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第10話 元悪女と、茶会の前夜(2)★


 静枝とのやり取りから十分後。何とか気を取り直した紗希は、熱いシャワーを浴び、メイクを落とすことにした。


 いつも付けている薄紫色のコンタクトレンズを外すと、濡羽色の目が鏡の中から紗希を見つめ返した。

 ルーティーンとなっているスキンケアに加え、明日の茶会へ備えた日焼け予防のパックを終えると、ようやく気持ちが落ち着いてくる。持ち込んだファストファッションブランドのパジャマへ着替えると、さらに解放された気持ちになった。


「よしっ……!」


 プライベート用のスマートフォンを取り出した紗希は、パスワードまでかけて厳重に保管したフォルダを呼び出す。

 中には今後起きるはずの出来事と、これまで起きた出来事を時系列で書き連ねたリストが入っていた。

 そのリストにしたがい、前世での出来事を並べると……。


~~~


六月

・真琴さんが昇吾さんの会社の事務員となる。

・昇吾さんの会社に勤める別社員の業績が、どういうわけか事務員の真琴さんの手柄になる。

・理由を調べるよう昇吾さんに伝えるも、まったく効果なし。

・不安に駆られた私はその社員へ接触しようとして、真琴さんにその現場を見られてしまう。

・昇吾さんにますます嫌われる。


七月

・茶会に真琴さんと昇吾さんが参加。

・同時期、礼司さんが会社をクビになる。私は昇吾さんに真実を確かめようと、現地に突撃。

現地で「お前のような悪女など、嫁にはできない」の宣言を昇吾さんから受ける。

・この時期から、次第に家族からも白い目で見られるように。


八月

・真琴さんが青木産業の新CMを担当する白川篤さんと接触。

・ホテルから二人が出てくる様子が週刊誌に掲載されそうになるも、その記者が突然の退職。

・データを欲しがった私が記者と接触したところ、間一髪で宮本均さんが駆け付け、さらに昇吾さんもやってくる。

・記者への報酬の件(高額すぎた)で義母の明日香さんから見放される。


~~~


 三か月分のリストを見返しただけでも、紗希は落ち込むほかなかった。周囲の人間から煙たがられるも当然だ。静枝から接触されたり、いくら素晴らしい茶道の作法を見せたりしても、事態が良くなる兆しはどこにもなかった。

 だが。今回はそもそも、茶会に参加するのは昇吾と紗希なのだ。


「……そうよね。七月は私と昇吾さんに、茶会をきっかけに決定的な亀裂が入るはずだったのだけど」


 昇吾に茶会の席へ招待された時。いや、婚約解消を保留したいと申し出たときから、紗希は自分が知らない自分がいるような感覚がずっと続いていた。

 前世では、自分ではない誰かが、代わりに自分の人生を歩んでいたようにすら思える。

 慌てて紗希は首を激しく横に振った。

 ぷつぷつと鳥肌が立ち、背筋に氷を落とされたような寒気が這い上がる。


「そんなことはあり得ないわ! ……私は確かに、あの河原で死んだの。それは本当。私が疑ってどうするの?」


 スマートフォンのリストを閉じてから、紗希はゆっくりとした口調で言った。


「私は華崎真琴と関わらない。私は、昇吾さんと婚約を解消する……。新しい人生を歩み始める……」


 何度も深呼吸をしていると、少しずつ気持ちが落ち着き始めた。


(そう……大丈夫、私が目指すのは、落ち着いた生活よ……)


 そこまで考えた瞬間。紗希の手元で、スマートフォンが激しく振動する。

 心臓が口から飛び出すかと思うほど驚きながらも、紗希は素早く画面のボタンをスワイプして振動の原因に対処した。


「も、もしもし、昇吾さん? どうなさったの?」


 振動の原因は、昇吾からの電話だった。

 すぐさま昇吾の顔が、スマートフォンの画面いっぱいに表示される。紗希は思わず息をのんだ。

 昇吾はバスローブを身にまとっており、形の良い鎖骨から男らしい胸板があらわになっている。まだ髪の毛を乾かしてさえいないのだろう。雫が垂れ落ちると、セクシーな香りが画面越しでも伝わる気がして、紗希は自分の顔が熱でどうにかなってしまわないかと不安になった。


『すまない。部屋に鍵のないドアがあると思うんだが……』


 電話越しに聞く昇吾の声は、いつも以上に柔らかかった。紗希は落ち着かない気持ちでいっぱいになりながらも、少しほっとして頷いた。


「静枝様に伺ったわ。鍵はないけれど、隣室にはどなたもいらっしゃらないって」

『そうか、母さんが。なら、良かった。気にしているんじゃないかと思って……』

「まあ」

『すまない、こんな姿で。シャワーを浴びていて、ふと思い出したものだから、つい電話をしてしまった』


 その言葉に、紗希は思わず口元をさらに綻ばせた。


「ありがとう、昇吾さん」


 小さな画面の中の昇吾が、僅かに息を飲む。カメラ越しのため紗希にもわからないが、露骨に視線を逸らす様を見るに、何かあったのだろうか。


(……まさか、幽霊とか?)


と、背後を振り返ったが、何もない。


『いや……俺の方こそ、突然電話をして申し訳なかった。同じ別荘なんだから、部屋を訪ねるという手もあったな』


 聞こえてきた昇吾の言葉に、紗希は勢いよく振り返る。


(それは流石にちょっと、心臓が持ちそうにないわ……! 何か、何か良い言い回しは……)


 考えるが言葉は出てこない。すると昇吾が、そうだ、と右手の人差し指を軽く持ち上げた。


『このまま、話をさせてもらってもいいか?』

「えっ? はい、大丈夫です」


 頷いた紗希を見て、昇吾が続けた。


『礼司のことを、改めて礼を言いたいと思っていたんだ』

「そのことなら、礼司さんが……」

『いや。俺と彼の間に横たわる根深い問題にも、紗希さんは変化をもたらしてくれたんだ』


 昇吾は軽く目を伏せる。そしてゆっくりと、自分と彼の間にある確執を語り始めた。




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