「大丈夫か!」
腕が差し込まれる。腕の主は、昇吾だった。
「立ち眩みか?」
「……ええ。ありがとうございます」
紗希は、昇吾に支えられる形で、なんとか立ち直った。そのまま、ホームに設置された近くの椅子へ座らされる。
「貧血以外なら、何か持病でも?」
「……いえ、大丈夫です」
「大丈夫な顔色には見えない」
紗希は押し黙る。昇吾へここで、いらぬ心配をかけたくなかった。
「……少し休めば治りますから」
「無理はさせたくない。すみません、車いすの手配をお願いしても?」
「もちろんです、青木様」
同席する社員に指示を出す昇吾へ申し訳なく思いつつ、紗希は違和感がぬぐえなかった。
足がもつれた瞬間を、繰り返し思い出す。今まで体験したことのない感覚だった。
(何だったのかしら? 立ち眩みにしては急すぎるし、貧血と指摘されたこともないし……それにあの、女性の声は? ……)
昇吾がわずかに息をのむ。何事かと思い、紗希は彼の顔を見上げた。昇吾の視線は、先ほどまでいた新幹線へとむけられていた。転びかけた紗希を気づかわしそうに見る人もいれば、そうでない人もいる。
彼の様子が尋常ではないように思えて、紗希は思わず呼び掛けた。
「……昇吾さん? 本当に大丈夫ですから」
「えっ? あ、いや……すまない、何か不備があったかと思って」
「気にしないでください。ちょっと、立ち眩みを起こしたようですから……」
すると、駅員が車いすを持って現れる。ホームで立ち眩みが起きるのは、珍しい話ではないのだろう。手際よく用意された車椅子に紗希が移ろうとすると、即座に昇吾が動いた。右腕を紗希の背中に、左腕は紗希の膝裏に差し込む。
(こ、これって……)
「君、意外と軽いんだな」
一瞬の間を置いて、紗希は自らの体が彼の腕に抱きかかえられている状況だと知った。車いすへ移るための介助とわかりながら、紗希は顔を赤らめる。
「あのっ」
(ど……どうしよう……こんなの……まるで、お姫様抱っこだわ!)
思わず声を張ってしまう。だが、それ以上に言葉が出てこない。
紗希が困惑している間も、昇吾は移乗を終えてしまう。そして、涼しい顔で車いすを押しはじめた。
唖然とした様子の紗希に、昇吾は問いかける。
「どうした?」
「……いえ、その……」
(な、何で? いえ、こ、婚約者なら普通? そう、普通、よね? ……)
紗希はそこまで考えて、ふと気が付いた。
前世での紗希は、昇吾から真琴を引き離すのに必死だった。そのため昇吾と、婚約者としてちゃんと向かい合った試しがない。
また、良家の娘として、昇吾以外の男性との交際経験もなかった。前世も同様だ。
つまり。今の紗希に、判断できるだけの情報は、ない。
昇吾の振る舞いが婚約者として問題ないものなのかは、わからない。
「……」
紗希は、そっと昇吾を見上げる。
彼はいつもと変わらない様子で車いすを押している。その眼差しに、特別な熱はないように思えた。
(……そうよね。昇吾さんは私なんかより、ずっと大人だもの)
彼ならこれも、当たり前な行動なのだろう。紗希はそう考えて、とにかく火照ってしまった顔を元通りにすることに努めるのだった。
駅から出てすぐに、青木家より迎えの車が来ていた。紗希と昇吾が乗り込むと、すぐさま車が走り出す。
「体調はもういいのか?」
「はい。ご心配をお掛けしました」
「無理はするな」
珍しく気遣うような発言に、紗希は思わず口元を緩めた。すると、昇吾が憮然とした表情をする。紗希は慌てて口元をひきしめた。
気まずい空気が流れる中、話題を探す紗希は、ふと気が付く。車が向かう道順が、どうにも違うように思えた。
「あの。宿泊先は『風のささやき リゾート』でしたよね?」
「いや、変更させてもらう」
「変更?」
「……今日は、青木家の別荘に泊まってもらう」
紗希は驚きのあまり、呆然と昇吾の顔を見つめたのだった。
「青木家の別荘に? どういうことですか?」
紗希は困惑しながら訪ねた。
その間にも、車窓の景色はめまぐるしく変わる。
軽井沢の駅前には、様々な店が立ち並んでいる。観光客向けの土産物屋やカフェが軒を連ねるエリアを通り抜け、車は別荘が立ち並ぶエリアに入っていった。
「……安全性のためだ」
昇吾はどこか気まずそうに答えた。紗希は何か恐ろしい思いに駆られて、指先が震える。
「安全性? なぜです?」
「……君が気にする必要はない」
突き放すような言い方に、紗希は眉をひそめる。だが、ここでくってかかっては、前世の二の舞だという自覚もあった。
「わかりました。昇吾さんのおっしゃる通りに」
それきり、二人の間に会話はなくなった。
更に奥へ進むと、より広大な敷地を有する別荘へと到着する。紗希には、見覚えのない場所だった。だが、どこなのかは予測できる。
(ここが、青木家の別荘……?)
その証拠に、到着した見事な邸宅には着物姿の静枝が待っていた。その立ち居振る舞いは凛としており、大和撫子という言葉がぴったりだ。隣には執事の田中が控えており、車いすを用意している。
「お待ちしておりましたわ、昇吾さん」
「出迎えありがとう。久しぶり、母さん」
昇吾は軽く会釈をする。そして、紗希が車から降りるのをエスコートした。すぐに田中が車いすを押して近づいてくる。
前世では幾度も顔を合せなかった静枝を前に、どう対応するべきかを紗希は考えるのだった。