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第4話 元悪女は、変化に挑む(4)


 真琴と昇吾、昔から二人は仲睦まじい幼馴染だった。


 昇吾が青木家の御曹司であるのに対し、真琴が蘇我家に仕える華崎家の生まれと言うのも、周囲からの目を好意的なものにしていたという。

 お伽噺の主人公のように、真琴は学生生活で多くの人間を魅了し続けた。

 紗希が知らない海外の有名大学でも同じだ。彼女の魅力は、国籍も肌の色も関係がなかったらしい。


 礼司も間近で真琴を見るにつけ、彼女が本当に物語のお姫様のように感じられて仕方がなかった。


 透き通るように白い肌と、一切の癖がないまっすぐな黒髪。

 豊満な胸元と魅力的に引き締まった足、子猫のように愛らしい黒い瞳。


 それでいて穏やかで優しい真琴は、礼司を昇吾のスペアとしてではなく、一人の人間としてみてくれる。


 次第に礼司は真琴と関係を深めていった。最初は同じ学校の先輩と後輩として、次に就職先の会社で……。

 礼司が今のポストについてからは、友人として遊ぶこともあったという。

 その多くは真琴が予約したホテルなど、個人情報が漏れないようにされた、いわば密会のような形だった。

 昇吾へのコンプレックスと、真琴への想いが、膨らんでいく。


「間違いなく、彼女に惹かれていく自分がいました。貴女と兄が婚約したと聞いて、これで華崎さんに告白できると思った日もありました……」


 礼司は俯いた。彼の顔は青ざめている。


「けれど。貴女が兄から距離を取るようになってから、俺は華崎さんとの関係に、疑問を抱き始めたんです」

「なぜ、彼女と仲良くしているのか、ってことかしら?」

「そんなところです。……実は、俺は学生時代から、彼女の課題の一部を肩代わりしていたことがありました」


 紗希にとって予測済みの、しかし実際に聞くと衝撃的な答えだった。


 前世でも礼司は、真琴に対し自身の業績を渡していた。だが、その行動が学生時代をきっかけとしていたとは、予想もしていなかったのだ。


「最初は、華崎さんが『家の仕事』が忙しく、宿題ができないと口にしていて。次第に自分に宿題をスムーズに進めるコツを聞いてきて、やがて自分があれこれ手伝うようになったんです」

「手伝いの範囲がどんどん増えていってしまったのね?」

「はい。気が付くと、彼女の宿題の一部を肩代わりしていました。でも、ある日、彼女の宿題を肩代わりしている様子を、兄に見られてしまったんです……」


 礼司は目を伏せた。


「そうしたら、怒ると思った兄が、怒らなかったんです」


 ひどく信じられないものを見た、と言わんばかりに、彼の声は震えていた。


「兄は自分にも厳しいですが、他人にも厳しい人です。宿題や課題は教師が生徒のために出すもの、それを誰かが代わりにやるなんて、兄からしたら許せるようなことでは、ないはずなんです……」


 俯く礼司の横顔に、影が差す。


「当時の俺は、兄に怒られなかったことに対して、何も思いませんでした。よかった、これで華崎さんの手助けが続けられる、としか考えられなかったんです。でも……」

「年月が経つごとに、次第におかしいと思い始めた?」

「そうなんです!」


 青ざめていく彼に、紗希は室内へ視線を巡らせる。部屋の片隅に、急須とポット、それから茶葉などが用意されていた。

 立ち上がってそちらへ向かい、礼司に微笑みかける。


「少しお茶でも飲まない?」


 考えてもみれば、紗希は前の生涯は二十六歳でこの世を去った。そして死に戻りをしてから三年を過ごしたのだから、実際の年齢は二十九歳と言っても良いのかもしれない。

 だからなのか、今の礼司に対して、紗希は以前とは違う親しみを持っていた。


「……ありがとうございます」

「コーヒーにする? 日本茶もあるわね」

「でしたら、紗希さんと同じもので」

「分かったわ」


 手早く緑茶を淹れてから、紗希はテーブルに戻る。


「緑茶の香りには、リラックス効果もあるんだって。紅茶やウーロン茶の甘い感じの香りと違って、なんだかさっぱりしているでしょ? 気分転換によく飲むの」

「……ありがとうございます」


 礼司は注がれた緑茶入りの紙コップに手を添えて、ふう、と息を吐く。


「少し落ち着きました」


 微笑んだ彼の顔に、生気が戻ってくる。紗希はホッとして思わず顔に笑みを浮かべた。

 礼司は少し恥ずかしそうに目を伏せ、続ける。


「……言った通り、俺は華崎さんにまるで宿題を手伝っていたころのように、仕事の面でも何かと彼女の作業を代わっていたことがありました。でも、俺も、周りも、それを変だと思わなかったんです」

「じゃあ、今は、少なくとも礼司さんは変だと思っているのね」

「そうですね……そうなんですよ……」


 混乱したような表情で、礼司は呟く。


「彼女は、俺が今担当している、とあるテレビCMのプロジェクトに関わろうとしているんです」

「彼女、人事部門よね? ……」

「ええ、ですから、彼女自身が引き抜いた人材を『プロジェクトに入れてほしい』と言うんです」

「……あなたはどう思うの?」


 礼司は唇をかみしめる。良く思ってはいないのだろう。

しかし、礼司の心にある真琴への想いが、口を重くさせているようだ。


「俺は、今のプロジェクトに関わるメンバーを信頼しています。確かに真琴さんは人事部のトップに上り詰めるような人です。人を見る目がなかったら、今の地位にはいないと思います。だけど……」

「もしかして、真琴さんが推しているのって、吉岡さんっていう女性じゃない?」


 目を見開いた礼司が、今日一番大きな声をあげた。


「どうしてそれを!?」


 紗希は確信した。今の礼司の意思を変えることができれば、きっと変化の第一歩になる。


(私のためかもしれないけれど、何よりも礼司さんの、そして命を落とした方のため……一つでも多く変えていかなくちゃ……)


 礼司の違和感は間違っていない。そう伝わるように、紗希は大きく頷く。


「わたくしなどが偉そうに言えないかもしれない。でも、恋人だろうと、家族だろうと、あなたの掴んだ成果や結果を、誰かに差し出すことなんてないわ。確かにあなたが真琴さんの言うとおりにすれば彼女は幸せになるかもしれない。だけども……部下を守ることも、トップの仕事でしょう?」


 微笑みを浮かべた紗希に、礼司はあっけにとられた様に目を丸くしている。

 すると。ドアから、控えめなノック音が響いた。部屋の使用時間として指定されていた三十分が来たらしい。


「とにかく。わたくしは、礼司さんの意見を応援するわ」


 立ち上がった紗希は部屋からまっすぐに出る。礼司もそれに続き、ごく自然と紗希が進む方向を守るように並び立つ。

 一瞬だけ、紗希は周囲からの自分の見られ方を考える。しかし、未来の義姉を気遣っていると考えられる可能性の方が高いと判断し、そのまま礼司のエスコートを受けることにした。


「わたくし、このまま帰る予定なのだけど」

「なら、タクシー乗り場まで送ります」

「ありがとう」


 エレベーターに乗り込んだ紗希は、思い出したように言う。


「帰ったらまずは、莉々果のアーカイブをチェックする予定なの。礼司さんは?」

「……俺もその予定です」

「あら、なら、感想をいつか教えて頂戴。今後の参考にするから」

「……ええ。そうですね。なら、近いうちに」


 二人は顔を見合わせ、笑いあうのだった。



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