金色に輝くシャンデリアの下には白いテーブルクロス。
丸いテーブルをはさんで座るのは、二人の女性。
「今日はお招きありがとう、真琴ちゃん」
「ううん、明音ちゃんこそきてくれてありがとう」
にこっ、と笑みを浮かべた真琴に微笑み返すのは、蘇我明音だ。
「それで? こーんな良いレストランを貸し切ってまでやりたい話って、何かしら」
「明音ちゃんにも悪くないお話よ」
運ばれてきたアミューズは、ニンジンへサーモンを合わせたムース。岩塩をあしらったグジェールという小さなシュークリームのようなものが添えられている。
明音は真琴に言った。
「ふふん。あなたが言うならとびきりね」
「そうよ。明音ちゃんの一番の友達の、私が言うんだから」
くすくすと笑う真琴の言葉に、嘘偽りはない。
実際、明音と真琴は仲が良い。幼いころから二人は、両親以外の蘇我家と華崎家の人間から向けられる視線に、強い疎外感を感じてきた。
彼らにとって、本家の血を引く紗希こそが蘇我家の令嬢であり、明音や真琴は認められない存在なのだ。
だが、明音にはその事実が許せなかった。母親は違うが、間違いなく自分は蘇我の当主である蘇我俊樹の娘なのに。
「お姉さまは相変わらずよ。小さな商売であくせく働いて、夜もろくに帰ってこないわ」
「当然よ。いくら莉々果の配信力があっても、紗希さんそのものはまだまだ未熟だもの」
「だからこそ、よ。いい加減、家を出ていけばいいのに。ああ、行く当てがないのね?」
「ダメよ、明音さん。紗希さんは、まだ、昇吾の婚約者なんだから」
お互いに一息つくように食事へ手を付けた二人が、視線を交わす。
口火を切ったのは真琴だった。
「私、ずっと明音ちゃんに黙っていたことがあるの」
「あら、何かしら?」
「……私、本当は宮本真琴になるはずだったのよ」
明音がフォークを取り落とす。がちゃんっ、という激しい音が響いた。即座に近くにいたウェイターがフォークを回収し、新しいものを置く。
「それ、本当なの? どういうこと? あなた、和香さんの娘じゃないの?」
「義理の娘なの」
「なんで?」
「そもそもは……あなたのお父様が原因なのよ」
真琴にそう言われた明音は、嫌そうな顔をする。
「あの見境なしが、何をしでかしたの?」
「紗希さんのお母様と結婚した後に、宮本家の分家筋にあたる女子学生を妊娠させたのよ」
「……学生? まさか、未成年じゃないでしょうね」
「その通りよ。明るみになれば、大スキャンダルよね」
実父ながら、あの女癖の悪さはどうにかならないのだろうか。明音は苛立ちながらテーブルを指先で叩く。
事実、明音も俊樹の不倫相手だった母から生まれ、母が運よく後妻となれたからこそ蘇我家の次女という立場に立てている。一歩間違えれば、今頃、ロクに養育費ももらえなかったかもしれない。
「その女子学生さんは、ほとんど騙されて抱かれたの。ショックのあまり記憶を失ったわ」
「ひどい話ね」
「でも、いつ記憶を思い出すか分からない。そこで当時の蘇我家の当主に対し、宮本総一郎様が取引を持ち掛けたの」
それは、女子学生の今後を宮本家が引き受け、俊樹の不祥事を隠す代わりに、総一郎の隠し子である真琴を華崎家の養女に引き入れさせることだった。
真琴は総一郎に能力を見出された際、自分の本当の生まれを知ったのだ。
「……驚いたわ。真琴ちゃんに、そんな真実があったなんて」
頬杖をつく明音のまえからアミューズの皿が下げられ、前菜であるオードブルが現れる。
彼女が食べ飽きたのだと、慣れ親しんだウェイターが察したのだ。
「あら、言う割には、そんなに驚かないのね?」
「真琴ちゃん。十分驚いているわよ」
「そう。それでね、私がもしも昇吾と恋仲になれたら、宮本家の娘として受け入れてもらえる予定だったのよ」
「すごいわね。あの宮本通信会社の娘でしょう? 今とは全然違う生活でしょうね」
ええ、と真琴は微笑んだ。やはり明音は、自分の本心を分かってくれると思ったのだ。
宮本真琴になることで、自分が本来なら送れていたはずの生涯を取り戻す。
それこそが、真琴の本当に歩むべき道だと思えてならなかった。
「私もあくまで不倫相手の娘だもの。あなたの境遇に共感も同情もするけど、私に何を望んでいるの?」
「そこよ、明音ちゃん」
真琴は薄く笑いながら、紗希と昇吾が最近、急接近していることを話した。
少なくとも電話で連絡を取り合っているし、今度は二人で出かけるらしい。それも、以前の宝石展示会のようなビジネスの場ではなく『婚約を継続する』という意思表明のためのデートを予定しているようだ。
