紗希はお菓子を頬張りながら言う。
「実は、昇吾さんの弟のことで、少し……」
「ああ、礼司、だっけ?」
右斜め上を見ながら言う莉々果に、紗希は頷いた。
青木礼司。彼は昇吾の義理の弟だ。青木家にとっては養子の立場となる。昇吾が青木家の大切な一粒種であることを心配し、昇吾の実父が迎え入れた優秀な少年だ。
とはいえ、そのような育ちで、彼が昇吾にやっかみを持つのは当然ともいえる。少しでも昇吾に勝とうとして、彼は常に努力を続けていた。
その努力は少しずつ実り、今では青木家の有する企業の中でもかなり上位に位置する広告代理店で、事業部の部長補佐となっていた。
彼の年齢が、昇吾から見て五歳年下の二十五歳であるということをプラスしても、相当の出世スピードと言ってよい。
しかし彼が目指すのは、青木昇吾だ。
どれほど青木家のことを考えても、礼司には常に昇吾の影と、青木家にとってのスペアという闇が付きまとう。
「だからなのかもしれないけど。ここのところ、どうやら、彼に真琴さんがすり寄ってるみたいなの」
「なんで? だって、昇吾との関係は良いんだよね、最愛ちゃん」
「ええ。ただ……小津枝さん曰く、そういうことらしいのよ」
紗希から出た名前に、うーん、と莉々果は唸った。
「どこだろうと入れると噂の飲料配布のお姉さまね……?」
小津枝は紗希がこの三年のうちで仲良くなった、出入りの乳酸飲料を販売する会社の営業担当者だ。青木家の会社ではなく、別企業で働く彼女だが、毎週一度は必ず乳酸飲料を届けに礼司のいるオフィスに出入りしている。
噂好きな彼女は、秘密を守る分別こそあるものの、一方で自分の欲求を満たすためには口が軽くなってしまうタイプだった。
「ええ。礼司さんの部署と提携しているんですって。それで、小津枝さんが言うには、ここのところ、真琴さんが何かと礼司さんの元を訪れるらしいのよ」
「ふうん……」
「証拠はこれからだけど、可能性としては、礼司さんが担当するプロジェクトに、真琴さんが手を出そうとしているのかなって」
「……っ、それだよ!」
目を見開いた莉々果が言った。紗希は驚いて尋ね帰す。
「それって?」
「だから。真琴さんと礼司さんの接近が本当かどうか暴くの。
もしも嘘ならさっさと撤退しつつ、そんなことを勘繰っちゃうような人間だから、はやく婚約解消をしてほしいと言うの!
で、もしも本当だったとしたら、礼司に恩を売れるでしょ?
養子で、義理の弟とはいえ、今となっては会社で重要なポストを担っているんだから、そんな彼からの進言を無視するような人じゃないんじゃない、昇吾って?」
良い案かもしれない。紗希は背中がかーっと熱くなるのが分かった。
もしかしたら婚約解消に向けて、自分が口うるさく昇吾に話しかけずとも、うまくいくかも。今まで紗希は真琴との接触を避けつつ、何とか物語で起きた出来事を回避しようと考えていたが、彼女が接したであろう人間に接近していくのは良い手かもしれない。
前世の紗希はとにかく真琴を悪と決めつけ、証拠を一切見つけようとしなかったのだから。
「……やってみようと思う。貴女の力も借りるかもしれないわ」
「まかせてよ」
莉々果はにやりと笑う。彼女はぶつぶつと考え込む紗希を見ながら、どこか満足げに呟いた。
「大丈夫だよ、今度は」
「……えっ? 何か言った?」
考え事にふけっていた紗希は顔をあげる。しかし莉々果は笑みを浮かべて、ぱくっ、とスナックを口に入れたのだった。