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第7話 元悪女は、変化を知る(3)


 室内を沈黙が満たす。

 ため息をついてから、昇吾が言った。


「……少し、真琴の動きに、思うところがあったんだ」


 昇吾がそう言うと、均が頷く。


「調べた結果、宝石展示会に関連して真琴の行動が弊社に悪影響をもたらす可能性があると分かった。それで展示会では急遽、真琴が昇吾と来る予定を変更して、別件の対応をおこなうように仕向けたんだ」

「……えっ?」

「どうした、蘇我さん?」


 均に尋ねられて紗希は急いで首を横に振る。

 まさか、自分が昇吾に連れられて宝石展示会へ向かった裏に、そのような事情があったとは思わなかったのだ。


(……良い変化よね。たしか、あの展示会がそのまま進んでしまった結果、良いジュエリー作家さんが自信を無くして、新作を作れなくなってしまったもの)


 だが、紗希にとって思いがけない変化が起きているという事は、未来が変わるということでもある。

 婚約解消に結びつかないばかりか、このままでは回避できない事態が増え、結果として死の運命につながるかもしれない。

 いつかまた前世と同じように、昇吾からは冷たい目で見られ、口にする言葉全てを他人から疑われる日々が始まるかも。

 かもしれない、を想像するあまり、紗希は目の前に暗くて重い闇がのしかかるような心地がした。胃がずんと重くなる。

 何より、昇吾から冷たい目で見られることに、耐え切れそうにもなかった。

 すると。


「はぁい、お待たせ! 録画がひと段落したの。もし、何か話す内容があれば、一緒に話すわよ?」


 莉々果の登場に、昇吾と均の視線がそちらへ向く。紗希は弾かれたように立ち上がり、一息で言った。


「お茶も出さずに申し訳ありません。イベントで頂いた緑茶があるので、淹れてきますね」


 足早に紗希はソファを離れ、事務所の奥にセットしたお茶などのドリンク類が並ぶ台へ立つ。ここには莉々果に案件として持ち込まれたお菓子やジュースなどが置かれており、紗希もよく口にしていた。


「紗希、手伝うよ」


 すぐに向かったのは礼司だ。昇吾と均の前には、すぐさま莉々果が座る。

 何か言いたげにする昇吾を均が目線で抑え、莉々果に話しかけるのが見えた。


「ありがとう、礼司」

「いいよ。俺の方こそ、ごめん」

「気にしないで頂戴。……いつかは、可愛い弟になるかもしれないし、何より友達のためだもの」

「……ああ、そっか。そうだよね」


 いまさら思い出した、と言いたげに礼司が頷く。紗希は彼にとって、義理の姉になるかもしれない女性だ。


(……俺は結局、弟か友達、だよな)


 モヤっ、とした感情に、礼司は俯く。紗希が淹れた茶を、全部ひとり占めしたくなった。


「お待たせいたしました」

「ありがとう、紗希さん。気を遣わせてしまった」


 五人分の緑茶が乗せられたトレーを受け取り、昇吾が微笑む。紗希は何でもない風を装って頷き返した。


「昇吾さん。ありがとうございます」

「それにしても、紗希さんが緑茶派だったとは」

「ええ……まあ……」

「七月の半ば、梅雨明けを待って軽井沢で緑茶や紅茶、日本国内で生産されたお茶を扱う女性向けのイベント『The 茶フェス』をおこなうんだ。青木家では、文化振興も兼ねて協力していてね。うちの母も参加するし、よかったら君も一緒に行かないか?」


 紗希はすぐさま返事ができなかった。

 イベントそのものは知っている。青木家が提供した茶器などを使い、茶道の家元にお点前を披露してもらう大規模な茶会があるはずだ。以前は肩ひじ張った名前をしていたが、昨今の流行も取り入れて『The 茶フェス』に名前を変えたと聞いている。

 ただし、変わったのは名前だけ。軽井沢という立地もあってか、かなり昔から取り組まれているイベントで、代々の青木家の嫁が参加しているという歴史あるものだ。


 昇吾に恋をしている自分に恋をしていた、死に戻る前の紗希にとっては『是が非でも』参加したいイベントだった。

 しかし、今は違う。


(ど、どうしちゃったの……?)


 流石に困った様子で微笑むだけの紗希に気が付いてか、昇吾がハッとした様子で言葉を濁す。


「い、いや。急に済まない」


「いえ……ただ、わたくしは、まだ、ただの婚約者ですから」

(そうよ。ただの婚約者なのだから、そんなイベントに参加できないわ……。参加したら、まるで私が本当に昇吾さんの、つ、妻になるような……)


「……本当に妻になるかもしれないのだから、一度くらい様子を見に行ってもいいと思うんだ」


「っ、それ、は。そんなことをおっしゃると、真琴さんがお怒りになられるんじゃなくて? ふふふっ……」

(昇吾さんったら……莉々果の前だから、心にもないことを言っているのかしら? ……)


 二人の間に何とも言えない空気が広がる。無理に笑みを作る紗希に、昇吾は何故かムッとした様子で睨みつけた。

 琥珀色をした瞳の中で、紗希が笑っているのが見える。それほど昇吾の目には、力がこもっていた。


「俺は本気だ。嘘などついていない」


 紗希は自分の心の真ん中に、とてつもなく熱い鋼を打ち込まれたような気がした。

 鼓動が高鳴って、そのまま降りてこない。本気でイベントに来るよう言っているのか、それとも、彼は本心から紗希が妻になるような女だと言っているのか。

 紗希にはもう、昇吾が本当に分からなかった。


「……では。イベントの詳しい日程を送ってください。莉々果とも話し合って、決めますから」


 莉々果が紗希にだけ見えるように、小さく手を振る。相談に乗る、という合図だ。


「ああ、もちろんだ」


 満足した様子で昇吾が頷く。その顔を見ながら、礼司がどこか怒りを滲ませるのが均には分かった。

 均は、昇吾と礼司、二人の男が紗希へ向ける感情に似た雰囲気を感じていた。興味であり、恋であり、執着心だ。

 対する紗希からは、礼司に対する感謝と、昇吾に対する強い困惑が伝わってくる。彼女は本気で昇吾がなぜ自分をイベントに招くのか、全く分からないのだろう。

 均が知っている紗希ならば、昇吾からの申し出には得意満面で応えて、真琴の話などチラリとも出さなかったはずだ。三年前に控えめになって以来、性格ががらりと変わったことは均も良く知っていたが、ここまで変わっているとは思ってもみなかった。


(本当に彼女は、蘇我家の『過去に遡る』という力を発動させたのか……?)


 ありうる。

 たとえば紗希が何か悲惨な結末を迎え、今に戻ったとしよう。

 そうすれば、紗希が『死にたくない』という純粋な気持ちから、現状を変えようとするかもしれない。

 均は紗希の変わりように、何か大きな力が関わる可能性を感じてならなかった。



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