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第3話 元悪女は、振り回される(1)


 婚約解消の申し出から一週間が過ぎた。

 紗希はシルクのイブニングドレスを身にまとい、小ぶりの天然真珠のイヤリングを輝かせながら車から降りる。

 すると、即座に手が差し出された。昇吾の手だ。彼の表情をちらりと伺いながら、紗希は微笑みを浮かべる。


「ありがとうございます、昇吾さん」


(どういう風の吹き回しなのかしら、本当……)


 本心では疑問でいっぱいになりながら、紗希は微笑みを浮かべた。

十二センチほどのヒールがある靴を履いたおかげか、いつもより視界が高い。

 普段、仕事中は動きやすさ重視で靴を選ぶ。こんなにもヒールのある靴を履くのは、本当に久しぶりだった。

 会場へ入ると、紗希に視線が集中する。ざわめきが衣擦れよりはっきりと聞こえた。


(まあ、皆さん不躾ね。動物園や水族館の展示物になった気分だわ……)


 紗希は心の内でそう考えながら、会場を見回す。すると即座に、視線が離れていった。

 都内某所で披かれた、シークレットの宝石展示会。並ぶ宝石も、会場を設営した部分的、あるいは全てを、青木財閥の有する企業が手掛けている。

 雇い主を飛び越えた商業帝国の王族である昇吾の隣には、蘇我紗希が並んでいた。

 婚約者である彼女が、昇吾の隣にいることは何らおかしくない。しかし会場にいる面々は、何やら興味深そうにこちらに視線を送っているのが分かる。


(今日の主役たちが可哀そうよ。こんなに美しく飾られて……)


 考えながらも、紗希もどうして昇吾が自分を連れ歩いているのか、まるで分からなかった。

 この宝石展示会は、前世の記憶通りであれば、紗希がレストランで昇吾に注意を促すはずだった『真琴による成果の乗っ取り』だ。ところが妙なことに、紗希の記憶とは異なり、会場に華崎真琴の姿はない。

 前世で紗希が突き止めていた本当の担当者が、昇吾と紗希を案内している。


 昇吾から紗希へ『展示会に一緒に出てくれ』と知らせがあったのは、つい三日前のことだ。最初は驚いたが、まだ婚約解消が保留となっている以上、紗希が断る理由は存在しない。

 彼女が頷くと、昇吾はホッとした様子で、彼女に展示会に関するパンフレットや資料を送ってくれた。

 二人は会場を進んでいく。昇吾は周囲からの視線に気が付いてはいるが、まるで意識していない様子だった。


「良い展示だな……スマホの反射もない。確かこのケースは」

「ええ。青木グループの一つ、青風硝子の開発品ですわね」


 紗希が答えると、昇吾は眼前のケースに視線を戻した。職人の技術により磨き上げられた、大粒のエメラルドを冠した指輪が輝いている。

 そして隣のケースには、虹色に輝くパールのイヤリングが収められている。

 確かにどちらも美しい。


しかし。


(そうね。特別製のケース入りなら、本当にあなたたちが今日の主役かしら? ふふっ……)


紗希の微笑む声が聞こえる。

昇吾自身が覚えている限り、隣にいる彼女が『主役たち』と宝石へ呼びかけるような人間だとは、到底思えなかった。


 視線に気が付いた彼女が、小首をかしげるようにして昇吾を見上げた。


「昇吾さん、どうしましたか?」

(それもこれも、あなたが私をここに連れてきたせいですけどもね? ……)


 現実で聞こえる可憐な声色とは裏腹に、ずいぶんと恨みがましそうな声。


 ついこの前の『婚約解除』を紗希が申し込んできた日から、昇吾はを聞くようになっていた。

 どちらも紗希本人の声なのだが、可愛らしさをキープした声が『他の人間にも聞こえている』ことはわかっている。

 先の会話で言えば「昇吾さん、どうしましたか?」は、周囲にも聞こえている声だ。


対して、もう一つの声に関しては、どういうわけか、昇吾にしか聞こえない。

 このもう一つの声を、昇吾は『心の声』と呼んでいた。まるで漫画のテレパシーを操るサイキックになったかのようだ。



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