「いずれも秘書であり……私にとっては腹違いのお兄様である均さんからの情報だから間違いないわよ」
「何それ! ははあ、通りで最近、妙に女気をだしてるのね?」
唇を吊り上げる明音の顔は、笑みと怒りが混在していた。見た目にもわかるほど頬を赤くするさまからは、紗希への嫉妬心が隠しきれていない。
そんな明音に、真琴は言う。
「明音ちゃん。私があなたに頼みたいのは、紗希の本性を周りにアピールし続けてほしいということよ」
「それで?」
真琴の表情が一変した。急に寒さを感じたかのように両腕を擦ると、両目にいっぱいの涙をためて俯く。
「紗希さんに、何か脅されているのかもしれないわ。昇吾の目を覚ましてあげたいの……」
「……あははっ! なるほどね。とにかく、お姉さまが何かの絡繰りで青木様を操っているようにみえるのね?」
「ええ……。最近の昇吾は、私に冷たくて。やっぱり私みたいな卑しい生まれより、紗希さんのような高貴な方が、昇吾、いいえ。青木様にはお似合いだったんだわ!」
悲劇の主人公として、真琴は両手で顔を覆ってさめざめと泣くふりをした。だが、すぐさま手をパッと広げて、両手を膝上に戻す。
真琴の振る舞いなど無かったかのように、コース料理が粛々と進んでいく。
明音は魚料理を飛ばさせ、口直しにとシャインマスカットのシャーベットを早々に持ってこさせた。
「真琴ちゃん。私もね、厳密に言うと、蘇我家の本家の血筋じゃないのよ」
「……どういうこと?」
言いたい意味が分からず、真琴は首をかしげる。蘇我俊樹の娘である明音は、間違いなく蘇我家の娘のはずだ、と。
「蘇我家と華崎家は、長い歴史の中で何度か結婚をおこなったそうよ。だから、華崎家も蘇我家の血を引いた家柄なの。でも、あくまで血を引くだけであって、華崎家が蘇我家になることはない」
へえ、と真琴が頷く。彼女もそのような経緯は全く知らなかった。
だがありえないことはないと思う。執事として傍に控える家の娘や息子と恋に落ちるのは、決して珍しい話ではないだろう。
「でもね。例外が起きてしまった。蘇我家の本筋の血筋が、私のお父様の前で途絶えてしまったの」
「……それって」
「蘇我家にとっては、お父様の不倫やらなんやらより大スキャンダルよね。そこで蘇我家は華崎家の娘である華崎琴美を養女として、蘇我琴美にした。つまり、お姉さまのお母様よ」
蘇我琴美は病気で紗希が中学生くらいのころに亡くなっていると聞いている。
母親の死をきっかけに紗希は、よく言えば正義感にあふれる、悪く言えば人の話を聞かない性格になっていったらしい。
明音は当時すでに生まれており、これ幸いと、俊樹は明音の母である明日香を後妻に向か入れたという。明音が産まれた時点で、俊樹の心は琴美にはなかったようだ。
「琴美さんは、蘇我家の本家の出身である男性が華崎家に婿入りして生まれた子供だったの。けど、その父親も事故死。本来は当主になる予定など全くなかった蘇我の分家にあたるお父様が当主となり、蘇我琴美と結婚することで、蘇我家本家の血を少しでも濃くしようとしたのね」
「なんだか恐ろしいわね。まあ、宮本総一郎様も、似たようなことはなさっているけど……」
「そうね。だけど、そうまでして本家の血筋を引きたい理由は分からないわ。でも、本当に変なくらい、分家たちもよってたかって本家の血筋を永らえさせようとしてるの」
家のための結婚は成功した。蘇我紗希が産まれた。彼女は正式な本家の血を引く娘だ。
「私ね、お姉さまが嫌いよ」
明音はハッキリと言い切った。彼女の頬は赤く染まったままだ。
「お姉さまは本家の血を引いているだけで、なにもかもうまくいくの。青木様と結婚するのだってそう。お父様は、このまま姉が失敗したら、家同士の結婚だから私が青木様と結婚するっていうけど、そう簡単にいきっこないわ」
じっと明音は真琴の目を見つめる。その眼には、真琴の気持ちを問いただすような強い光があった。
「私は青木様との結婚に興味はないけど、お姉さまが落ちることには興味があるの。貴女に協力してあげる」
二人の表情から緊張の色が消える。彼女たちは傍らに置かれたワイングラスを、どちらからともなく持ち上げた。
リン、と音を立ててグラスが触れ合わされる。
美しいバラ色をしたワインが、グラスの中で揺れている。
「それじゃあ」
「よろしくね」
どちらが、どの言葉を言ったのか。二人は同時にワインを飲み干すのだった。