく、だが昇吾と紗希に聞こえるように呟いた白川会長が、サッと口元を扇子で隠す。時代劇の悪代官のような仕草だが、彼の好々爺とした風貌がらしく見せていた。


「おっと。これは余計なことを言ってしまった。やあ、年寄りになると老い先短いせいか、言いたいことは全部言ってしまうなぁ……はっはっは……」


 笑いながら立ち去っていく彼の姿に、自然と紗希と昇吾は顔を見合わせた。


「……篤さんとは?」


 紗希は首をかしげた。どこか聞き覚えがある名前だが、どうも思い出せない。

 昇吾はと言うと、少しだけ眉をひそめている。何やら不穏な雰囲気を漂わせていた。


「まさか。篤? あの人が言うのなら一人しかいないが……」

「えっと」

「あ、ああ。いや。俺の思い違いでないなら、白川会長の孫に、俺と同じイギリスの学校に通った白川篤という奴がいて……今は俳優をしているんだが……」


 ようやく記憶と名前が結び付き、紗希もハッとした。


「ああ! 白川篤しらかわあつし様! あの人気俳優でいらっしゃる! 会長の血縁の方なのですか?」


 白川篤は、日頃、ほとんどドラマを見ないような紗希も知っている日本の若手スターだ。大ヒット作への出演をきっかけに、若手俳優としては異例の抜擢を次々に受け、あっという間に国内外からも知られる俳優となった。

 その端正な顔立ちと作品を深く読み込んだうえで作り上げる演技力の高さから、男女問わずにファンも多い。


「そうだ……ただ、篤が苦労するの意味までは……」

「……そうですね」


 思い返しても、白川篤がここに来るという話は少しも聞かなかった。で、あれば、なぜ白川会長は孫の話を出したのだろうか。

 理由が分からず、紗希も昇吾も、首をかしげるほかない。

 しばらく黙り込んでいた二人だが、紗希はハッとして一歩だけ横にずれた。昇吾が自分の背へ手を当て続けていたことを思い出したのだ。


「あ、あの、ところで、昇吾様。先ほどはお声がけいただき、ありがとうございました……」

「いや……」


 昇吾はしばし黙り込んだ。紗希の背へ手を当てたのは、彼女が新幹線の時と同じ状態になっていると分かったからだ。

 均からの連絡がまだ無い以上、そのイベント会社の社員であろう女性が仮に、均のように『絡繰からくり』を使える宮本家の血筋を引く人間だと確定したわけではない。

 おまけに、彼女の心を読んだなどとわかったら、怖がられるのではないか。


「……白川会長に華崎の名前を出されて、気に病んだのではないかと思ったんだ。昨日も言った通り、自分の婚約者として堂々と振舞ってほしいからね」


 納得した様子で、紗希が頷いた。


(なるほど……確かに、あそこで反応ができないのは、婚約者としてよくないのはもっともな話よね……)


 真相を伝えてしまうべきだろうか。

 聞こえてきた紗希の心の声に、昇吾は考え直すのだった。




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