帰宅した紗希は、気合を入れながら屋敷の門前に立った。蘇我家の屋敷は、良い意味で歴史を感じさせる趣がある。紗希はそんな雰囲気が気に入っていたが、家族は違うらしい。妹が取り付けさせた最新式のオートロック機能が付いたドアが、なんともミスマッチに見える。
家に入ってすぐ、
「おかえりなさい、お姉さま。青木さまは一緒じゃないの?」
と、高飛車な声色で問いかけてきたのは、妹の蘇我明音だ。ただ、正確には、義理の妹にあたる。明音は紗希の父親が再婚した女性、蘇我明日香の連れ子なのだ。
「ただいま、明音。青木さまはお仕事が入ってしまったの、でもちゃんと送っていただいたから」
「そうなの?」
明音が紗希の顔色を窺うように目を這わす。そして、目ざとく、紗希の耳朶を飾る真珠のイヤリングに目を留めた。
「お姉さま! 無駄遣いをなさったのね!」
甲高い明音の声に反応するように、玄関に続くドアが開いた。シンプルな黒いスーツを身にまとう女性は、紗希の方を冷え切った目で見つめている。
蘇我明日香。紗希の義理の母にして、明音の実母だった。
「お母さま、ごらんになって!」
「おやめなさい、明音。……紗希さん、そのイヤリングは?」
的確に変化を見抜いてきた明日香に、紗希は応える。
「実は。本日のジュエリーの展示会で、昇吾さまがプレゼントしてくださったのです。わたくしの誕生石だからって」
母子は、そっくりの顔で驚いた。紗希だって驚きだったが、それを見せるとまた彼らが付け込んでくるだろうと、紗希は考えた。
前世でもこうだった。紗希の振る舞いは基本的に、蘇我家にとってデメリットでなくてはならない。
そうでなくては、悪役として紗希が成り立たないからだ。
しかし。今回はあれこれと勝手が違う。昇吾の考えの変化一つでこうも変わるのかと思うと、紗希は何とも言えない気持ちになった。
「それ、本当なの?」
明音が言う。紗希は困ってしまった。嘘、というわけにはいかないからだ。
「いいえ。真実よ。嘘をつく理由があって?」
「……まあ、そうね」
つまらなさそうに言った明音に、紗希は微笑みを絶やさない。
明音はさっと身をひるがえすと、部屋の奥に向かってしまった。明日香はもうその場にいない。
彼女は蘇我家の家業である、蘇我不動産の経理を担当している。そのためか、とにかく家の金に厳しく、紗希の無駄遣いを許さなかった。前世では、紗希がお金を使うたびに、明日香の怒りを買っていたようなものだ。
義理の母の対応を、前世の紗希は怒りと共に見つめていた。
しかし、今は、自身でお金を稼ぐ苦労を知っている。前世の紗希のように、昇吾の気を引こうと高額なジュエリーを買うような人間は、認めにくかったに違いない。
(……こうなると、明日香さんのことは、嫌いになれないのよね)
むしろ嫌いになったのは父親だ。前世の紗希は、父親の蘇我俊樹にとにかく気に入られようとしていた。父親が蘇我家の実権を握り、金をくれる唯一の相手だったからだ。
「……嫌になるわね。私、どれくらい『きょうだい』が他にいるのかしら?」
紗希は死に戻る直前。自身の生涯を真琴の視点で物語として読む間に、父親の真実も知っていた。
蘇我家の正当な当主。蘇我不動産のトップ。しかし女癖が非常に悪く、あちこちに子供を作る始末の父親。
それが自身の父の真の姿だと理解したとき、紗希はあの白い空間で泣きじゃくったものだ。
紗希は自分で部屋に向かい、自分で今日着ていたドレスの手入れに取り掛かる。
イヤリングに手を伸ばすと、なんとも言えない恥ずかしさが身体を襲った。
「……もう、落ち着いて、私」
そっと外す。
一瞬とはいえ、昇吾が自分のことを考えて贈ってくれた品物だ。
紗希はその輝きをじっくりと堪能してから、ジュエリーボックスにしまうのだった。
きっと二度とつけることはないだろう、と、思いながら。